第189話 愉しい愉しいオークション

朝の匂いが好きだ。

透き通った新しい日の匂いは、昨日までの全てをリセットしてくれる。

どうしようもないことだって、この雰囲気に酔っている間はどうでもよくなってしまう。



ハートは一人、街を歩いていた。

人通りは少ないものの、頭に''奇妙な飾り''をつけた彼は皆が二度見する。

角だとはバレていないようだが、チラチラと見られるのは気分が悪い。

人目を避けるために路地を進む、薄暗く湿った空気は不味い。


『……何も起こんないのはつまんないよね。んふふっ、はは。あっはははははは!』


誰にも聞こえない、幼い子供の声。

自らの欲望を満たすためだけに、または主の願いを叶えるために、その子供は影を這う。



ハートが通る道の隣の道、奥まって治安の悪い、愚鈍な者の吹き溜まり。

そんな道端に座り込む、三人組の男。


『ねぇねぇお兄さん達、ちょっといい?』


幼い子供に声をかけられ、男達は鬱陶しそうに「あっちへ行け」と手を振った。


『向こうの山に獣人の国があるのは知ってるよね? そこから降りてきてる獣人がすぐそこにいるんだよ』


舌っ足らずの言葉に、男達は目を見張る。


『獣人の国は天使の警備が厳しいけど、ここは真逆。捕まえるなら今じゃないかな? この国には闇市もあることだし、丁度いいじゃない』


年相応の無邪気な笑顔と、見た目にそぐわない下卑た言動。

子供は手招きをして走り出す、三人の男がそれを追う。

ハートが歩く道に入る直前に、子供は姿を消した。

そのことに男達は若干の疑問を抱いたものの、目の前を歩く青年を見てその疑問は吹っ飛んだ。


見た目には獣人と分からない、それは神術によるものだが、男達には知る由もない。

子供の言葉が嘘であろうと本当であろうと、行動は決まっている。



男達は目配せし、折りたたみ式のナイフを振りかざしてハートに襲いかかった。

一番前に出た男を振り向きざまに蹴り飛ばし、ハートは呟く。


「獣人の聴力舐めるなよ……っと」


こめかみを捉えた踵は即座に振り下ろされ、ナイフを折った。

残った二人は当然たじろいだが、本物の獣人だということが打算を捨てさせた。


ハートは男の顎を爪先で蹴り上げ、一瞬後に踵落としを決めた。

思わぬ蹴撃の往復は男の意識を奪い、もう一人の冷静さをも奪った。


めったやたらにナイフを振るう、足に傷をつけるのを嫌ったハートは男に隙ができるまで後退を続けた。

男が倒れた仲間達に蹴躓き、その重心が僅かにブレる。

ハートはその隙を逃さず、脛を蹴りつけ角で顔を打った。

それは男の意識を刈り取るとまではいかず、激痛に悶えた男が計算なく振るったナイフが青年の頭を掠った。

ほぼ同時にハートの蹴りが男のみぞおちを抉り、胃液を吐かせながら行動不能に陥らせた。


ハートはため息を吐き、路地は危険だと表通りを目指す。

頭を掠ったナイフが角を隠した布を切り裂いたとも知らずに。

布はハートの頭から落ちこそしなかったものの、模様が途切れたことによりその効力を失った。

模様の切れ目を狙って破いたハートの苦労は意味をなさなくなってしまった。



表通りにも人が増えてきた、ハートは増えた視線を不快に思いながら道を急ぐ。

特に目的地はない、強いていえば宿か。

ハートはこの国の通貨について考えず、足を休める場所を探した。


それらしき建物が見つからず、ハートはとにかく座りたいと公園に入る。

すっかり斜めになった機嫌を立て直すためにも、休息が必要だ。

人気のない公園の、涼しげな木陰のベンチに座った。


ふと、背後に人の気配を感じる。

路地で襲ってきた連中の仲間か……と思い振り返るが、誰もいない。

考えすぎかと姿勢を戻し、疲れから目を閉じた。


背を曲げて蹲るようにうたた寝を始めたハート。

それを好機と忍び寄る闇市の売り主。


彼らは素早く青年に札を貼った。

札に書かれた文字の意味は「昏睡」、この札は魔力を持たない人間にも使える呪術道具の一つだった。

傷をつけたくない商品を安全に運ぶ際に重宝されている。


ハートの頭を小突く、肩を揺さぶる。

だがハートは外界からの刺激に何の反応も示さない。

用心深く札の効き目を確認した後、商人はハートに布を被せて台車に乗せ、足早に立ち去った。



ハートが目を覚ましたのは檻の中。

何の変哲もない人間だったなら、自分の手すら見えない闇の中。

ハートに戻されたのは視覚と思考だけ、体は動かず声も出ず、檻の端に横たわっていた。


前面につけられた鎖が引かれ、檻はゆっくりと光の方へ向かう。

底面にはキャスターがついているらしく、檻は滞りなく舞台に運ばれた。

ここはオークションの会場だ。


『ふふっ……大変なことになってるねぇ。あれあれ? 聞こえないのかな、返事してよ。あはははっ!』


ハートの背後から小さな男の子の声が響く、ハートにだけ届くその声には、明らかな嘲笑が混じっていた。


『ボクが助けてあげてもいいよ? 特別な術を教えてあげる、どう?』


ハートには子供の狙いが薄らと分かっていた、声は出せないから嫌悪に満ちた目を向けた。


『欲しいなら心の中で願ってね。その時はついでにその札も取ってあげるよ』


スポットライトがハートの入った檻を照らす、司会者が短い商品説明を終えると、会場がにわかに騒がしくなった。

子供は舞台の袖に引き、ハートに「いつでもいいよ」と合図を送る。

ハートはその合図に返事をしなかったが、子供は痩せ我慢がいつまで続くかと愉しそうにしていた。


『……いくら獣人様とはいえ、大量虐殺すれば死刑は免れないよねぇ。天使に庇護され人間に虐げられた獣人が、人間に牙を剥いて天使に処理される。

ああ! なんて素晴らしい! 大爆笑間違いナシの脚本だ! 流石ボク! っはははははははは!

人間はさらに獣人を嫌悪するし、天使は管理の甘さが批判される。上手くいけば堕天だってありえる! そうなったらその堕天使に術を……ふふふっ、はははは!』


自賛し、妄想し、誰にも聞こえない大声で笑う。



競りが始まる。

あるものは他者を引き離すために無茶な値段を言い、あるものは金を惜しみ僅かに上回る額を叫ぶ。

司会者が煽り立てる中、ふいに美しい音色が響く。

高く澄み渡る弦楽器の音色、魅了される者も少なくない。


「あの、会場での演奏はご遠慮いただきたく……」


らしくもなく静まり返る会場、司会者の細々とした声もよく通る。

竪琴を持った男が、舞台に上がる。


「私が買おう」


値段も言わずに……会場の誰もが侮蔑の視線を送る。

だが、男が二、三度弦を弾くとその視線は恍惚としたものになる。


「請求は後でハイリッヒ家に、言い値で構わない」


虚ろな目をした従業員が檻を開け、ハートを男に渡す。

男はハートを片手で担ぎ上げると会場を後にした。

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