テオはコットの嫌いなものを知らない。馬上訓練を苦手としていることは知っているが、『嫌い』ではない。強いて言うなれば『テオに無礼を働く輩』に徹底的に反抗するが、それも『嫌い』とはまた違うだろう。

「……玉ねぎ、嫌いなのか?」

 玉ねぎを手に取ったテオの横で、コットがこれまでに見たこともない渋面を作ったので、テオは思わず聞いてしまった。

 コットと連弾した翌日の昼、テオは市場でコットと出くわし、クラウディアの療養食を作るための食材を買い求めていた。コットも家族から買い出しを頼まれたらしく、一緒に野菜売り場を巡っていたところ、コットが唐突に動きを止めたのだ。

「嫌……い、という、わけでは」

 視線を泳がせるコットは、明らかに挙動不審だった。

 二人とも、いつもの憲兵服ではなく平服を着ている。あまり見慣れたものではないせいか、コットはちらちらとテオのほうを見たり、時折一歩引いてじっと見つめたり、とにかく会ってから落ち着きがないのだが、テオが玉ねぎを手に取った瞬間、表情を変えた。

「……食べられないのです、どうしても」

 視線を逸らして苦々しく言ったコットに、テオは苦笑を返した。あまりこういう話をしないせいか、どこか新鮮に感じられる。テオは代金を店主に渡し、玉ねぎを買い物袋に入れつつ、ふと湧いた疑問を口にした。

「士官学校にいた時はどうしていたんだ」

 テオの記憶では、基本的に食事を残すということは許されていなかったはずだ。体調不良や体質の違いは考慮されるが、野外訓練などでは、残飯は衛生管理上問題になる。日常においても、常に非常時に備え、栄養と熱量を十分摂取するという名目でしっかりとした献立が組まれていたように思う。

 コットはばつが悪そうな表情で、小さく続けた。

「ライオネルに食べてもらっていました……」

 その名は確か、コットの幼馴染みのものだったかとテオは記憶を辿った。コットの同期で、士官学校を首席で卒業した秀才だ。今は憲兵隊を管轄する響導院の楽団におり、宮廷にも上がる予定があると聞いている。しかし、コットほどではないが華奢で繊細な印象を受ける少年だったため、コットが言ったような状況はすぐに思い浮かばなかった。

「コット、他に食べられないものは?」

 テオは興味本位でコットに尋ねた。コットは先ほどよりも長い時間沈黙し、テオと視線を合わせようとしなかった。

「……好き嫌いせずに食べないと、大きくなれないぞ」

「こ、子供扱いしないでください。別にそれほど多いわけではありません」

 頬を膨らませるその仕草は、コットの体格と相まって子供らしさを強調しているのだが、本人は気づかない。テオはそれを微笑ましく思いながら、買い物袋を抱えなおすと、市場を出て屯所の方向へ歩きはじめる。

「隊長は、食べられないものはないのですか?」

 同じく買い物を終えたコットがテオの後を追う。それは意趣返しというよりは、テオと同じく単なる興味であるようだった。ふむ、とテオは考えを巡らせる。

「そうだな……取り立てて嫌いなものはないが、やたらぬめりの多いものは、苦手だな」

「では、お好きなものは?」

 コットの声がわずかに弾む。テオは答えに窮し、階段を降りる足を止めた。

「隊長?」

 訝しむコットを肩越しに振り返ると、いつもより高い位置で視線が合った。それに余計まごついてしまい、声がしぼむ。

「……果物だ」

「甘いお菓子ですか」

「そうは言っていないだろう」

 図星を突かれ、少々むきになってしまう。そんなテオの様子を、コットは飄々と受け流した。

「殿下が仰っていたので」

 テオは昨日のことを思い出した。フェリクスは確かに、テオが好むものを知っている。コットもその場にいたのだから誤魔化しようもない。テオは溜息をついて、降参の意を示した。

「……ご婦人方が好くようなものを好むのは、似合わないか」

 そう言われるから、隠しているのだ。アレン=オレリックが作った『テオ-シャン』は、そういうものとは無縁な世界の人間だ。テオはそれに合わせてやる必要はないのだが、周囲は一度作り上げられた姿のみを追い求める。

 しかし、コットは首を横に振って、照れたようにはにかんだ。

「いえ……あなたのことを知るたびに、嬉しいと思うのです。好きなものや、苦手なものを、もっと知りたいというのは、実のところは嫉妬なのかもしれません。それを喜ばしいという感情で覆い隠しているだけかも」

 半ばひとりごち、コットは視線を落とす。

「欲深くなってしまいました」

 ぽつりと呟いたその表情は、テオが思っていたよりもだいぶ大人びていた。そういえば、コットは十七歳で、立派な大人なのだと思い出す。

 鼓動の波立ちを覚え、テオは一度深呼吸をしてからコットに向き合った。段差があるために、テオと同じ高さに緑の両眼がある。それをまっすぐに見据えて、テオははっきりと言った。

「……私の腹心は、君だけだ。それは変わらない」

 この先、公私ともに近くに置く人間はコット一人だろう、とテオは考えていた。それだけテオにとって、コットは特別な人間なのだ。しかし、コットはそれでは満足できないと言う。

「仕方のない子だ」

 諦めを含んだ声音で、テオは続けた。

「喫茶店に付き合ってほしいということだったか。イルダンテ嬢の病気が快癒したら、そうしよう」

「よろしいのですか?」

 先程までの憂い顔はどこへやら、ぱっとコットの顔色が明るくなる。それにどこか安堵して、テオはつい、本音を漏らした。

「君との時間を作りたいのは、私も一緒だ」

 それを告げた瞬間、お互いの呼吸が止まったように感じられた。コットは目を丸くして、テオはしまったと思いながら慌てて踵を返す。

「隊長、今の、も、もう一度言ってください」

「言わん。……ほら、君の家は向こうだろう」

「多少の遠回りはいといません、隊長」

「寄り道せずに帰りなさい」

 テオもコットも買い物袋を持っているせいで、早くは歩けない。照れ隠しの応酬を繰り返しながら、二人は階段を降りていく。赤い頬は寒さのせいだと、テオは自分に言い聞かせた。

 

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