第6話 生贄

 ニカレテの店を出たのは太陽が天頂に差し掛かる頃だったのに、草原を駆け抜ける馬上から見る景色は夕日に赤く染め上げられていた。赤い日差しに目がかすんで、ろくに景色は見えなかったけれど。


 馬を駆る男たちは皆無言だった。

 これからどうするのか教えてくれようともせず、問いかけを許さない緊迫した雰囲気がある。

 地を蹴り進む馬の背は始終跳ねて、ユノは振り落とされることがないように、たてがみにしがみついていなくてはならなかった。ユノが振り落とされそうになっていても、騎馬の一群はますます速度をあげていく。


 馬の振動を必死に耐えていたユノがふと顔を上げると、正面から月が昇ってきていた。


 東に向かってるんだ。


 それに気付くと、ニカレテにたたき込まれた知識が頭に浮かんだ。

 首都の東を流れるテルム川を越えると、そこは旧世界と言われる都市群の領地となる。

 そのうちの一つである旧都ラティナから移住した人々が首都ルクソンナッソスを築き、ルクソニア帝国を興した。

 帝国拡大初期に併合された旧世界四都市はルクソンナッソスの西を固めるように新たに築かれた三都市とあわせて、建国以来幾たびも攻撃を受けたものの破られたことのない「鉄壁の七都市」と称されている。

 確か首都から真東の方向に旧都ラティナがあるはずだ。


 馬が足を止めたのは、もうすぐ丸い月が天頂に差し掛かる頃だった。

 激しい揺れにユノは途中何度も気を失いかけ、馬から落ちるところだった。降ろされたときには足に力が入らず倒れかける。


 それをユノに手を貸したクラッススが許さなかった。痛いほどに手を握り睨みつけてくる。何とか堪えて自分の足で立つと、薄布を掛けなおされた。手を取られたまま月明かりに照らされた広場を歩く。


 巨石を敷き詰めただけのほかに何もない広場だった。贅沢に広がる平坦な広場には、真夜中なのに大勢の人が集っていた。人が集まれば話し声で騒がしくなるものなのに、漏れ聞く声はほとんどなく、ユノたちに静かに道をあけていく。それは異様な光景だった。夜の冷気も相まって足が上手く進まない。

 それでも足を止めればクラッススに体罰を与えられるとわかっていたので、導く手を頼りに何とか歩を進めていく。


 人々を抜けると長い階段があり、その先に武装した男たちが待っていた。飛びぬけて背の高い、がっしりとした体つきの男が言う。

「遅い到着でしたな」

 それにクラッススが答えた。

「儀式は満月が天頂にさしかかりしときより始められると聞いている。ここで立ち話をしている時間などないのでは? 確かにお引渡しした。我々はこれにて失礼させていただく」


 ユノは意味のわからない男たちの会話より、目の前にある建物に心奪われていた。

 月の光を照り返して、まるで建物自体が光をはなっているようだ。自分の置かれた状況を忘れてユノは荘厳な様を見上げた。


 目深に被った布の奥に光が入る。


 突然薄布が引き剥がされた。

「偽者だ!」

 薄布を掴み取った男が、憤怒の形相でユノを見下ろす。


 驚きと恐ろしさでユノの体はすくみあがった。

「偽者とは無礼な」

 怒声とは対照的に、クラッススは冷静に返した。

「これはリウィアではないではないか!」


 リウィア?

 聞き覚えがあった。確か今の皇帝妃の名前ではなかっただろうか。


 ユノの記憶は正しかった。

 クラッススは姿勢を正し胸を張って告げた。

「アウグスティヌス帝妃リウィア様はやむを得ぬ事情で妃の位を辞され、それゆえこの方が新たに妃となられていたのだ」

 示されたユノは呆然としてクラッススを見上げた。何の話かさっぱりわからない。


「皇帝陛下の妃をエゲリア・ラティーヌ神殿の生贄にと神託があったと伺っています。現時点でこの方こそが妃です」

 生贄?

 衝撃が強すぎて、頭がろくに回らない。

 生贄とは、生きた家畜を神に捧げることではなかっただろうか。儀式を行い、然るべき手順をもって、その命を神に捧げる。首の急所をかき切り、命を絶つことで。


 まだ状況を呑み込めていないユノの目の前で、巨体の男がクラッスス凄みをきかせた。

「神託をたばかるつもりか? 」

「たばかるなどとんでもない。何と言われようと、その方こそがアウグスティヌス帝の妃なのです」

 ひょうひょうと言い逃れするクラッススに、男は激昂した。

「生贄にされることを厭って身代わりを立てただけのことではないか! 神は偽りの生贄など必要としていない!」


 男は背負っていた剣を引き抜いた。男が見据えるのは、言い争いをしていたクラッススではなくユノだった。

 ユノは男の殺気にひっと息を呑んだ。


 男は抜き様ユノに振り下ろそうとする。ユノは足がもつれて後ろに倒れた。逃げなくては思うのに動けない。


 月光を浴びた刀身がひらめき振り下ろされる。

 殺される──!


 ユノの意識が一瞬切れる。


「セリウス、お前!」

 その怒声に、ユノは意識を引き戻された。


 気付けば倒れ伏したユノと巨体の男の間に誰かがいる。はためく緋色のマント。

「カスケイオス、落ち着け! ここは神域だ。儀式を経ずに血で汚すわけにはいかない!」

「セリウス殿、ここはお任せします。我々は報告に帰ります」

「待て!」

 ばらばらと駆け足の音が遠退くのをユノはぼんやりと耳にした。昼間からの緊張と不意に襲った恐怖で、もう限界に近かった。体に力が入らない。


 馬のいななきと蹄の音がみるみる遠ざかっていく。盛大な舌打ちの音がして、どかどかと足音が戻ってきた。

「カスケイオス、説明しろ。神託で陛下の妃が生贄に選ばれたとはどういうことだ?」

 ユノを庇ってくれた男の声がする。その問いに答えるように、息を全て吐き出すような長く大きいため息がした。

「カスケイオス! 」

「神官長ポネロ様に事の次第の報告を。この事態をどう処するか、お集まりの方々と協議して決めていただくように。この娘はどこかに閉じ込めておけ」


「は!」

 男たちがばたばたと駆け出す。ユノは腕を掴まれ引きあげられた。力の入らない足で何とか地面を踏みしめると、転びそうな勢いで引き立てられた。

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