第8話 ラティナの危機 後

 カスケイオスは、この場の緊張を解すかのようにため息をついた。


「とはいえ、キニスリー族はラティナを見下ろす丘を占領した後、攻め入ってくる気配はない。数は数百人ほどだが、簡単には追い払えない」


 セリウスは口元を引き締めた。

 たかだか数百とは言えない。ラティナは数千人都市だがその多くは民間人で、兵士の数は神殿兵を合わせても千人に届かない。キニスリー族は戦闘力が高い上に、丘の上に陣取られたとあっては追い払うのはまず無理だ。

 キニスリー族も、堅牢な城塞に守られているラティナを攻めあぐねているのだろう。


「悪い話はまだある。タウルスと対峙しているキニスリー族の動きが活発になっている。近々大きな戦いが起こるかもしれない。キニスリー族はラティナがタウルスに援軍を送れないようにするため、ラティナを見下ろす丘を占領した可能性もある」


 ラティナとタウルスは隣接するために、一方の都市が攻撃されたら、もう一方の都市が援軍を出すのが習わしになっていた。そうして幾多の危機を乗り越えてきたのだが、カスケイオスの話から推測するに、タウルスに援軍を送れば、丘にいるキニスリー族がラティナを襲うだろう。援軍を出したラティナでは、数百のキニスリー族からラティナを守ることはできない。


「……ラティナとタウルス両方を守るには、距離がありすぎるし兵の数も足りない」

 セリウスがつぶやくと、カスケイオスは大きくうなずいた。

「そうだ。そして一方でも陥落すれば次は首都だというのに、アントニウス・アレリウスはその辺のことがわかってない。一度も戦場を見たことのないお偉いさんには、戦争は言葉で一つで自在に操れるものにすぎないのさ。そんな奴が首都でぬくぬく暮らしながら戦場に口をはさんでくる。過去の栄光を取り沙汰して帝国は無敵だ負けるはずがないとな!」

 カスケイオスは怒りも露わに吠え立てた。よほど腹にすえかねているのだろう。


 けれどそれとこれとは別だ。

「しかし神と皇帝陛下をたばかるなんて……」

 偽った神託を皇帝に伝えたのなら、皇帝をも偽ったことになる。どちらも許されざる大罪だ。


 なのにカスケイオスは罪に呵責を覚えることなく語る。

「アントニウス・アレリウスを権勢の座につなぎとめているのはアレリウスの娘である皇帝妃リウィアだ。リウィアが妃だから、皇帝はアレリウスに権力を預けるんだ。ならば皇帝とアレリウスを結ぶ線であるリウィアさえいなくなれば好き勝手できなくなる。時が経つほど、キニスリー族とボイー、エクサン族は結びつきを強くして強大になり、我々はますます不利になっていく。首都に攻め込めるほどの勢力を持たれてからでは遅い。我々には手段を選んでいられる余裕は最早ないんだ」


「だからといって神託を偽るとは。このことをポネロ様はご存知なのか?」

「ああ。長く悩んでおられたが、最終的にはご自身の意思で協力してくださった」


 セリウスは呆然とする。

 エゲリア・ラティーヌ神殿神官長ポネロは誠実で人徳のある人物で、セリウスもこの方のようになりたいと目標にしていた。神託は神官長が神より託され人々に伝えるものだが、ポネロ様のような方が陰謀に荷担しているなどとは思いたくなかった。


「ポネロ様とて苦渋の選択だったんだ。ラティナも一度奴等に襲われている。そのとき城壁を数箇所たやすく崩されてしまった。幸い都市の中まで攻め入ってはこなかったが、いざとなれば簡単に侵略できるぞと脅していったんだ。住人は震え上がって守備隊に志願する者は減るし、崩された城壁の修復は進まない。これ以上恐怖がつのったらパニックになる。帝国の守護神にして旧都ラティナの守護神でもある女神エゲリアは、守護している都市の危機を見過ごされることはないだろう。このラティナのためならば偽りの神託を下すこともお許しくださるだろうとポネロ様もお考えになり、決断してくださったんだ」


 セリウスはうなだれるしかなくなった。蛮族の脅威は、戦場で対峙したことのあるセリウスも身に染みて理解している。恐怖する人々を責められない。そんな人々を守ろうとする者たちも。


 言うべき言葉を失ったセリウスに、カスケイオスが不意に訊ねた。

「それでお前は何でこの件に関わっているんだ?」


 セリウスは物思いから我に返り、視線を逸らしながら答えた。

「皇帝陛下より緊急の呼び出しを受けたんだ」


 西の大河ノールス川を挟んだ防衛線で蛮族と対峙しているところに伝令が飛んできて、急ぎ首都へ帰った。そこで皇帝補佐アレリウスから命令を受けた。帝国守護の祈願祭(スプリカティオ)に人の娘が生贄がささげられることになったため、ふさわしい生贄を求めて来いというものだった。

 元神官見習ということから、神に仕えていたことのある目を見込んでのことだと説明された。


 そのことを話すと、渋面を作って聞き入っていたカスケイオスはテーブルを大きく叩いた。

「馬鹿かお前は! 利用されたんだよ。お前が身代わりを連れてきたということを盾にリウィアを差し出さなかった罪をお前になすりつけようって魂胆だ。リウィアを一時的に廃して新たに妃を立てたことさえお前の入れ知恵と言われかねないぞ!」


 未だ置かれたままだった杯が倒れて転がり、テーブルの上からぶどう酒が滴り落ちる。

 セリウスは苦渋の面持ちでそれを見つめた。


 きっとそういうことなのだろう。生贄のための一旦偽りの妃を立てておいて、その妃を生贄に差し出したから再び妃に就けたという話をでっちあげたはずだ。きっとリウィアは片時も皇帝陛下から離れてはいない。


 自らの失態は認めるけれど、一方的に責められるいわれはなかった。

「私だって何かおかしいとは思っていたさ。しかし私に他に何ができたという? 私は若輩の貴族でしかない。そんな私が皇帝補佐殿に逆らえるわけがないだろう」


 わずかなにらみ合いの後、どちらからともなく視線を外して深いため息をついた。カスケイオスは頭をかきつつぞんざいに言った。

「お前が連れてきた娘の見張りは、お前自身に任せた」

「何?」

「殺されるかもしれないというのにおとなしくしている奴はいないだろう。逃げ出したり、恐怖に耐えかねて自害するかもしれん」

 顔をしかめてセリウスは問い直した。

「何故私が見張りをしなくてはならない? 大体私には指揮官の任務が」

「神殿には余計な人員などおらん。今回の失策で皆おおわらわだからな。生贄の移送は皇帝の名前で命じられたのだろう? だったら最後まで責任を持つのも任務のはずだ」


 理で詰められてセリウスに言葉もない。カスケイオスはそっぽを向いて否は聞かないという態度を取った。不本意だが引き受けるしかないかとため息をつきかけたセリウスは、その必要はないのではないかということに思い当たる。

「だいたい、神託が偽りであるのならば、あの娘を生贄にする必要はないのではないか?」


 カスケイオスは険しい顔をした。

「今神殿の主立った方々が、あの娘の扱いに関しても話し合いをしている。多分、あの娘は神託の条件を満たしているということで受け取るしかないだろう。偽りの神託だったとバラすわけにはいかないから、あの娘を生贄にするしかない」


「そんな! 偽りの儀式をすることに何の意味がある!」

 いきり立つセリウスに、カスケイオスは冷ややかな目を向けた。

「神託が偽りだったと知られれば、偽りの神託を下したポネロ様はその罪を問われるだろう。アントニウス・アレリウスはこの件をすみずみまで調べ上げて、荷担した者全てを処分するに違いない。元老院の重鎮トリエンシオス様もこの件に荷担しておられる。トリエンシオス様がおられるから元老院は皇帝補佐一派一色にならずに済んでいる。もしトリエンシオス様が失脚されたら、アントニウス・アレリウスを牽制できる者は誰もいなくなる」


 それはセリウスも危惧するところだ。今でさえアントニウス・アレリウスの専横が帝国に悪影響を及ぼしているのに、抑止力となっているトリエンシオスが失脚したらますます手をつけられなくなる。皇帝でさえもアントニウス・アレリウスの言いなりで、他の者の言葉もろくに聞き入れないのだ。


 カスケイオスが不意に話を逸らした。

「アレリウス家は一応名門貴族とはいえ、建国当初の序列が低くて首都の邸宅は今の地位からすると小さすぎる。開発され尽くしてぎゅうぎゅう詰めの首都に大邸宅を建てられる空間なんてない。かといって自分のためだけに区画整理して土地を空けることなどできないし、地位は得たものの貴族の格を現す邸宅は小さいまま。さぞ屈辱だろうな」

「いったい何の話だ、カスケイオス?」

 不審げに眉をひそめるセリウスに、カスケイオスは暗い笑みを向けた。

「ままならない首都ならいっそなくなってしまえばいいと考えているかもしれないな。幸い首都南の都市クロディウスには、アレリウス家の本宅ともいえる大邸宅が都市の中央地区に建っている。クロディウスでならアレリウス家は帝国第一の名門貴族を名乗ることができる。──いや、すでにあの男の頭の中ではルクソニア帝国という名前が削除されているかもしれないぞ?」


 あり得ない話ではない。


 セリウスはぞっとし、そして激高した。

「戦争は思い描いたとおりに進んでいくほど容易なものではない!」

「あの男は戦争を知らない。知らない者の頭の中は子供のように無邪気だ」

 カスケイオスの瞳に帝国滅亡の予感を見る。

 背筋に悪寒が這い登り、セリウスは崩れそうになった体をかろうじてテーブルに手を突いて支えた。

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