第237話 寂しがりな獣人
王女を殺せと叫ぶ人々、最愛の人を食らった悲しみにくれる人々、そんな彼らの目を避ける人影が一つ、森の中に。
彼は頭に大きな鹿の角を生やし、人にしては長い耳を持ち、短い尾をズボンからはみ出させている。
鹿の獣人、ハートは木陰で寝息を立てていた。
そんなハートに近づく小さな子供。
『鹿っ子ちゃーん、ただいま』
「……やっと戻ってきたか、ガキ……いや、誰だお前」
ハートは自分に待ちぼうけを食らわせた子供とはよく似た、けれど違う子供を見て怪訝な顔をする。
『ナイ君だよ!』
「ガキはもっと小さかった。四、五才くらいだ。お前どう見ても十はいってるだろ」
『仕方ないよ、鹿っ子ちゃんと一緒にいた顕現は殺されちゃったから。連絡が取れて暇な顕現の中で一番見た目が近かったのがボクなんだ』
「……どういう意味だよ」
ベルゼブブに殺され、別の姿を現して暴れ、そして消えたナイ。
あのナイはハートが面倒を見ていた子供だった。
あのナイはお菓子の国までハートを無理矢理連れてきて、用事を済ませてくるとハートを森の中に隠して立ち去ったのだ。
『だーかーら、別の顕現なんだよ。ボクは』
「…………中身は同じなのか?」
『全然違うよ。繋がってはいたから他の顕現よりは性格似てるかもしれないけど、別個体だから』
くるくると巻いた黒檀のような髪、きめ細やかな浅黒い肌、深淵そのものの大きな丸い瞳。
身体的特徴は酷似しているし、一人称や趣味はほぼ同じだ。
「じゃあ、ガキは」
『死んだよ』
「なんで」
『殺されたよ』
「誰に」
『悪魔、ベルゼブブっていう蝿』
ハートは立てた膝に額を押し当て、深い息を吐いた。
何年の間か面倒を見ていた子供が殺されて、はいそうですかと割り切れるはずがない。本性が邪神であっても。
「復讐でもするのか?」
『まさか!』
「じゃあ、なんで俺の所に来たんだよ」
『鹿っ子ちゃんはにゃるにゃる共通財産だからね!』
「…………勝手に財産にするな」
いつも以上に反応が薄い、暗い様子のハートにナイは疑問を抱く。
これではからかいがいがない、愉しくない。
『どうかしたの? 何か悲しいことでも? 大の男が泣かないでよ。にゃるにゃるって何だよとか聞いてよ、せっかくボケたのに』
「……俺は眠いだけ、あくびだよ」
『もしかして、ナイ君のこと?』
「…………うるさい」
『あっはははは! 泣くんだ!? はははっ! まぁ結構可愛がってたもんねぇ!? そりゃ悲しいかぁ!』
ナイはハートの角を掴み、顔を無理矢理上げさせる。
下卑た笑い声を上げながら、愉しそうに死亡時の詳細を話す。
『お腹にね、足を何本も突っ込まれて……ああ、蝿の足ね、トゲトゲしてるヤツ。それでね、内臓ぐっちゃぐちゃにされて、小さいから背中側まで貫通しちゃって、それで引き抜かれてね。消化器官がその穴から漏れ出て、食道を逆流した血が口から溢れて──』
「……やめろ」
『んふふっ、やーだ。それでね、喉に血が詰まって、気管の方に入って、息ができなくなって苦しくって苦しくって。お腹も痛くて痛くて、ちっちゃい手足が震えてさぁ』
「やめろって言ってるだろ!」
『んふふふふ……まぁ、いいか。もう話すことないし、これ以上鹿っ子ちゃん虐めちゃ他のボクに怒られちゃうかも』
ハートはナイの手を払うと、頭を掻きむしるように髪を掴む。
声にならない嗚咽が漏れ、涙が溢れた。
何年も面倒を見てきた子供が、それなりに愛情を注いでいた子供が、唯一の家族が、そんなに無惨に殺されたなんて。
吐き気を抑えられるはずがない、冷静でいられるはずがない。
『…………そんなにショック? ふぅん……』
ナイはきょとんと丸い目をハートに向け、しばらくするとその丸い目は歪んだ。
面白いことを思いついた、と。
『ねぇねぇ鹿っ子ちゃん』
「……なんだよ」
『ボクね、似てるでしょ?』
「…………まぁ」
『おっきくなったみたいじゃない? ほら、何年も見た目変わってなかったのが、今日一気に来たってことでさ、ボクを可愛がらない?』
「なんでそうなるんだよ」
『まぁまぁ、ほら、試してみなよ』
ハートの腕を開かせ、足の間に潜り込む。
抱きしめさせると首を傾げて上目遣いで、微笑んだ。どんな子供嫌いだろうと魅了するナイの特技だ。
『どう? 可愛い?』
「…………ふざけるな」
『あれ、ダメ? まぁダメでもダメじゃなくても、キミはしばらくボクと一緒だよ。いっぱい遊んでくれると嬉しいな』
ハートは心底嫌そうに眉を顰めたが、深いため息を吐くと立ち上がり、歩き出した。
ナイと手を繋いで。
「今度はどこに行くんだ?」
そう尋ねた表情は柔らかい。
『んー……どうしようかな、色々ゲームは考えてるけど、タイミング大事だから先回りしないとなんだ』
「何のゲームか誰の先回りか知りたくもないけど、あんまり無茶するなよ」
知らない所で死なれるなんて、二度とゴメンだ。
ハートは今度こそ絶対に目を離さないと誓う。
『えっへへー、次はね、次はね』
静かな森の散歩道、可愛らしい子供の楽しそうな声が響く。
はしゃぐナイを見て、ハートは確実に癒されていた。
ナイの本性は分かっている。
だが、どんなに醜いバケモノだろうと、どんなに美しい神だろうと、ハートのナイへの対応も感情も変わらない。
「なぁ、お前はどんな遊びが好きなんだ?」
『んー、何かなー』
「趣味が悪いの以外なら付き合ってやるよ」
『ボクの趣味はどれも最高だと思うけどなぁ』
物心ついた時から独りで暮らしてきたハートには、ナイ以外の家族はいない。
「最低の間違いだろ」
『えー、酷い。あ、じゃあ、星見たいな。天体観測! 星座盤買ってよ!』
「……意外と綺麗な趣味だった」
疎ましそうにしていても、邪険に扱っていても、それは全て愛情を由来としている。
『でしょでしょ。ね、買って?』
「仕方ないな、どこに売ってるのか分かってるんだろうな」
『やったー! 天体望遠鏡も買ってー!』
「…………それは、ちょっと」
ナイはその愛情を感じている、分かっている。
そしてそれを利用しない手はないと嘲笑っている。
ナイは決めていた。
ハートがこの顕現に愛着を持ったら、家族として完璧に認識し、全幅の信頼を寄せるようになったら。
今度は目の前で虐殺されてやろうと。
血を撒き散らし、叫び声を上げて、ハートに助けを求めながら死んでやろうと。
そう、決めていた。
『鹿っ子ちゃん鹿っ子ちゃん! 歩くの疲れた!』
「仕方ないな、前? 後ろ?」
『鹿っ子ちゃんの顔見たいな』
わざとらしい上目遣い、可愛らしいその仕草にハートは意地悪な答えを返す。
「じゃあおんぶな」
『いじわるー!』
「冗談だよ、ほら」
ナイを抱き上げたハートの顔は、庇護欲に満ちている。
孤独から解放された充実感、ハートはそれを噛み締めるようにナイに微笑みかけた。
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