第70話 脱走と凍結
たった一つの蝋燭の光は儚い。
コンクリート剥き出しの床は冷たく、鉄格子の扉は内側からは開かない。
カシャンカシャンと扉を二、三度揺らして諦めた。
「はぁ……体上手く動かせねぇってのはキツいぜ」
セレナは力なく倒れている、大剣は牢屋に入れられる前にオークに取り上げられていた。
僕の弓も同様に。
この牢屋の壁、天井、床にはみっちりと呪術陣が描かれている。
魔封じの呪とやらだ、アレのせいで僕達は全く抵抗出来なかった。
「何であのブタ野郎共は平気なんだよ!」
『鎧に反対術がかけてあるのだろう、それにオークは元々魔力にあまり頼らない魔獣だからな』
「だったら……こっから出てアイツらの鎧奪えばいいんだな?」
セレナは鉄格子まで這いずり、格子の隙間から手を伸ばす。
「見えるか? あの鍵はこの牢屋の鍵だ、ここを閉めて見せびらかすみたいに置きやがった!」
指差した先の机には鈍色の鍵がある。
細い紐のついたそれは机の角ギリギリに置かれており、少し揺らせば落とせそうだ。
「でも、あんな所にあるのに届きませんよ」
机は牢屋から離れた位置にある、手を伸ばしたところで届く距離ではない。
「……なぁアル、尾は動くか?」
『ん? あぁ、なんとかな』
アルは力なく尾を揺らす。
魔獣であるアルは僕達人間よりもこの呪術の影響を強く受ける。
ぐったりと倒れたアルの体を抱き締めながら、僕は尾を格子の隙間から外へ出した。
「よし、見張りはいねぇ、今のうちだぜ」
『少し黙れ……駄目だ、届かん』
黒蛇は机の足にギリギリ届かない、ここから見てこぶしひとつ分の距離だ。
「くっ……あっ! 雪華! ロザリオ貸してくれ!」
「えっ? は、はい。」
雪華からロザリオを受け取り、黒蛇に咥えさせる。
鎖の部分を噛ませ、十字架の部分で鍵を叩き落とすという作戦だ。
『聖遺物か、こんな物に触れたくはないのだがな』
黒蛇は鎌首をもたげ、机の角に向かってロザリオを振るう。
キィン、と高い音がして鍵が床に落ちた。
黒蛇はそれをロザリオで器用に引き寄せ、咥えて帰った。
「ぃよしっ! やったぜ!」
セレナは黒蛇から奪い取るように鍵を受け取り、牢屋の扉を開いた。
錆びた鉄の擦れ合う嫌な音が地下室中に響き渡り、見つからないように僕達は物陰に隠れつつ進むことにした。
その途中で大剣と弓を見つけ、音を立てないよう慎重に持ち出した。
地下を出る階段は容易に見つかる、地下以外にはあの呪術陣はなく、体の調子が戻る。
「なーんだ、城中にあるわけじゃねぇんだな」
人気のない城内を隠れながら進み、出口を探す。
その途中でいかにもという大きな中央階段を見つけた、見張りの兵は居ない。
「……行くか? 多分あの先に王がいるぜ」
「…っ! 倒しましょう! 許せませんよ!」
「え、大丈夫なの? 魔王ってくらいだからきっと凄く強いよ?」
『……気配は無いな』
「居ないのか?」
「なら逃げようよ、倒すのは色々整えてからじゃないと……」
セレナは大胆に階段の真ん中を通って上階へ。
ここにもやはり人はいない、豪華な玉座が主の帰りを待っている。
しばらくの間探索していると、階段を上る足音が聞こえてきた。
僕達は一目散に大きな玉座の後ろに隠れた。
「……見つかってねぇよな?」
「しっ、静かに」
「狭い……」
そっと頭を半分ほどはみ出させ、足音の主を探る。
宝石が散りばめられた王冠を被った男だった。
その体はでっぷりと太り、何重にもなった顎が首を隠していた。
その後に続くのは痩せ細った老人だ、雪華は彼を大臣だと言った。
『ふぅ〜、のう大臣。近頃税の取り立てが甘いのではないか?』
「で、ですが王、今の税は従来の五倍ですよ? あまり釣り上げても集まりませんし、国民が反乱を起こすやも知れません」
ドンッ! と王は玉座に勢いよく飛び乗った、ミシミシと音を立てて今にも壊れてしまいそうだ。
『黙れ! 私に逆らうか! 誰か、誰かこの無礼者を打首にせよ!』
「お、お許しください、私は……」
地響きのような足音を立て、斧を持ったオーク達が階段を駆け上がる。
思わず飛び出しそうになるセレナを押さえ、じっと機会を伺う。
またあの呪術を使われるわけにはいかない。
だがあの大臣を見殺しにするというのも……
大臣が押さえつけられ、オークが斧を振り上げた瞬間。
異常な冷気が城を襲った。
『な、何じゃ何じゃ!』
オーク達は大臣を投げ捨て、階段を見やる。
床を走るように氷が広がり、オーク達の足を床に縫い付ける。
黒い革製のガウンと手袋、つばの広い黒の帽子、鳥の嘴の形をした白いマスク。
階段を上ってきたのはそんな格好の不気味な者だった。
「し、神父様!? ……へっくち!」
「さ、さっみぃ……!」
アルは翼で僕を包み込み、体を擦り寄せた。
少女達はこっそりと玉座の影から這い出て、近くの柱の影に移った。
『な、何者じゃ貴様!』
「………雪華……は?」
『な、何じゃと?』
「雪華、は……何処?」
神父が王にゆっくりと歩み寄る、王を守る筈のオーク達は一歩も動かない。
呼吸の揺れもない、完全に凍りついている。
神父の背後に氷の壁が築かれ、尖った氷柱が王に向けて生成されていく。
僕の腕ほどの太さになったそれは王へ発射された。
大理石の床を削り、玉座を撃ち抜いた。
頭を抱えて身を低くし、僕は目を閉じて氷柱の弾丸が撃ち終わられるのを待った。
「雪華……何処?」
「神父様! 神父様ぁ!」
王を穴だらけにしても神父はまだ冷気を収めず、ふらふらと雪華を探した。
雪華は柱の影から飛び出て、寒さをものともせず神父に抱きついた。
「雪華……無事?」
「はい! 無事です!」
「そう……他の子達も居るの?」
様子を伺いつつ影から這い出た僕達を見て、神父はようやく冷気を収めた。
氷の壁は消え、寒さもマシになる。
オークは氷漬けのままだ、知らなければ氷像にしか見えないが、金を積まれても飾りたくない。
「良かったぁ、連れて行かれたって聞いてびっくりしたんだよ」
「え……? 誰かが私達の事を伝えたのですか?」
「誰かは知らないんだけどねぇ、雪華の知り合いじゃないかなぁ」
鳥の嘴型のマスクを外し、神父は僕達を一人ずつ抱き締めた。
こんなふうに大人に抱き締められたのは旅に出てから初めてで、何故だか泣きそうになる。
アルも黙って抱き締められ、そのまま頭を撫でられていた時だ。
王の体から緑色の液体が漏れ出ているのに気がついた。
それを見たのは僕だけだ、他の人達は皆後ろを向いていて気がつかない。
その液体は地に落ちた斧を拾い、その体に取り込んだ。
嫌な予感がして僕は咄嗟に叫ぶ。
そんな真似をしたからなのか、液体は僕に向かって斧を投げた。
だが、それが僕に当たることはなかった。
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