第224話 崇拝

普通の子供は散歩で城に入ったりしない。

普通の子供は刃物を持つことを勧めたりしない。

普通の子供は突然土下座を始めた人間に対して、淡々と対応することなどできない。

普通の子供は呪いの効果を受ける。

普通の子供は魔法の効果を受ける。

普通の子供は人の首を折ったりしない。



ナイに手を引かれ、むせ返るような甘い匂いの部屋にやって来る。

一階の突き当たりの部屋、その奥に本棚がある。

その本棚を動かし、裏に隠された魔術陣に血を塗ると、城の裏手で隠し扉が開く。


「……なんか、凄い仕掛けだね。この魔術陣……何?」


『さぁ?』


「血を塗るって……よく知ってるね。本当に記憶力良いんだ、っていうかここまで見てるの?」


『うん、見てたよ』


「そのこと、誰かに言ったりしなかったの? だって……その人、食べられちゃうんだよね?」


『言ってもダメなんだ。この国は失踪する人多いし、子供の言うことなんて信用しないよ』


「あ……そう、だよね。ごめんね」


何度か伝えたこともあるのだろう、信用しないだなんて言うようになるほどに、何度も。

そんなことも想定できない、全て説明させて心の傷を抉る。

そんな自分が嫌になる。

そして、そんな僕を許してくれて、嫌わないで手を繋いでくれるナイは……なんて素晴らしいのだろう。


「ねぇ、ナイ君。これから、その、悪魔の住処みたいな所に行くんだけど、僕と一緒でいいの?」


『いいよ?』


「ほ、本当に? 怖くないの?」


『ヘル君が守ってくれるから怖くない』


ナイの言葉には妙な安心感があった、例えるなら温かい暗闇、自分以外誰もいない、誰も僕を傷つけない、優しい空間。


「……僕のこと、信じてくれるの?」


『うん、さっきも守ってくれたし』


「……ありがとう」


柔らかく小さな手をしっかりと包み、痛みを与えないよう優しく握る。


「ねぇ、ナイ君。君……親、その、お父さんか、お母さんは、いるの?」


『……ずっとずっと眠ってる』


ずっと眠っている。それは、永遠に?


「そ、そっか、じゃあ……」


死んだのかなんて聞けるはずもなく、別の質問を用意する。


「あの、ここからさ、僕と別れた後さ、一人で家に帰れる? 帰ろうと、思ってる?」


唾を飲み込み、冷や汗を拭い、目を擦り、深い呼吸を何度か繰り返した。


「もし、よかったら、僕と一緒に来ない?」


『どこに?』


「旅、かな。目的は……世界平和? この国の呪を解くってのは、もうすぐ何とかなりそうだし。僕、魔物使いだからさ、魔物をこう……ほら、魔物と人の架け橋? みたいなのに、なりたいかなって」


ナイは少し黙り、俯き、笑みを浮かべた。

一瞬だけのその笑みは、冷笑に見えた。


『そうなの? 素敵だね』


ナイは顔を上げて子供らしく可愛らしい満面の笑みを見せる。

冷笑だなんて見間違いだ、ナイがそんな笑い方をする訳がない。

俯いていたから表情を勘違いしたのだ。


『いいよ、ついて行く。一緒に行く』


「ほ、ほんと? 本当にいいの?」


膝を折って目線を合わせ、肩を掴んで顔を近づける。


「僕と一緒に来たら、危ないかもしれないよ? 痛いことがあるかもしれないよ?」


『守ってくれるんだよね? なら平気』


「あ……そう、そうだ、守るよ。絶対守るから、君は……君だけは」


今会ったばかりなのに、僕はナイに崇拝に近い感情を抱いていた。

だが、それをそのまま言葉にするような勇気はない。


「……絶対に守るよ、大好きだから」


だから、崇拝を好意と置き換えて言葉を発した。

ナイは僕の言葉に応えなかった……いや、何かを言ってはいたが、僕の耳はその小さな声を拾うことが出来なかった。


『……魔法使いの血を引いてるんだからこうなるとは思ってたけど、予想より早いなぁ。ある程度好意を向けさせようとは思ったけど、ここまでは要らないんだよね。まぁ……いいか、少し計画を変更して、ふふふっ』


くすくすと子供らしく笑う、無邪気な仕草は見ているだけで癒される。

そうしているうちに城の裏手に辿り着いた。

先程魔術陣を操作した影響で崩れたグミの壁、その奥は光届かぬ暗闇。

あまりの不気味さに息を呑む。


『行かないの?』


「あ……いや、行くよ」


中は階段になっているようだ、踏み外さないように慎重に足を下ろしていく。

グミの階段は柔らかく、ついた足が沈んで一歩降りるたびに壁に手を這わせた。


「ゆっくり、ゆっくりね、ナイ君」


『分かってるよー。でも、もう少し早く行っても平気だと思うな』


「ダメ、ゆっくり行くの」


慎重はいくら重ねたって構わない、急ぎの用事ではあるが時間が決まっている訳ではないのだから。


階段が終わり、少し広い場所に出る。

何か灯りを持ってくるべきだと後悔した。

自分の手のひらすらも見えない暗闇、ナイがどこにいるのか見ることはできない。


「な、ナイ君? いるよね?」


『ここだよー?』


「絶対に手を離さないでね」


『分かってるよ』


ローブに描かれた魔法陣は微かな光を放ってはいるが、足元を照らすことすらできない。

手を伸ばし、ゆっくりと振るい、壁などの障害物を確認する。

壁伝いに歩き、扉らしきものを見つけた。


『ドアあったね』


「あ、うん。よく分かるね」


ナイは扉に触れてはいないはずだ。


『暗くてもなんとなく見えるから』


「そうなの? すごいね……」


遠いところから来たと言っていた、人種の違いだろうか? 暗闇に慣れているのかもしれない。


「僕全然見えないんだ、何かあったら教えてくれる?」


『分かった、けどボクもそんなにハッキリ見えるわけじゃないよ』


「うん、なんとなくでいいよ」


ドアノブに手をかける。グミ特有の弾力が気持ち悪い。

前に来た時は、菓子が菓子として扱われないのがこんなにも不気味なことだとは思わなかった。


「お、お邪魔しまーす……誰も、いないよね?」


『さっきより広いみたいだよ、誰もいないし何もない』


「もう少し奥かなぁ、扉はある?」


『まっすぐ行ったとこ』


「まっすぐ……暗いと曲がっちゃったりしそうだなぁ」


一歩一歩、確かめながら踏み出していく。

ナイが僅かに先導しており、僕はそれに少し引っ張られる。

前の部屋よりは広かったようだが、壁伝いに歩くよりは早く着いた。


グミで作られたドアノブを握り、グミで作られたドアを開ける。

ぐにぐにと擦れる音が不快感を煽った。

ドアを開くと、光が目に飛び込んだ。

特別明るいという訳でもないが、真っ暗闇からの落差は恐ろしい。

一瞬目が眩み、微かに頭が痛む。

もう一度目を開けた瞬間、僕はお菓子の国ではありえないものを目にした。

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