第105話 疑念


植物の国は島国だ。島は無数の木に覆われている。

中心には大穴が空いていて、底には悪魔が住んでいる。

そして何よりも重要な事、この国は鎖国状態にある。

旅行はもちろん貿易も禁止されている、それは亜種人類である国民を守るためである。


だが、そうなると一つ疑問が生まれる。

ヘルと『黒』は何故入国出来たのか。




悪魔との戦いの翌々日──いや、正確な日にちは分からない、体感で翌々日だ。

僕は『黒』と共に国を散策……ではなくウェナトリアを探していた。

そして数時間歩き詰め、ようやくウェナトリアを探し当てた。


「君達か、丁度良かった」


予想に反してウェナトリアは僕達を歓迎し、シュピネ族の集会所だというツリーハウスに招いた。


「シュピネ族は他の民族とは少し違っていて……この家も人間からすれば不快かもしれないな。他の民族からも恐れられている始末だ」


このツリーハウスは今まで見たものとは造りが違う。

他のものは樹木を基礎として家を作っているのだが、この家は糸で吊っているのだ。

本来枝や幹で支えられるはずの家は大量の糸で支えられ、殆ど宙に浮いていた。

強い風が吹くたびに揺れるそれは、もはやツリーハウスとは呼べない代物だった。


『元々人喰いなんだろ? そりゃ怖がられるって』


「それはもうおとぎ話に近いな、その過去を知っている者は少ない」


『へぇ……最近だと思ってたけど』


僕がウェナトリアに謝りたいのは真の姿に怯えたことだ、もうこれ以上怯える理由を増やさないで欲しい。

人喰いという言葉に怯えつつ、その怯えを隠しつつ、そっとウェナトリアに謝罪をする。

二つの約束を破ってしまった、と。


「気にしないでくれ。それよりも君達に聞きたい事がある」


必死の謝罪も意味を成さない、後悔しようともう遅い。

怯えた、約束を破った、それは覆らない事実なのだ。


「君達はどうやってこの国に入った?」


『何それ。僕達は普通に……ちゃんとした手続きを踏んで入ったよ』


「それがおかしいと言っている。この国にはそんな手続きを取る場所も仕組みも存在しない」


僕がウェナトリアとの間に見えた深い溝に落胆しているのも放って、二人は話を進めた。


「この国は私が王になる前から鎖国している、侵略者はあれど君達のような旅行者はいない」


僕達は旅行者として手続きを済ませた、この記憶に間違いはないはずだ。


『じゃあ、何で君は密入国の疑いがある者に対して何もしなかったのさ。覚えてるよ? 初対面の時は随分と優しかったじゃないか』


「あの時は君達も国民だと思っていたからね、見た目が人間と変わらない種族もあるから……それに、そんなことを気にしている場合でもなかっただろう?」


『ちょっと胡散臭いなぁ。ま、いいや。君は僕達が嘘吐き密入国者だって言いたいんだよね』


嘲るような笑みのまま、『黒』は国王ウェナトリアに詰め寄る。


「そうは言っていない、君達には感謝もしているし、嘘をつくような人間だと思っていない」


『じゃあ、何? 僕を騙すような奴がいて、そいつが入国審査をきっちりこなしたって?』


両の手のひらを空に向ける……『黒』が苛立ちに任せて人を馬鹿にする時のポーズだ、止めなくては。


「……かも、しれない」


『本気で言ってんの? 僕に幻術が効くって? 効くわけないだろ、神様でもない限り……いや、神にも不可能だね』


「ちょっと『黒』落ち着いて」


床を細かく叩いていた手を止めるためにも、『黒』の手を握った。

だがそれは逆効果だった。


『君まで僕が嵌められたって言うの?』


「違うよ、ただ……落ち着いてよ」


『ただ、何? はっきり言いなよ』


「僕はただ、その、喧嘩とか……して欲しくなくて」


『喧嘩? 僕がいつそんな真似をしたのさ、してないだろ』


「そうじゃなくて。僕、僕は、僕が言いたいのは、そんなことじゃなくて」


考えが、言葉が、まとまらない。

泣きそうな僕を、怒鳴りだしそうな『黒』を、ウェナトリアは心配そうに居心地悪そうに、止めることも出来ず眺めていた。


『君も見ただろ? あの港。あれが偽物だっていうなら僕達だけを騙すためだけに作ったって言うの?』


「この国に港はない。船がつくような浜もないはずだ」


『幻なわけないんだよ! 僕にそんな小細工通用するわけないんだから!』


自惚れでもなく傲慢でもなく、紛れもない事実。

『黒』に幻術の類は通用しない、それは僕も良く分かっている。

だがそれでも──だからこそ、幻だったと感じるのだ。


「そこまで言うなら見に行こう、私の知らぬ間に港が作られていたのかどうか」


『上等、後で泣いて謝っても知らないから』


ウェナトリアは糸を伝ってツリーハウスを降り、『黒』は僕を横抱きにして飛び降りた。

僕は一瞬の浮遊感と責められた記憶への恐怖から、『黒』の足が地面に着いてもずっと抱きついていた。


「どっちから来たんだ?」


『何時間も歩いてナハトファルター族の集落に着いたけど?』


「そこだけか? なら東の方だな。あちらの崖に絡みついた木の根には棘があったはずだ、そんな場所から来たのか?」


『港を通ったからね、崖なんて知らないよ』


あくまでも港はあったと主張する『黒』、困ったように笑うウェナトリア。

僕はお姫様抱っこへの羞恥心を捨て、『黒』の首に腕を回し体を丸めた。

二人の話や目線から逃れるように首筋に頭を埋め、『黒』の鼓動と香りに酔った。


「あー…… なぁ、いいのか? 君はそれで」


『僕は別に』


「最初は姉弟だと思っていたんだが、種族からして違うようだからね。恋人かい?」


『……君、頭湧いてんの?』


「自然な推理のつもりだったのだがね、嫌われたものだ」


第一印象が悪かった、『黒』はウェナトリアに敵意を抱いている節さえある。

仲良くしてもらいたいものだ。

その後、『黒』とウェナトリアの間には一切の会話がなく、木霊も静かなものだった。

静寂と温もりと緩やかな揺れ、それは何よりも人間の眠気を誘うものだ。

『黒』の首に回した腕が解けて、丸めた体が開いていく。

半分眠ったまま波の音を聞いた。


「何だ……これは」


『言ったろ? ちゃんと港から来たって』


「馬鹿な! ここは崖だったはずだ!」


『知らないよそんなの、今は港じゃん。誰かがこっそり作ったんじゃないの?』


微かな浮遊感の後、陽の光で温まったコンクリートに寝かされる。

寝心地の悪さは『黒』の膝枕と髪を撫でる優しい手つきで和らぎ、僕はそのまま夢の中に落ちていった。

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