第49話 半端な効き目


夕食を終え、眠りにつく。

今晩、僕とアルの間にはほとんど会話がなかった。



朝になり、シャワーの音で目が覚める。

アルはこの国での朝風呂をすっかり気に入ったらしい。


『おはよ、ヘルシャフト君』


「セネカさん、起きて大丈夫なんですか?」


朝の身支度をしていると、セネカが起きてきた。今日は少女の姿をしている。

特に体調が悪そうには見えないが、それは昨日もずっとそうだった。


『へ? 何が? 別になんともないけど』


きょとん、という言葉がこれほど似合う表情はない。

可愛らしくも丸い目を更に丸めて、僕を見つめた。


「何がって……もしかして、覚えてないんですか?」


『えっと、ボク何かしたの? どっかぶつけたとか?』


「倒れたんですよ。本当に大丈夫ですか? また姿変わってますし」


大丈夫か、なんて聞いてはいるが大丈夫ではないのは分かっている。

元気そうに見えていてもそれを信じてはいけない。

平気だと言っていてもそれを信じてはいけない。


『え? 本当に? うっわぁ……ごめんね、いつ倒れたのか全然分かんないし、いつ変わっちゃったのかも分からない』


「レストランを出て、呪いの話をしていた時に倒れました。覚えてますか?」


『うーん? 呪いは必要だとか言ったような』


「だいたい合ってますよ。記憶は大丈夫そうですね」


ひとまず安心……だろうか。

朝食は宿の主人が運んできてくれた。

セネカは平謝りしていたが、主人は何の反応もなく去っていった。


『そろそろクビかなぁ』


パンを齧るセネカの羽はこれでもかと垂れ下がる。

クビにはならないだろうと言うべきだろうか。

だがその理由は言うべきではない、僕はそう考えて黙っていた。




昼、お勧めの店があると宿を連れ出される。

体調を気遣って今日は出かけないでおこうと思っていたのだが、本人に言われては仕方がない。

外に出る頃にはまた男の姿に変えていた。

姿が変わるのは調子が悪いからなのか? 変身に伴う魔力消費を考えると心配で胸が張り裂けそうだ。


「本当に大丈夫なんですよね」


『平気だって、今日は調子いいから!』


「昨日も元気そうだったじゃないですか」


事の重大さを理解していないように思える。

いや、もう諦めているのか。


『ここだよ、ここ! 一番人気!』


そう言って指差すのはポップな看板を掲げた小さな店。

クリームや果物の甘い匂いが漂い、行列が出来ている。


「クレープ屋……ですか?」


『そうそう、甘いの好き?』


「大好きです!」

『好かん』


アルは不機嫌そうだが、そんなことは気にしていられない。

急いで列に並ぶ、僕はアルと違って甘い物に目がない。

セネカは店外で待っていると言い、アルは僕に着いてきた。

アルにはセネカを見ていて欲しいのだが、アルがそれを承諾するはずもない。



少しずつ少しずつ目の前の人が減っていく、たまらない高揚感だ。

あと三人程で僕の番が来るというところで、ふと店外に目をやった。


セネカが誰かと話している。いや、揉めている。

あれは誰だ?

黒づくめの男、マントの裏地の血のような赤には見覚えがあった。

昨日の不気味な男だ、領主の息子だとか聞いたあの男。

名前は……確か、アンテールだったかな。


『お待たせしましたー』


高い声に振り返る。

営業スマイルを貼り付けた店員は、僅かに訝しげな目で僕を見た。

恥ずかしさで俯いて手早く注文を済ませ、店を出る。


『離してくださいよ、痛い……引っ張らないで!』


セネカの羽を掴んでアンテールは楽しそうに笑っている。

意味の分からない光景に唖然としつつも、セネカの元へ急ぐ。


「うるせぇな、要らねぇだろこんなモン」


『要らなくったって痛いものは痛……あっ!?』


「ははは、面白ぇ。これは? 要んの?」


『やっ…だ、離してください!』


下品に笑う男はとうとう角まで引っ張り出した。

アルにクレープを渡し、止めに入る。


「人間……てめぇ確か昨日も居たな」


「手を離してください」


「てめぇにゃ関係ねぇだろ。失せろ人間」


アンテールはあからさまな敵意を僕に向けている。

それに気がついたアルは警戒の姿勢を取り、アンテールに対して威嚇を始める。

だがアンテールそれを気にする様子はない、今までの言動といい、やはりこの男は人間ではないのでは──


「 離 せ 、って言ってるんですよ」


「痛っ……!? てめぇ、何しやがった」


アンテールは頭を押さえて僕を睨みつける、もう片方の手はセネカの羽を掴んだままだ。

当然の事ながら僕は何もしていない、ただ声を発しただけだ。


「気持ち悪ぃ声しやがって、耳が痛くなるっつーの」


声? 僕の声がなんだというのか。

いや、今はそれを気にしている場合じゃない。


「 手 を 離 せ 」


一瞬だけアンテールの目から光が消え、するりと手が下がる。

セネカはその隙に逃げ出し、僕の後ろに隠れた。

アンテールは眉間に皺を寄せて獰猛な肉食獣のような唸り声をあげる。


「人の体勝手に動かしやがって……覚えてろよ」


不機嫌にマントを翻して去っていく。

ありきたりな捨て台詞を吐くその姿はどこか無様だ。

黒い後ろ姿を眺めていると、背後で歓声が上がる。


『すっごいよヘルシャフト君! 何今の! どうやったの!?』


「僕は……別に何も」


はしゃぐセネカとは対照的に僕は困惑していた。

何か特別な事をした覚えはない、アンテールが自ら手を離したのだ。


『謙遜しなくていいって、アンテールさんの手を……なんかこう、なんかしてたじゃないか!』


「なんかって……僕は、近づいてもいないのに」


黒蛇に咥えられたクレープが眼前で揺らされ、今まで忘れていたクレープの存在を思い出す。

渡しておいて忘れるなとでも言いたげに不機嫌に尾が揺れた。

たっぷりのクリームを味わいながら、アルの尾に腕を引かれて歩き出す。


「僕はなんにもしてないのに」


『ホントに? 念力的な何かじゃないの?』


アルが呆れ気味に、そして少し馬鹿にしたように笑う。


『貴方は自分の特別な力をお忘れのようだ、魔物使い様?』


『魔物使い!? すごい、ホントに居るんだ!』


おとぎ話だと思っていたとはしゃぐセネカを落ち着かせ、疑問を呈する。

アンテールは人間ではなかったのか、と。

そして魔物ならばもっと早い段階で僕の言うことを聞くのではないか、とも。


『気配は人間、見た目もそう。だが微かに血が匂う。ダンピールと言ったところか? 昼間に現れるとはな。魔力もそうだが弱点も薄まっているらしい』


『ダンピール……ああ! 思い出した! そうだよ、領主はヴァンパイアだ!』


パタパタと機嫌良さそうに羽が揺れる、微かな風を感じながらアルを見つめた。


「ダンピールって?」


『混血だ。吸血鬼と人間のな』


「へぇ……だから効き目微妙だったのかな」


魔物の血が半分ならば魔物使いの力が効き辛くもなるだろう。

思わぬ能力の抜け目を見つけた。頭の片隅くらいには置いておくべきだろう。


『人間だと思ってたよ、まさかダンピールだとは思わなかった。通りでやけに力が強いと思ってたんだ、いっつも全然抵抗出来なかったし』


『貴様は人間にも負けそうだがな』


そんな談笑をしていると、ふと誰かの視線を感じる。

不意を打って振り返るも、視線の主らしき人影は見当たらない。

僅かの気味悪さを心の底に残しながら、僕はそれを押し隠して二人と笑いあった。

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