日は落ちて雨は本降りとなり、コットはテオとクラウディアのやり取りを見守っていた。といっても、テオが壁の電話機で連絡を入れているのはアレン記者ではなくクラウディアの父親であるバラルド=イルダンテ司教であり、クラウディアはそのテオにしがみついてなんとか受話器を奪おうとしているという、なんとも言えない絵面だった。

「話が違うわよ! 父さんじゃなくて、さっきの新聞記者に取り次いで!」

「彼に連絡を入れるとは一言も言っていないし、子供は家に帰る時間だ」

「子供じゃなくてクラウ様と呼びなさい!」

 常識的に考えて、家に帰らないと言っている少女を官憲がそのままにしておく理由はない。まして、少女にとっては見ず知らずの男に預けるなどもってのほかだ。しかし、クラウディアの世界は音楽を中心に回っているらしく、その常識が通用しない。その視野の狭さが子供らしいと言えば子供らしいのだが、クラウディアはそれには気づかない。

 テオは交換手に接続番号を告げる。クラウディアはそれを聞いて絶望の表情を浮かべ、人でなし、ずるい、とテオの背中を叩いて抗議し始めた。もちろん非力な子供の力ではテオは痛くも痒くも無いのでそれを放置する。

「イルダンテさん、それ以上は……」

 コットはやんわりとクラウディアをたしなめる。テオは敢えて見逃しているが、官憲に暴力を振るうなど本来なら咎めがあるところだ。そんな二人の様子が心配で、コットは帰ろうにも帰れずにいた。

 ほどなくして通信が繋がり、テオは電話先の人物に手短に用件を話した。クラウディアは楽器を持って逃げ出そうとしたが、テオに襟首を掴まれて大人しくなった。コットは念のため扉の前に立って逃げ道を塞ぎつつ、クラウディアに同情した。

 親から叱られるという経験は、コットも何度も経験しているし、苦々しいものだ。しかし、クラウディアの要求は到底のめるものではない。家の人間が迎えに来てくれることを期待して、コットは帰宅時間がいつになるかを考えていた。

 テオと仕事ができるのはコットにとってはむしろ喜ばしいことなのだが、今日は早上がりだと家族に伝えていた手前、心配性の両親を宥める手間を思い、心が沈んだ。

「……は?」

 と、テオが珍しく頓狂な声をあげたので、コットは現実に引き戻された。テオは戸惑いを隠しきれない様子で、受話器の向こうにいる人物に話しかける。

「失礼、あなたはご息女を家に迎え入れないと……そう仰ったのですか?」

 コットは頭痛がした。おそらくテオもそうだろう。子が子なら親も親ということだろうか。しかし、家出状態の少女の帰宅を拒否されるとは思わず、テオは二の句が継げないでいる。クラウディアはその隙をついてテオから受話器を奪い取ると、叫んだ。

「分かったわよ! もう絶対、絶対帰らないから! さよなら父さん!」

「イルダンテ嬢!」

 そして勝手に通信を切り、ぷいとそっぽを向いた。テオは片手で顔を覆って深い深い溜息をついた。

「……少尉。この件は私がなんとかするから、君は帰りなさい」

「しかし、放ってはおけません……」

 コット自身もどうしたら良いものか思いつかないのだが、ここでテオに全てを任せて一人帰宅するというのは気がひける。放っておけないのはクラウディアではなく、ひとりで無理をしがちな上官のほうなのだが、テオはクラウディアの方だと思ったらしく、そうだなと小さく呟いた。

「……心配しなくても、宿を取るくらいの手持ちはあるわよ」

「そういう問題ではないし、イルダンテ嬢、君の年齢ではひとりで宿に泊まることはできない」

 明確な規定があるわけではないが、大半の宿屋は成年に達していない子供を泊めることはしないだろう。じゃあ、とクラウディアはテオを指差した。

「あなたの家に泊めてちょうだい」

「だめに決まってるだろう!?」

 直属の部下である自分ですら上がったことがないのに、と言いたいのを飲み込んで、コットはテオが反応するより先にクラウディアの言葉を否定した。

「じゃあ、どうしろっていうのよ……」

 先ほどの威勢はどこへやら、クラウディアはしゅんと小さくなった。実の父親から拒絶されたという事実が相当にこたえたらしい。テオはそれを見て何か思うところがあったのか、沈黙の後に詰所の奥を指差した。

「保護、ということにしよう。寮の部屋に空きがある」

 テオが言い終える前に、クラウディアはくしゃみをひとつした。テオは毛布を拾い上げ、クラウディアの体を包む。

「髪をきちんと乾かして、それから着替えが必要だな」

「隊長、それなら、私の家から持ってきますよ」

「すまない、少尉」

 テオは申し訳なさそうにコットを見た。この男は本当に真面目で、普段は仕事を終えた部下を引き止めることなどしない。しかし今はことがことだ。気にしないでください、とコットは首を横に振った。

「どうせ明日は非番です。隊長こそ、暖かくしてお休みになりませんと、お風邪を召されますよ」

 あの時テオも雨に濡れていた。指摘され、テオはすでに乾いた頭を軽くくと、素直にそれを受け入れて頷いた。

 雨はまだ上がりそうになく、冬の夜の冷え込みは厳しい。コットは部屋の薪炉ストーブに火を入れた。

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