雨宿りと幼馴染における情趣についての関連性

 雨音を聞いていた。雨の音に耳を澄ませるのは、曇り空を愛おしげに見上げるのは、情趣のある行いだと思ったからだ。

 腐れ縁の幼馴染に、情趣が足りない落ち着きがない侘び寂びがわからない、とさんざ呆れかえって罵倒された後の雨は傷口に塩を擦り込むみたいにじめじめじくじくとしている。


 なんでったってあいつはあんなことを言うのだろう。あたしは別に普通だって思うのに。情趣情趣と唱えるあの幼馴染がおかしいのだ。情趣なんて難しくって古臭い言葉を覚えてしまったのはあいつのおかげ、というかあいつのせいだ。

 ジョーシュという堅苦しい音が雨音に合わせてぐるんぐるんと頭の中を回る。回り続ける。


 あたしは屋根の下でグレーの空を睨み続けた。ワビもサビもわからなければワサビだって食べられない。雨音に耳を澄ませようとしても三秒で意識は逸れてしまうし、うっかり雨粒を目で追ってしまってほんの少し目を回しそうになったりした。酔う。ぶっちゃけ不健康な感じにふわふわする。


 だってそう、仕方ないじゃないか。あたしには情趣がないらしいのだ。致命的に。

 致命的なのに生きていけてるんだからそんなものなくったっていいじゃんね、と拗ねたらあいつに拗ねられる。

 あいつ子供なんだ。拗ねたいのはこっちだっての。

 でも、ほら、綺麗なものも切ないものもあたしはどうやらよく分かってないらしいけど、今日のご飯が美味しくて布団が気持ちよかったらそれでいいかなー、って感じのバカだけど。それでも、お姉さんだから。

 年下のわがままで泣き虫で傷つきやすいあいつの大切にしたいものを、大切にしてあげるくらいのカイショーはあるわけなのだ。


 手に持ち続けたてろてろのビニール傘。それを突然の雨に困り果てた感じの若いお母さんに、小さな今にも泣きそうな子供を連れた女の人に押し付けるように渡してあたしは雨の中を駆け出した。

 さて、あいつを迎えに行こう。あたしはお姉さんなのだから。雨の中を傘も差さずに走ってびちゃびちゃになって、それでも風邪のひとつも引きやしない頼もしいバカなのだから。


 きっとあいつはすごい顔で怒るのだ。ばかばかばか、ばかは風邪ひかないっていうけどさぁ、うつされたら困るだろ!って。心配が通り過ぎて泣きそうになった顔で喚くのだ。

 そう、あたしは濡れないところでじっと待っていることもできないような慌てん坊なのでした。

 君の言葉なんて、何も何ひとつ伝わりやしないのです。

 雨の日に替えの靴下を持っていくなんて発想もないし、通気性のいい運動靴で水溜りに突っ込んだりしちゃうのだ。雨の日をしっとり待つなんてしないのだ。


 だけど、さ。

 安っぽいビニール傘を持って迎えにいくあたしよりも、ずぶ濡れになって君のところに行っちゃうあたしの方が、情趣があるってもんでしょう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます