第139話 雷の神と死の神


晴天だというのに落ちる雷、砕け散る岩に、そこに立つ金髪の男。


『それなら明朝までには用意できる』


「そう、お願い」


エアは目の前に落ちた雷にも動じずに、淡々と転換術の準備を進めていた。


『お前は本当にそれでいいのか?』


「……いいんだ」


金髪の男は岩を砕いた槌を拾い上げ、肩に担いだ。

エアに頼まれた縛魂石を手に入れるためだ。

男は雲一つない青空を見上げ、手をかざす。

直後、雷が男を狙い撃ちその姿は消える。


「あと……えっと、魔術陣を二つ描いて、魔力を込めておけばいいか」


思っていたよりも簡単に事が運ぶ、エアはうまくいきすぎだと不安を覚える。

そして、改めて術の結果を頭に思い描く。


「……ふん、天才は型にはまらないんだ」


微かに残る躊躇を消すために、自分を嘲笑う。

そして、庭園に入っていく弟と魔獣を見て機嫌を悪くした。

頬の刺青が蠢き、描かれた魔法陣が変わっていく。

エアは考える、油断している今ならあの目障りな魔獣を始末できると。


「……本っ当に、気に入らないなぁ!」


先程の落雷で砕けて拳ほどの大きさになった岩をさらに破壊する。

火を、氷を、風を、雷を、土を、全てを操る。

魔法を使って、魔術を使って、呪術を使って、八つ当たりを繰り返した。

少しも気分が晴れず、エアはその場に座り込む。


「連れていけばよかった、置いていかなければよかった。そうしてたら、誰にも盗られなかったのに、こんなことにもならなかったのに」


過去を悔やむ意味のなさは知っていた。

十八歳の時に家族を捨てて国を出て、三年後に滅ぼされたと聞いて帰って、その時も同じように後悔していた。

こんなことなら弟を連れていけばよかった。

父母に愛着なんてない、死体を見つけても何の感情も湧かなかった。


弟は……弟だけは、自分の物だと認識していたから、自分だけが遊ための玩具だと思っていたから。

たとえ魔獣であろうとも、玩具が自分以外を呼ぶことが気に入らない。

共に歩くことが、談笑することが、傍にいることが、気に入らない。


「…………ヘルは僕のなのに」


愛情でも何でもない独占欲は、自分とは違った才能を持つ所有物への嫉妬を混じらせてエアの思考を埋めていった。




肩で息をしながら、湖に腕を浸けた。

冷たさが熱と血を奪い、頭痛を和らげる。

水面に映るのは怪物……僕だ。


『ヘル、ヘル? 平気か、ヘル』


アルが心配そうに背に擦り寄る。

だが僕はそんなものを気にしている余裕などなかった。


斑に模様ができた不気味な肌、至る所から生えた半透明の触手、ジェル状のそれらは淡い虹色を帯びている。


『ヘル……大丈夫だ、大丈夫だぞ』


何の根拠もない言葉を繰り返すアル、いつの間にか肩から去ったカラス、僕を憐れんでいるような翁。


そんなもの、どうでもいい。ヒトが食べたい。


ふらふらと庭園を出ると、長い金髪の女が目に入った。

アレは……ヒトじゃない。

アルが追ってきたが、気にしている場合ではない。

ヒト、人、人間はどこだ。


ふっ、と。ヒトの匂いがする。

人間だった時は感知できなかった魔力を感じることもできた。


「………ヘル? だよ、ね」


驚いた顔で僕を見つめる、魔法陣の刺青をした青年──どこかで見たような、気のせいかな。


『待て! ヘル、落ち着け! 其奴は貴方の兄だ!

ヘル!』


障害物を取り除いて、獲物に喰らいつく。

誰にも習っていないのに理解できた、狙うべきは首だと。

首を噛みちぎって──出来なければ気道を押さえて窒息させて、頭の中で声が響くようだ。

口の中に広がるヒトの味に、この上ない幸せを感じていた。




冷たい──これまでの熱が消えて、身体と頭が一気に冷めていく。

怪物としての思考も消えて、僕は心だけ人間に戻った。

口の中に何か入っている……吐き気を催す味に、みっともなく叫んだ。


「落ち着いたの? 我を失う前に知らせて欲しいね、反対呪文かけらんなかった」


「………にい、さま? あ、ぁ……僕、また」


無意味な謝罪を繰り返し叫ぶ僕には、再生が間に合わないと兄の笑いながらの愚痴も聞こえない。

泣き喚く僕にアルはずっと寄り添っていたが、それを見た兄は舌打ちをしてどこかに行ってしまった。


『……ヘル、必ず元に戻してやるから、もう泣くな、泣かないでくれ……頼む。貴方の涙は見たくない、ヘル、ほら、顔を上げて』


いつも以上に優しい声は、今の僕を余計に追い詰める。

一層の事、この化け物がと罵ってくれた方が楽になれる。

だがアルも兄もそんな言葉をかけてはくれないだろう。

言って欲しいといえば、アルは辛そうな顔で断るだろう。

兄は──また、僕を出来損ないのダメな子だと言い始めるだろうか。

それでもいい。それがいい。


背後でカラスが鳴く、振り返ると先程の翁がいた。

翁はじっと遠くを睨み、呟いた。


『外のモノの使者が来たか、全く……下劣な奴だ』


「……外の、使者?」


不十分なオウム返し、翁は柔らかい表情を僕に向けた。


『この世界の外の神、アレはそれの使者さ。人を弄び絶望させ、それを愉しむ。全く、ロキよりも性質タチが悪い。ロキのはせいぜい悪戯……度の過ぎた悪戯だからな』


そう言いつつも、翁の顔はどちらも同じくらい厄介だと言っていた。


『きみを変質させたのはアレだろう?』


「え? えっと、アレって言われても」


『ふむ、黒い男に会ったか?』


「あ、はい。原因の薬は……その、ナイ君から貰って。」


ナイ、か。偽名だろうか? いや、偽ってすらいない。

そう呼べと言われただけ、それが名だとは言われていない。


『ナイ君……? まぁ、いい。このオーディンがきみにやってやれることは一つだけだ』


その前に、と翁は僕のこれからを予想した。

薬の製作者の性格からして、怪物化しても完全に自我がなくなりはしないだろうと。

体をコントロール出来ないか、今のように満腹になれば我に返るか、そのどちらか。

つまり、人の心を持ちながら人を喰わなくてはならない。

近くにいる者から喰い殺すのだ。


『……わたしは死の神でな、もしきみが望むのならきみに永遠の安らぎを与えよう。完全に変質してしまえば今より食欲は増すだろうし、魔力も増す。どうだ? 同族を喰らう苦しみと、永遠の安らぎ、どちらを取る?』


それは……今のうちに殺してやる、ということだろうか。

僕にとっても他の誰にとっても、それが最善なのだろう。


「……もう少し、考えさせてください」


『ヘル! 馬鹿な気を起こすな、戻る方法は必ずある!』


根拠のない言葉に本気で縋るほど、僕は楽観的な人間ではない。


『そうか、分かった。ああ、もしきみが魔物として生きる道を選ぶのなら、これを教えておいてあげよう。同族喰いを嫌悪するのは人間だけだ、生き物全体で見ればそう珍しくはない』


『……そ、そうだ。そうだぞヘル、魔物になろうと私は離れないからな、人間だって狩ってきてやる。だから……だから、ヘル、妙な気を起こさないでくれ』


僕が死を選んだとしたら、アルはどんな顔をするのだろうか。悲しんでくれるといいけど。

でも、会えたばかりなのに……

死にたくない、怪物になりたくない、この二つの願いは同時には叶えられないのだろうか。

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