忘却 - oblivion

 灰色の街並みを見下ろして、アレンは白い息を吐き出した。煙草をやめてから数年経つが、あの柔らかな香りが恋しく感じられる。特に寒さの厳しい冬は、煙草の煙の行方を目で追うことで気を紛らわしていた。

 アレンが煙草をやめるきっかけになったのは、彼が個人的に追いかけている人物が煙草を嫌うからだった。名をテオ-シャンといい、今年で二三になる憲兵少佐だ。若くして輝かしい功績を残し続ける彼を、アレンはその士官学校時代から追っていた。

 アレン=オレリックは新聞記者である。六年前、大衆紙〈ラダンジュ〉の一面に『テオ-シャン』の記事を寄せて成功を収めた。それ以降は、鳴かず飛ばずの日々を送っている。

 それは、アレンが陰口を嫌い、希望を持たせるような明るい話を好むことも大きい。それは一見歓迎されることのように思えるが、実際は後ろ暗い話の方が衆目を集めるのだ。アレンは、未だにそれに納得がいっていない。だからこそ、くすむことのない輝きを持つテオを追い続けている。

 それだけではない——アレンは、頬がひりつく感触を覚え、帽子を深くかぶり直した。灰色の髪がかさりと揺れて、赤い瞳が隠される。

 この奇異な外見みてくれは異人の血に由来するものであり、同じく異人の血を引き黒い髪を持つテオに、アレンはある種の同族意識を持っていた。さらに昨今、移民たちが教会アトリアの主導する排斥運動の煽りを受けつつある今、テオのような存在が示され続けることが重要だと、アレンは考えていた。

 とはいえ、それが一方的な個人の感情や期待の押し付けであることも、アレンは理解している。テオもそれを薄々感じ取っているからこそ、アレンを真正面から歓迎しない。

「アレン、」

 それでも、名前で呼ばれる程度には気を許されているらしい、とアレンは振り返った。そこには呆れ顔のテオが立っていた。

「君は日差しが苦手なのだから、店の中で待っていればいいだろうに」

「ごきげんよう、テオ-シャン少佐殿。確かに私は肌がすぐ焼けるが、人並みに日に当たりたいという欲求はあるんだよ」

「今日は曇りだ」

 溜息をつくテオの傍らには、あのコットという補佐官はいない。おやと思っていると、テオは肩をすくめてみせた。

「少尉は仕事だ。私は非番……だが、暇というわけでもない」

「分かってます、分かってます。憲兵さんは市民を守るのがお仕事だからね。でも……」

 テオは平服だ。しかし、黒い軍用外套を着込んでいるその姿は、彼の髪色も相まってよく目立つ。

「葬式じゃないんだからさ。もうちょっと明るい色を選んだらいいのに。せっかくの色男が台無しじゃないか」

 首にかけられた白い襟巻きが余計に沈鬱な雰囲気を醸し出している。アレンがテオの外套の襟を直しつつおどけて見せると、テオは目を伏せて、それでも構わないと呟いた。

「何かあったのかい?」

「いや……」

 テオの歯切れは悪い。アレンはテオの動向を逐一追っているため、イェルスタでの『指輪事件』を機に彼が物憂げな表情を浮かべることが多くなったことに気づいていた。

 『指輪事件』とは、帝国キアランの東端の港町イェルスタで起こった『お家騒動』、ということになっている。前領主バゼルの遺産と囁かれた指輪をめぐり、街中が混乱の渦に飲み込まれ、領主家を含む多くの人間が殺害された事件だ。

 首謀者はバゼルの息子イーダンで、イェルスタに眠る古い兵器を復活させようとしていただとか、帝国キアランへの叛逆を掲げていたという噂もあるが、響導院はイーダンの死によってそれを不問に付している。

 テオはそのイーダンの息子で、『指輪事件』の解決に尽力している。アレンとしては是非とも取材したい内容だったのだが、響導院は『報告書に書かれていることが全て』と言い切り、実質それ以上の深入りはできないことになっていた。

 身内の喪に服しているのだろうか、とアレンは推測するしかなかった。イーダンの企てによって、グラジオ家の人間はオリヴィエとテオの二人だけになってしまった。彼が生家をどう思っているかはわからないが、『指輪事件』が彼の心に暗い影を落としていることは確かだ。

「なんでもない。それより、他に聞きたいことがあるんじゃないのか」

 テオの声にアレンは思索を打ち切った。

「そうだった。じゃ、ゆっくりお茶でもしながら話そうか」

 テオの横をすり抜けて、アレンは喫茶店カフェ〈ローブル〉の扉をくぐる。扉についていた鈴が小気味の良い音を響かせ、カウンターを拭いていた女が顔を上げた。

「いらっしゃい、アレン。今日はそちらの人と一緒?」

「御機嫌よう、ベル。そう、今日は少佐殿とお茶会だ。花の似合う男っていうのは、一輪の花に負けないくらいの魅力がある。もちろん、ベル、君も綺麗だけど——」

「アレン、できれば奥の席に。目立ちたくない」

 〈ローブル〉の店主リンベルを口説くアレンを無視して、テオは店の奥へと歩いていく。

「……少佐。そんな素っ気ないから、周りに人が寄り付かないんだぞ。もっと愛想良くしたら、友人だって増えるだろうに。ベル、紅茶とパンケーキを二人分頼むよ」

 注文を告げて、アレンはテオの背中を追った。テオが選んだ席は、入り口からは柱の陰に入って見えない位置だ。仕切りのお陰で店内からの視線にさらされることも少ない。

「なんだか密談めいてるね」

「大差はないだろう、アレン=オレリック。私たちが今から話そうとしていることは、教会アトリアの一部の人間からしてみれば、ケルスに背くものなのだから」

「確かにそうだ」

 外套を脱ぎ、椅子を引いて、アレンはテオの様子を窺った。一方的に約束を取り付けたというのに時間通りに律儀に来るあたり、彼の性格が表れている。あるいは、彼自身もこの話題に興味があるのかもしれない。

「しかし、なぜ囀旋律ジャジィのことを?」

 などと考えていると、先に席についたテオが小首を傾げた。しようとしていた質問を取られて、アレンは「聞きたいのはこっちなんだけどね」と肩をすくめ、椅子に座る。ほどなくして、リンベルが紅茶の入ったカップを置いていく。

「ごくごく個人的な理由さ。俺の血は、元を辿れば〈砂の民レベク〉に行き着く。自分の中に流れる血に関わることを、知りたいと思うのは自然だろう?」

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残響の四重奏 Echoes’ Quartet 丁字旦 @a9744c

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