第112話 Crawling

古びたノートを慎重に捲り、セツナは新しいノートに式を写していく。

賢者の石を作るのには時間がかかるらしく、僕達はその間は家に泊まることになった。

対価としてセツナの世話をするように、と言われて。


「うーん、字が汚い。読めない」


『自分で書いたんだろ? しっかりしてよ』


眠気覚ましの珈琲を飲み、ため息をつくセツナ。

僕の記憶はどこまで正しいのだろうか、『黒』とセツナの会話は現実だったのだろうか。


「……あの、セツナさんって何で出来てるんですか?」


「え? えっと……水、炭素、アンモニア、塩分、リン? 後、えーっと、何だったかな」


『構成成分の話じゃないと思うよ、この子最近おかしいから』


「賢者の石とか心臓にしてるんですよね?」


「内臓はほぼ自前だよ、魔石を使ってるのは目と手足、それに一部の骨だけ。賢者の石を心臓に……なんて、そんな発想もなかったよ」


会話は現実ではなかった? 全て僕の妄想? それにしては現実感がありすぎた。

曲解して認識した、せいぜいその辺りか。

おかしなフィルターがかかっていた、そう思えばそう信じ、疑えば間違い。

……幻覚は僕が勝手に見ていたのか? いや、誰かが見せていた。僕は根拠もなくそう確信した。


「……人形作りが趣味なんですよね? 材料が人の体液のやつ」


「ホムンクルスだね。可愛いだろう? 君のでも作りたいんだけど……あ、『黒』もいいかな? 人間以外だとどうなるのかも知りたい」


『なんかやだ』


人形については正しい。

あの地下室は存在するのか。

その他に何がおかしい? 何が食い違っている、僕の妄想はいつ始まった、本当に終わったのか。

頭が痛くなってきたが、とにかく確認しなければ。


「初めて会った時、僕の首を舐めましたよね」


「つい癖で……ごめんね。良い材料になるかと思ったら、もう抑えが効かなくて」


『ただの変態じゃん』


「知的好奇心と言ってくれないか」


初対面から人形の話までは一致した、『黒』とセツナの会話あたりからおかしくなったのだろうか。



何が原因で?



外の空気を吸いに行くと言って庭に出る、あの血の匂いの漂う倉庫はない。

パステルカラーの花壇があるだけだ。


「……なんなんだよ。僕は、おかしくなったのか? 何が本当にあったことなんだよ。もう分かんないよ。アル……君は、どこにいるの」


ぼうっと景色を眺める、花畑と空の境界線、柔らかな緑と澄んだ青の交じる線。

それを乱すように黒いローブが現れる。

不気味なそれは人とは思えないような高くて低い声で独り言を紡いでいた。


『………単調すぎた、短絡すぎた、面白くない? 見えた? 見えない? 失敗、成功、失敗、失敗、失敗……負け? 負けてない。勝った? 勝ってない。まだ何も、星辰も、まだ何も、まだ、まだ』


ローブと地は、接していない。

腕や足はもちろん、顔もない。


『……取り返そうか』


ぐるん、と勢いよくローブがこちらを向く。

アレは初めから僕を認識していたのか、今気がついたのか、それは分からない。

分かるのはアレが見てはいけないモノだということだけ。


『ヘル君、ヘル君、こっちにおいで。』


行ってはいけない。

聞いても、見てもいけない。

ローブがめくれ上がって、中身が見えたとしても見えてはいけない。


「その力を放て、獄炎石! 魔性の者を退けよ!」


セツナの声が響き、僕とローブの間に炎の渦が巻き起こる。

僕は熱さを感じる前に『黒』に引き戻され、正気を取り戻した。


『二人とも、絶対にあいつを見ないで』


僕とセツナを背後に隠し、炎が消えてもなお居座るローブを睨みつける。


『ご挨拶じゃないか、まさか君が手を出してたとは。様子がおかしいとは思っていたけどね』


『久しぶり。一人に戻ったの? 残念。残念。せっかく分けてあげたのに』


視界の端に映る黒い影は、ローブでも何でもない。

もっと、何か、別の、恐ろしいものだ。


『何の用?』


『遊ぼ』


『断る、帰れ』


『遊ぼ。君だって楽しんでたのに。どうして嫌がるの? 楽しいのに』


『よく言うよ、嘲笑ってただけのくせに』


黒い影が狂乱する、感情は全く読み取れず、ただただ狂気を押し付けられる。

気味の悪い笑い声を上げて無数の触手を『黒』に絡めた。


『君の自由は意志によるもの。意志がなければ君は自由になれない。この鉤爪を避けられない。もう一度言うよ? 一緒に遊ぼ』


『随分と、乱暴……だね、昔はもっと優しくしてくれてたのにさ。まぁ、それでも嫌いだけど』


締め上げられて苦しそうにしながらも、『黒』は挑発を続けた。


『今度こそ、全部ちょうだい』


『は、ははっ……やめて欲しいなぁ。まだ……消えたくないんだよ!』


爆炎が上がる、直接触れなくとも肌が焼かれ、チリチリと痛みが走った。

獄炎石と言っていたか? 希少鉱石の国特有の魔石の力だ。


『この程度じゃ怯みもしないって……? ホント、反則だよね、君』


『遊ぼ』


『断る、帰れ』


『…………また、来るね』


黒い影と異様なプレッシャーが消える。

恐る恐る目を開くと、『黒』が倒れていた。

腕に、首に、紐のようなものが巻きついたような痣が残っている。

赤黒いそれは呼吸を忘れさせる。


「い、癒しを与えよ、治癒石!」


セツナは温かい輝きを放つ石を掲げる。

僕とセツナの微かな火傷は完治するが、『黒』の痣は消えない。


「そんな……! 治癒石、もう一度」


『いいよ。どうせ効かないし、見た目が悪いだけで痛くはないしね』


「大丈夫なの? すごく……痛そうだけど」


『大丈夫、痛いのかもしれないけど痛覚くらいは消せるから。痣も後で消しておくからさ』


「本当に消えるの……?」


痛々しい痣はくっきりと残り、蠢いているようにも見えた。


『あいつも暇なだけだろ。他に面白いモノを見つければそっちに行くだろうから、すぐに消えるよ』


蠢いているよう、ではない。

蠢いているのだ。

薄っぺらく細長い何かが皮膚の下を這い回っている。

僅かに『黒』が表情を歪めたのは、痛みからなのか見た目の悪さからなのか、それは僕には分からない。


『ずっと放っておいたくせに……本っ当に嫌な奴。面倒な奴。自分の作品が人の手に渡るのは気に入らないってわけ?』


爪を噛み、引き剥がす。

無意識の癖は『黒』の手を赤く染め、再生し続けた。

傷は消え血だけが残る。


「……ねぇ、アレ何なの?」


誰、ではなく、何、と聞く。

人や悪魔、ましてや天使でもない。

アレは何だ。


『黒』は僕を見たが、答えを返さない。

悩んでいるような、迷っているような、怯えているような……そんな顔だ。

嘲りの表情でない『黒』は珍しい。


僕の頬を撫で、ため息をつく。

『黒』は静かに語り始めた。

アレが何か、アレと何があったのか。

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