第64話 血が流れているのなら


その後のベヒモスの行動が僕には容易に想像出来た。

次の瞬間には自分でも驚くくらいの大声が出ていた。


「セネカさん! 逃げて!」


『へ? うわっ! ちょっと……やめてくれないかな、それ』


僕の予測通りにベヒモスはセネカに向かい突進した。

セネカはそれを真正面から受け止めている。

僕から見えるのは黒と赤の大きな翼だけだ、どうやって止めているのかは見当もつかない。


『そのまま行ったらさぁ……ヘルシャフト君に当たっちゃうだろ? ダメだよ、ヘルシャフト君は人間なんだからさぁ』


黒い翼の奥から真っ赤な液体が吹き出す。

アレは、どちらのモノだ。

吹き出した血はセネカの元へ集まり、固形となっていく。

剣のようなそれはセネカの背丈を優に越し、それでも尚大きさは増していく。


『人間には優しくしなくちゃ』


セネカはそれを軽々と振るい、眼孔に突き刺すと獣の皮を剥ぐように振り抜いた。

大気を震わす痛みの悲鳴と、地を染める大量の血。


『前のボクみたいに、ううん、前のボクよりも脆いんだから』


ベヒモスの血は流れたそばから吸い取られ、セネカの振るう剣へと変わる。

自分を傷つけるたびに巨大化していく武器を見るのはどんな気分なのだろうか。

いや、もう見えていないのか。


『大事に大切に守らないと、ね』


ベヒモスの首が飛ぶ。

だが、まだ、それでも体は突進をやめない。

セネカの振るう血の剣の長さはもうベヒモスの体長を越していた。


『それが出来ないなら、ボクのご飯になってよ』


剣を横に向け、ベヒモスに振り下ろす。

鈍い水音が響いて、剣も消えていく。

後に残ったのは巨大な骨とズタズタの分厚い毛皮だけだった。



地に降りてベヒモスの残骸を眺めていると、アルが飛びついてきた。

少女達も僕に走り寄って、その様子をクリューソスは馬鹿馬鹿しいとでも言いたげな目で眺めていた、


『危険な真似を! ダメだと言ったのに!』


「大丈夫だったじゃないか、倒したし」


『そういう問題ではない! ヘル、いいか? 貴方は魔物使いであって、戦士ではない。体が丈夫な訳でも傷がすぐに癒える訳でもない』


「分かってるよ」


「そーそー、倒したんだからいいじゃねぇか。怪我もねぇみたいだしな、カッコよかったぜ、ヘル」


「ありがとう。僕いらなかった気もするけど……」


まだまだ叱り足りないと唸るアルを抱き締めて機嫌をとる。

それは案外上手くいって、アルは黙って尾を揺らし始めた。


「な、なぁ……遺跡の調査は?」


ヴィッセンは遠慮がちに手を挙げる。


「穴も残ってないぜ、諦めなおっさん」


「そんな! 大学クビになったらどうやって生活したらいいんだ!」


「骨でも持っていけばいいんじゃねぇか?」


「骨……か、専門外だけど、古代の生物と見てそこからなんとか……」


巨大な骨を軽く叩き、何かを調べ始めた。

あの骨を持ち帰るのは不可能だと思うのだが。


トン、と頭に何かが落ちてきた。

コウモリだ、いつも以上に丸くなっている。

目を閉じて体から力が抜けている、静かな寝息が耳に届いた。


まるで夜明けのように、しばらくぶりに地上に日光が降り注ぐ。

日食が終わったのだ。

欠けていた太陽は元の円に戻り、影に沈んだ砂漠は光のもとへ返された。

何もかもがいつも通りで、先程までの危機など嘘のようだ。





街に戻り、ヴィッセンから護衛代を受け取る。

獣の骨は砕けた物を見つけてそれを持ち帰ったらしい、この後大学で生物学の教授に解析を頼むのだと。

学会で成功しますように、と社交辞令に近い別れを告げて宿に戻った。


「結構貰っちまったな、アタシそんなに活躍してねぇけど」


「そんな事ないです、犬の時とかすごく頼もしかったですよ!」


「雪華も骨の時とかすごかったぜ? どうやってんだよあの氷」


広間に集まり、少女達と遅い昼食をとる。

窓からの眺めもいつも通りで、日中に人は少ない。


「アレは私の師匠……神父様に分けて頂いたものなので、私はあまりよく分かっていないのです」


「分けるぅ?」


「はい、神父様はとても優しい方でして」


「そうじゃなくてよ、何を分けたんだ?」


「さぁ……力、ですかね?」


薄っぺらい肉の挟まれたバーガーを食みながら、少女達の会話に耳だけを参加させる。

アルはもう食事を終え、僕の膝に頭を乗せて寝息を立てている。


「力って……お前なぁ、もうちょいちゃんと聞けよ」


「うぅ……すみません、神父様とはあまり長い時間話せないので」


「別に謝んなくてもいいけどよ、つーか話せねぇって?」


「神父様は周囲のものを凍てつかせてしまうのです、人も物も。ですからあまり長い時間そばに居るのは危険で」


その神父の話には少し興味が湧いてきたが、そろそろ部屋に戻らなければ。

アルが完全に寝てしまう、そうなったら僕には運べない。


「僕もう部屋に帰るね、アルが眠そうだし」


「おう、じゃあな」


「またお話しましょうね」


少女達に手を振り、アルを無理矢理歩かせる。

ほとんど意識のないアルに階段を上らせるのには苦労した。


部屋に戻り、アルとコウモリをベッドに上げる。

そっとシーツをかけて頭を撫でる。

眠っている時はやはり一番可愛らしく見えるものだ。


コウモリを乗せていたせいなのか首と肩が重く痛い、凝ってしまったらしい。

首を回しながら浴室へ向かい、砂を洗い流す。

日に焼けた肌に触れる水は心地良い、冷たく染み込んで火照った体を冷やしていく。

だがまだヒリヒリとした痛みはついて回る、タオルで拭うのも嫌なくらいだ。

自分の肌の弱さを実感しつつ、浴室を後にする。


ベッドに腰掛け、ふと窓を見た。

窓が開いている、だが開けた覚えはない。

砂が飛んでくるというのに開けるはずもない。

不審に思いながらも窓を閉じ、カーテンもしっかりと閉じた。

ベッドの二人の体勢は変わっていない、シーツも僕がかけた時のままだ。


再び窓に目をやったその時だ、視界の端から真っ白な手が伸びた。

それは僕を背後から抱き締め、僕の腕を固定する。

耳のそばの髪に息がかかる、背中に柔らかい感触と確かな体温を感じた。


人……腕と背に触れる体から考えて、おそらく少女だ。

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