渋谷には水族館がない

 渋谷には水族館がない。

 それを理由に、後輩は渋谷が嫌いだと言う。


「あのわらわらーってしている人間、みんなイワシになったら壮観ですよ」


 なんてじっとりとした目で、タピオカを吸いながら言うわけだ。


 私は「そうだねー、イワシフライ美味しいよねー」とか適当な相槌を打ちながら、女子高生らしくかわいいお洋服やファンシーな雑貨やサブカルなCDのお店へと後輩を連れ回す。

 美人でひねくれ者で意外と素直な後輩は、なんだかんだと素直に先輩である私に付き合ってくれるし、表情はわかりにくいけど実は結構楽しんでいるんだってことも私にはわかる。


 私は渋谷が好きだ。にぎやかでたのしいし。ハチ公はかわいいし。ただ待ち合わせの聖地であるハチ公前は大抵混んでいて、意外と人を見つけにくいのはどうかと思う。

 確かに後輩の言うとおり渋谷には水族館がないけれど、お洒落なアクアリウムのお店はあるし、水族館のある品川にも池袋にも近い。


「そう思うと君にとっても意外と悪くない街じゃん?」


 人混みが苦手で根暗でついでに流行り物にも懐疑的な後輩は、人生初のタピオカミルクティーを吟味しながら、「まぁ、そういう考え方もありますね」としぶしぶ頷いた。

 後輩との異文化交流、私のターンは結果上々のようだ。だから次は後輩のターン。私が、彼女の好きなものに歩み寄る番だ。

 私たちは渋谷からそのまま山手線に乗って品川の水族館に行く。


「まったく、平然と普通のビルの中に水族館を作るなんて。東京はおっかない街です」


 中学まで田舎にいたという後輩は、生まれ育ちも東京な私にそう言う。

「これだから東京は」「情緒がなくないですか?」とか文句を言いながら、ちゃっかり年間パスを取り出していた。

 めんどくさい子だなぁって思うけど言わない。それもまた味だし、そのめんどうくささを補って余りあるほど、私は彼女が好きだから。ハチ公の次くらいに。


 水族館の中をぐるりと回って、クラゲの水槽の部屋で、私たちはソファに腰かける。色とりどりのライトで照らされたクラゲたちは華やかで綺麗で、つまり映えそうで、見飽きない。


「あのね実は私、水族館ってちょっと苦手なんだ」

「どうしてですか」


 信じられないという目を後輩は向ける。


「水族館でデートすると別れる、ってジンクスあるじゃん? あれでほんとに振られちゃって」


 有名な話ですね、と後輩は合点がいったように頷いて、ジンクスの正体を教えてくれた。水族館の青い照明が、相手を不機嫌そうに見せてしまうせいだとか。


「私となら、大丈夫ですよ。先輩」


 ソファから立ち上がって、後輩が私を振り返る。


「だって水族館では、私は自明の理として最高にご機嫌ですし」


 オールシーズン不機嫌な後輩は、にっこりと嘘くさく私に微笑みかける。


「それに先輩のこと、最初から全然好きじゃないですから。今更振ったりはしませんよ」

「そっかぁ、よかったぁ」


 私は底抜けに脳天気なので「嫌いじゃないんだ、やったー」って飛び上がりたいところだったけど、私はそこそこきちんと空気が読めるので、このかわいくてめんどうな後輩の神経を逆撫ですることは言わないのだった。



 さて、その二年後。

 嘘みたいな天変地異が起きて、渋谷は海に沈むことになる。

 人生には色々なことがあるので、そういったこともまま起こる。


 地方公立大の大学生になった私はバイト代を貯めてスキューバーダイビングを始めた。

 東京が沈んで二年目の夏休み、私は酸素ボンベと共に渋谷に潜る。


 海に沈んだスクランブル交差点の信号はもう点灯することなく、あれだけいた人間はどこにもいなくて横断歩道を渡るのは魚ばかり。

 それらがイワシかどうかはわからないけれど、たった二年で様変わりしてしまった。

 にぎやかさも、たのしさも、かつてのものとは違っている。

 渋谷には水族館はなかったのに、いまや街そのものが、どこよりも大きな水槽になっている。


 だけど変わらないものだって、ここには確かにあるのだ。


 待ち合わせは今年もハチ公前。像についた藻をグローブを嵌めた手で払うと、ご主人を待つ顔が現れる。

 足音の代わりに視界の端でフィンが揺れる。そこにいた彼女に、私は手を上げて『おまたせ』と伝える。

 いつも通り待ち合わせ時刻十分前についていたらしい後輩は、不機嫌そうに言った。


『遅いです、先輩』


 マスクで顔も見えない、出るのは酸素の泡だけで声なんて聞こえない。

 だけど後輩が確かにそう言っていることも、彼女が最高にご機嫌だってことも、今日も私は知っている。

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即興短編集こもごも さちはら一紗 @sachihara

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