惨劇の舞台は獣人の国

第168話 療養

獣人の国。

酒食の国のすぐ隣にある、山を中心とした小さな国だ。

国と言っていいほどの大きさかも分からない小ささだ、町か村とでも名乗った方がいいのではないか。



そんな国に僕は来ていた、とりあえずの療養のためだ。

兄を探すと言っても手がかりはない、行き当たりばったりで歩いて見つかってくれるとは思えない。

情報収集できるとも思えないが、怪我の治りは早まりそうだ。


『……宿はここか?』


「地図はそうだよ、アシュが連絡してくれてるんだよね?」


『ヘル、地図は逆さを向いていないか? ぐるぐる回して分からなくなってはいないか?』


「僕ちゃんと地図読めるよ!」


全く失礼な、確かに地図は回していたが、上下は間違えていない。

山の低いところが今は右斜め下で、高いところはその反対、集落の左方面に宿があるから……ここはどこだ。


『なぁヘル、ここは宿屋ではなく民家だそうだ』


「んー……? こっちが上、進行方向……あれ、宿……あ、……ん?」


『すまない、少し道を教えて貰いたい、宿は………ああ、彼処か? ありがとう』


アルは僕の道案内を信用せず、家の住人に道を聞いた。

認めたくはないが良い判断だ。


『ここだな』


「地図によると酒屋だよ」


『そうか、葡萄酒でも飲みたいところだ』


アルは僕の言葉に適当な答えを返すようになっていた、ドアを器用に開けると店主らしき人が出迎えた。


「いらっしゃいませ、アシュメダイ様より連絡を頂いております」


『ああ、しばらく厄介になる』


階段を上り、二階の角部屋へ。

アルは僕をベッドに移すとさっそく風呂に向かった。


「………あれ、さっきの人尻尾生えてたような……気のせいかな」


地図を見ていたせいで顔も見ていないのだ、そんな勘違いもするだろう。

ぼうっと素朴な天井を眺めながら、浅い眠りに落ちていく。



朝……本当に朝、なんと珍しい。

名前の通りに朝に朝食をとるのはいつぶりだろうか。


『ヘル、食べ終わったら用がないからと言って部屋に帰るなよ』


「アルがいないと帰れないだろ、一人で階段とか絶対無理」


朝食は一階の広間で食べている、僕の他に客はいないらしい。


「どこ行くの? 僕は二度寝したいな」


『公園にでも行こう、ヘルを住民と交流させる』


「え……嫌だ、何で?」


『ヘルが好かれるのは魔物ばかりだからな、たまには普通に人間と話した方がいい』


「………人と話す、かぁ。あんまり気乗りしないな。二度寝したいし」


僕のさり気ない要望は無視され、アルは僕を公演のベンチに座らせた。


『ヘル、私は少し用事がある』


「……どこ行くの? いつ帰ってくるの? 用事って何?」


『すぐに戻る』


僕の質問に答える気はない、と。

去っていくアルの後ろ姿を恨めしく睨んだ。

おそらくはさっき言っていた「交流」のためだろう、大した用事じゃない……いや、用事なんて本当はないのかもしれない。

見知らぬ土地で、動かない足で、独りで……気が滅入る。



軽く足を振るってみる。

右足は滞りなく揺れたが、左足は微かに跳ねただけだ。

動きだけでなく感覚も鈍い、傷はもう痕が残るだけになっているのに。

治癒の魔術をかけてもらい一日かかって僕の傷は全て治った。

「淫魔はヒーリングが苦手」その言葉通り痕は残った。


それにどうにも片目だけの視界に慣れない。

右眼は前から髪で隠していたとはいえ、見えにくいのと見えないのでは全く違う。

自分の右隣にある物は分からないし、距離感も掴めない。

不便が過ぎる。

魔眼再生の目処が立つまで、仮ということで移植してもらえば良かったか。


そんなことを考えていると、右から人が近づく気配がした。

首を回しても良かったが、目を合わせたくない一心で無視した。


「……あの、隣」


話しかけてきた。

声から判別するに女性らしい。


「どうぞ」


顔を伏せたまま少し左に寄った。

無愛想かもしれないが、社交的な笑顔とやらは苦手だ。


「えっと、アシュ様のお知り合いの方でいいにゃ?」


「あ……はい、そうです。」


まさかこのまま会話を続ける気か? 話すことは何もない、やめて欲しい。

ん? にゃ……? 噛んだだけか?


「見にゃれない人だから……ちょっと、気ににゃって」


「………そうですか」


滑舌の悪い人だな。

愛想の悪い僕に思われたくはないだろうけど。


「えーっと、おにゃまえは?」


「……名前? ヘルです、ヘルシャフト・ルーラー」


「私はミーアっていうにゃ、よろしくにゃ」


滑舌が悪い……じゃないな、ただのイタい人だ。


「あ、はい。よろしく……お願いします」


僕は俯いたまま軽く頭を下げた。


「にゃー………ヘルさん、角も尻尾もないにゃ」


「そんなのないですよ、人間なんだから」


「羽とかもないにゃ?」


「ないです」


何の質問だ。

尻尾や角、羽だって? 酒食の国から来たから悪魔の類と勘違いされているのか。


「ふーん……あ、そろそろお顔見せて欲しいにゃ」


「え……ああ、すみません。下向いたままで」


わざとだったのだが、言われてしまっては仕方ない。

観念して顔を上げる、右眼を隠した髪が崩れないように手で抑えて。


「………え?」


目の前に居たのは可愛らしい少女だ。

僕が驚いたのは可愛さではない、いや、本当に可愛いけれど。

僕が驚いたのは彼女の頭の上にある耳だ、猫のような三角の耳。

時折ピクピクと動いており、髪ではないとはっきり分かる。

動いていることからカチューシャなどの飾りではないとも分かる。


「色白さんだにゃー、それにクマが酷いにゃ、ちゃんと寝てるにゃ?」


にゃーにゃー言っていたのは……妙な趣味という訳ではなかったのか。


「前髪長いと目が悪くなるにゃ、ちゃんと切るにゃ。それにちょっと痩せすぎにゃ、ご飯はバランス良くたくさん食べるにゃ」


見た目の割に口うるさいなこの人。

いや、別に見た目は関係ないな。どうも僕は少し混乱しているらしい。

ふと視線を落とせば、ミーアの太ももの上に猫の尻尾が見えた。

後ろから回しているようだ、猫らしくゆらゆら揺れていた。


「にゃー、聞いてるにゃ?」


「………あ、すみません」


「にゃ、謝らなくてもいいにゃ。初対面で色々言って悪かったにゃ」


全くだ、僕も好きで不健康な見た目をしている訳じゃない。

それにしても……猫か、獣人の国の名の通りだ。

少し前に行った植物の国では亜種人類と呼ばれる人々が居たが、また違った種族なのだろうか。

妖鬼の国の……あっちは魔物の類か。


ふと周りを見れば、増えてきた人通り。

その人々もまた僕から見れば異形の者達だった。

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