第9話 セリウス・マイウス・ユスティニアヌスについて

 カスケイオスは神官長ポネロに呼ばれて、神殿裏手の神官たちの居室がある建物に向かっていた。

 話が話だけに、外部から最も離れた神官長の私室で協議を行ったようだ。

 今夜の祈願祭(スプリカティオ)には貴族たちが多数参加した。その中に今回の企てに荷担した者もいる。彼らが額を合わせて今後の進退について考えている姿が目に浮かぶようだ。事なかれ主義でこれまでいいかげんに帝国の執政に関わってきた者たち。執政に発言する権利が失われてものん気に構えていた彼らも、自分たちの所領が踏みにじられれば重い腰を上げるらしい。しかしその姿勢は未だ及び腰だった。


 神託の儀式には、承認として元老院議員が六人立ち会わなくてはならない。その六人と神官長が口裏を合わせて今回の偽の神託を下した。

 その際にカスケイオスも意見を乞われたので一応発言している。皇帝の妃などというゆるい指名の仕方では逃げられてしまうかもしれない。だからはっきりと名指しすべきだと。

 しかし神託とはあいまいなもの。名指しすれば疑ってかかられてしまうかもしれないと恐れてあいまいなまま通した。


 結果がこれだ。


 けれど元老院のお歴々は自分たち以外にも神を謀(たばか)る者が存在するなど考えつかなかったのだろう。だから彼らはまだまだ危機感が足らないのだ。

 アントニウス・アレリウスに信心などあろうはずがない。きっと神意ですら自らにとって都合のよいものに捻じ曲げる。


 満月の明かりだけを頼りに、石畳でつながった道を、憤懣やるかたない思いをもてあましながらカスケイオスは急いだ。そこに近寄ってきた者がいる。


 帝国人によく見かける凡庸な顔立ちをした青年だ。目尻が多少下がっているためにりりしさに欠ける。くせのない黒髪で、額に組紐を巻いていた。

 セリウスの従者イケイルスだ。


 イケイルスはカスケイオスと歩調を合わせ、耳元に口を寄せた。

「セリウス様を神殿に留め置かれるようにと。あとはカスケイオス殿の裁量に任せるとのことです。連絡を取ってから行動するのでは間に合わないこともあるだろうからと」

 カスケイオスは苦笑する。予想通りの指示だった。下手に動き回られては今回のようなことになるかもしれない。監視できる範囲内に留めておくのがいい。


 指示を送ってきたのはティティアヌス・マイウス、セリウスの叔父であり、セリウスを養子として引き取り世俗に戻した。セリウスには内緒で、カスケイオスはずっと以前からティティアヌスと連絡を取り合ってきた。

 セリウスは歳差を越えた友情だと思っているようだが実は違う。ティティアヌス・マイウスに言われて意図して近付いたのだった。セリウスを密かに護り、教育をほどこすために。


 セリウス・マイウス、本来名乗るべきはセリウス・マイウス・ユスティニアヌス。先々帝の末子にあたる。

 恐怖政治で帝国民を震え上がらせた先々帝は、晩年に名門貴族マイウス家から家長の娘を妃に娶った。そうして生まれたのがセリウスだった。

 セリウスが生まれた頃、老齢だった先々帝は饗宴の最中に倒れそのままこの世を去る。そのあとを継いだのが、後継者に指名されていたセリウスの異母兄だった。セリウスとは親子以上に年の離れたこの異母兄は、残忍なのか単に臆病者だったのか、兄弟がありもしない陰謀を企てていると主張し、地方に幽閉したり処刑したりした。セリウスは祖父であるマイウス家の家長により、叛意なしとの意思を示すために赤子のうちから神官にすべく神殿に預けられた。


 元老院の重鎮トリエンシオスの庇護厚いエゲリア・ラティーヌ神殿に預けられたセリウスは、神官になるための教育を受けながら育った。

 しかし異母兄が数年で亡くなり、その息子が帝位に就くと状況が変わってきた。政治的手腕も指導力もない気弱な皇帝は、妃の父親で名門貴族の家長を優遇するようになった。

 政治の実権を任せ、妃の父親の言いなりになる。そしてとうとう皇帝補佐という皇帝の権威を著しく損なう役職まで設けてしまった。

 それをいいことに、妃の父親は好き放題に政治を執った。現皇帝の妃はみな短命で、若くして次々とこの世を去った。新しい妃が立つたびに権力の座は移り、政治は二転三転し執政は混乱した。

 四人目の妃リウィアは若く健康で、妃になってから六年の歳月が流れた。アントニウス・アレリウスの采配の下で執政は一応安定したが、臣下が好き勝手に政治を行う状況に変わりはない。


 これを憂いた者たちが、セリウスを帝位後継者として立てるために動き出している。全てを極秘に行うために、セリウス本人にもその計画は秘密にされた。セリウスは何も知らないまま神官になるべく勉学に励む。


 しかし皇帝に必要な知識がないのでは困る。知恵の女神エゲリアの神殿は学問を学ぶための神殿だが、学問とは哲学や数学のことで、帝国の歴史や仕組み、世俗でどんな戦争が行われているかまでは教えはしない。そういった神殿では学べないことを、別の者が教授する必要があった。しかも教育を施すことを味方以外、セリウス自身にも気取られるわけにはいかなかった。

 そうして送り込まれたのがカスケイオスだった。セリウスと親しくなるべく接近し、兄貴風を吹かせて様々なことを教え込んだ。


 セリウスは成人である十八歳になったと同時に、叔父ティティアヌス・マイウスに養子として引き取られ世俗に戻った。セリウスの父親から帝位は三代を数え、セリウスはとっくに後継者候補から外れているとみなされていた。

 それこそが狙いだった。帝国に忠実な臣下として功績を挙げさせ、かつてルクソニア帝国皇帝が先頭に立って兵を率いていたように立派な指揮官に育て上げる。現皇帝に未だ後継者はない。誕生したとしても皇帝の血筋を引き、率先して帝国を守る帝国軍総指揮官(レガトゥス・レギオニス)を無視することはできまい。


 敵を欺くためセリウスに秘密にしてきたことが、本当によいことだったのかどうか。

 アレリウスがセリウスを生贄引渡しの使者に立てたのは、こちらがセリウス相手に強く出られないと知っているからだ。

 セリウスでなくアレリウスの陣営の者だったら責任を追及していた。

 しかしセリウスはこちらの陣営の旗頭にもなろうという人物、下手に責任を被せるわけにはいかない。多分アレリウスはこちらの思惑をかなりのところまで読んでいる。その上でセリウスを生かしておいて利用したのだ。


 セリウスを世俗に戻した段階で、セリウスを帝位に就かせようという動きがあることを疑われることは仕方なかった。

 本当の問題はセリウス当人だ。神官教育が思いのほか色濃く染み付いてしまっているようで、清廉潔白を重んじ策略を厭う。政治の駆け引きに馴染めず、今回のように簡単に策略に引っかかる。


 セリウスは現在西の防衛線を守っているのも、アントニウス・アレリウスにしてやられたようなものだった。三年前のタウルス防戦にて劇的な功績を挙げたセリウスが煙たくなって、なかなか戦闘の起こらない地域の守備を命じたのだった。その任務を、セリウスは馬鹿正直に遂行しているというから頭が痛い。

 実際セリウスの戦いの才能は味方にとっても予想外だった。現在その能力が帝国各所で求められているというのに、そのことに当人まるで気付いていない。


 そろそろ自分の立場を理解できるようになっているのではと思って、今回の謀略を打ち明けてみれば、頭っから拒絶を示した。国一つ治めるにはきれいごとだけではやっていかれない。この調子で本当に帝位に就けるのだろうか?


「了解しましたと伝えてくれ。……それにしてもあの馬鹿、アレリウスの思惑にまんまとはまりやがって」


 イケイルスはぷっと吹き出した。カスケイオスはじろり睨む。

「何だ?」

「いえ……セリウス様を馬鹿呼ばわりとは」

「無礼にもほどがあるってか?」

「いいえ。よっぽどかわいがっておいでなのだなあ、と」


 カスケイオスは口を曲げて片眉を上げた。

 本人がいない今、友人の振りをする必要がない。

 それなのに軽口が口を突いて出るということは、イケイルスの言う通りなのだろう。


 図星を差されて渋面を作ったカスケイオスだったが、気持ちを切り替えて間もなく到着する協議の場に意識を集中した。

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