Pf.

 テオはコットのことが大切だ。自分を慕い、献身的に尽くすコットを放っておけない。

 コットが士官学校に入学してからの動向を、テオは慎重に追っていた。予想通り、コットはがむしゃらに二年間を過ごし、かなりの無茶をして士官学校を次席で卒業した。その姿は入学時とあまり変わっておらず、奏術の行使による影響だと聞いた時に、テオは責任を感じた。

 それがコットの望みだったのだとしても、身を削る必要はない。テオはコットの努力に報いるために、その教官に立候補した。しかし、上層部も人事部も異論を挟まずにことが進んだのは、皮肉にも、奏術が使えないテオの補佐としてコットの能力が評価されたゆえであった。

 だからこそテオは、コットの奏術師としての働きに制限をかけている。それが上層部の意向に反するものだったとしても、テオはそこだけは譲らない。

 テオはコットのことを、とても大切にしている。そう心がけていた。

 胴に回された腕と、背から伝わる小さな鼓動を感じて、テオは目を伏せた。肩に押し付けられた頭が、細い肩が、少し震えている。きっと泣いているのだろうと思うと、テオはやるせない気持ちになった。

 「あなたの近くに居たい」——コットから捧げられたその言葉に、甘えていると言えばそうだろう。うっかり、昔の話などしてしまった。一人で弾くなどと、コットを悲しませるようなことを言ってしまった。

 振り返れば鼻先が触れる距離だ。こんなにも近くにいるのに、傍で支えてくれているというのに、テオだけが寂しさに沈もうとする。それはコットを巻き込むまいと気遣ってのことなのだが、いつも裏目に出てしまうのだ。

 悪い癖だ、とテオは思った。帝都アヴィオルを訪れたあの日から、独りでいようと決めていたのに、あの純粋無垢な緑色の両眼にほだされてしまった。

 穢れた血となじられ、異人の髪だとそしられ、同期の嫉妬と羨望に晒されていたあの日々において、コットの言葉がどれほどテオの心を埋めたことか。そしてそれは今も変わらない。

「……コット」

 演奏をやめて呼びかけると、コットは顔を上げた。はい、と耳元で声がした。

「少し、合わせてみよう。隣へ」

 横にずれ、座る余裕をあけると、コットはきょとんとした顔で鋼琴ピアノとテオの顔を見比べた。

「しかし、私は楽器など……」

「大丈夫だ。好きなように弾けばいい」

「好きなように、と申されましても」

 不安げな表情で、コットはテオの隣に座る。恐る恐る手を伸ばして鍵盤に触れ、ゆっくりと指を沈めると、弱々しく音が鳴った。それに合わせて、テオは静かな和音を奏でる。

「次の音はどうする?」

「え、えっと」

 コットは先程よりも強く鍵を叩いた。テオがそれに続く。繰り返しているうちに勝手がわかってきたのか、コットはテオの指示を受けずとも旋律を整え始めた。それは積み木を組むように、崩れたものをまた積み直し、好きな形を作っていく音楽だった。

「実は、囀旋律ジャジィには前から興味があってな」

 ぽつり、ぽつりとテオは語り始める。

「〈砂の民レベク〉の原型には程遠くとも、我々の持つ楽器で、我々の持つ感性で、『自由な音楽』を奏でたい。それが、囀旋律ジャジィを生んだ」

「お好きなのですね」

「……ああ。帝都アヴィオルに馴染めないでいた自分を重ねたのかもしれない」

 コットの手が止まった。テオは、コットの頭を撫でて、微笑みかける。

「続けよう。今は、私と君の音楽だ」

 コットは瞬きの後、嬉しそうに笑った。その笑顔が眩しく、テオは目を細める。

 やはりコットには笑っていてもらいたい。涙や苛烈さよりも、優しい笑顔の似合う子なのだ——テオがそう思った時、居間の扉が勢いよく開いた。

「テオ-シャン少佐殿! 君が囀旋律ジャジィを嗜むとは知らなかった、ぜひ話を聞かせてほしい!」

「帰ってくれ、アレン」

 せっかくの二人の時間を邪魔され、テオの声は思いのほか剣呑なものになった。コットも突然のアレンの登場に驚いている。アレンはというと、勝手知ったる人の家と言わんばかりにすでに上着を脱いでいて、まるで自宅にいるように振舞っている。その溶け込み方はまるで、テオの家人のようだった。

 だが、アレンはテオの家で寝起きしている人間ではないし、もちろん鍵も持っていない。玄関の鍵を開けたままにしておいたのは良くなかったなとテオは反省しつつ、鍵盤蓋を閉じた。

「えっ、終わり? すごく素敵な演奏だったのに……」

「君のために弾いていたわけじゃない」

「そんな、ひどい! 異人に聴かせる音楽はないって言うのかい?」

「そうじゃない。……コット、端を持ってくれ」

 音響板を降ろし、埃除けの布をかける。腕をいっぱいに伸ばして布を広げるコットを見守るテオの表情を見て、アレンは何か勘付いたように顎をさすった。

「ああ、うん、ごめんね、お邪魔だったみたいだね。いい雰囲気のところをぶち壊してしまったみたいだ」

「わかっているなら日を改めてくれ、アレン」

「あ、それは話を聞かせてもらえるってことかい? じゃあ次の週末、昼過ぎに〈ローブル〉に来てくれないか。地図は今書くから……」

 アレンは胸元から取り出した名刺の裏に、慣れた手つきで案内を書き記し、それをテオではなくコットに渡した。

「無断で人の家に入ってこないと約束してくれたらな」

「分かった、分かった。悪かったよ。次からはちゃんと挨拶をする。お邪魔しました」

 そう言って、アレンは素直に帰っていく。玄関の扉が閉まる音がして、コットはようやく我に返った様子で背筋を伸ばした。

「あ……あの、彼は一体……」

 握らされた名刺を眺めつつ、コットはテオに問うた。テオは言葉を探して腕を組んだあと、「新聞記者だ」と短く答えた。が、すぐに説明不足であることを悟り、付け足す。

「私が士官学校を卒業した時、私を〈ラダンジュ〉の一面に採用した男だ。それから、何かと付き合いがある……一方的に」

「オレリック記者って、あの方だったんですね。私、その記事で隊長のことを知りました」

 それはテオにとって聞き慣れた台詞だったが、コットが言うとどこか特別なものに聞こえた。普段、何かとテオを追い回すアレンを煩わしく思っていても、コットがテオを知るきっかけとなったのなら悪し様には言いにくい。

 とはいえ、とテオは腕を組んだまま顔をしかめた。

「別に仲良くはない。仲良くするつもりもない……どうも、ああいう手合いは苦手だ」

 テオがコットにだけ許している距離を、アレンは隙あらば詰めてくる。名刺をテオではなくコットに渡したのも、あまり気持ちの良いものではなかった。

 囀旋律ジャジィについてクラウディアにも話を聞きたいと言っていたが、コットまで巻き込むつもりではないだろうか、とテオが眉間の皺を深めていると、ふと、コットが名刺の裏に書かれた地図をじっと見つめているのが目に入った。

「どうした?」

「い、いえ。このお店、行きつけの喫茶店なので……」

 コットは何か言いたそうにもじもじとしていたが、やがて、意を決したように顔を上げた。

「あの、明日、隊長もお休みでしたよね。ここに、付き合っていただけませんか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます