シンデレラのモブの百合かもしれない不明感情

 惨めで仕方がなかった。

 ガラスのハイヒールに無理矢理足を押し込んで、踵の皮が剥けてしまったその瞬間。抱いた思いは惨め以外の何物でもなかった。

 それ以外にこの、感情未満のわだかまりにふさわしい名称を知らなかった。


 誰もが憧れる麗しき王子様。

 彼は舞踏会の夜に出会った運命の相手を求め、国中を探し回っていた。

 手掛かりは運命の娘が落としたガラスの靴ひとつ。全く同じに型どって、王子は国中にガラスの靴をばら撒いた。

 お目通りが叶うのはその靴を履き、軽やかにワルツを踊れる娘だけ。

 そして選ばれた娘たちの中から本物の運命のみが、その手にキスを賜るのだ。


 順番は平等に、私にも訪れた。

 本物の輝きには程遠いその靴を前にして、私ははち切れそうな胸を抑え込み、人々の期待の眼差しの中で足を通し、あえなく期待を裏切った。


 わかりきっていたことなのだ。

 私ではない。私は選ばれなかった。私ではいけなかった。行けなかったのだと皆が理解したその途端。全ての視線の温度が下がる。


 『ああ、また、駄目だった』


 耳鳴りがする。


 『お前ではない。お前ではない。愛すべき呪わしき輝かしき運命を、お前は魔女から与えられてはいないのだ』


 幻聴が聞こえる。


『お前では、運命の女ファム・ファタールにはなれない』


 呪わしい視線が語る。

 私の瞳はどこか遠くを、あるべくもないどこかを、作られた用意された仕立て上げられた私の、私のための運命を探し求める。縋るような視線が彷徨う。

 灰色の重たい空の下、裸足でヒースの草原をかき分けながら走るような痛ましさ。

 血の滲む踵が熱を訴える。


 私は決して本物じゃない。本物にはなれやしない。けれどそれはこの靴だってそう。偽物なのはこの靴だっておんなじだ。

 だから一度くらいは。

 偽物の私を受け入れてくれても、よかったのに。

 運命の女にはなれなくてもそのほんの少し前の場所までは辿り着けるのではないかと期待したのに。

 私にはそんな資格すらも、なかったのか。

 頬が震える。

 力なくドレスの裾を掴む。


 もう、誰も、誰も私を見てはいなかった。


 『どうして』


 そんな声すら出すことは許されない。


 ──ねえ、私には。私のためには運命は用意されていなかったというの。

 灰に塗れたとびきりの美しい不幸でなければ、あの痛々しいハイヒールは許してくれないというの。


 そうだ。その通りだ。

 私の私程度の不幸に赤い絨毯は許されていなかった。

 煌びやかな舞踏会で、熱い喧騒の中で、麗しい囀りの影で、冷たい壁に張り付き息を潜めるだけの不幸に喝采は許されえない。


 私は幸福ではないけれど、不幸でもないことをよくよくよくよく知っていて、それを受け入れていた。

 受け入れきっていた。はず、なのに。

 私は気がついてしまったのだ。私だけが気がついてしまったのだ。


 舞踏会にあの子がいることに。

 あの子が、運命の娘だということに。


 昔々のことだ。あの子と私は確かにきっと仲の良い友人だった。それこそ姉妹のようにと言われるほどに。

 けれどあの子が不幸に見舞われ誰も彼もに見放され、私も姉妹どころか友人ですらなくなってしまった。


 だけれども。

 あの子がとびっきり幸せだった頃を知る私が、今は灰に塗れた不幸を着るあの子を見紛うわけがない。

 一夜の奇跡を許されて、それを一夜限りと知って、何一つ憂うことなく強く強くありうべからざる光を飲み込むあの子を。

 どんなに変わり果てようとその瞳を。

 見紛うことはないのだった。


 じわりじんわりと踵から血が滲む。私には許されていない運命が、初めから近づくことすらなかった運命が遠ざかっていく。

 私の不幸は、不幸ですらなかったことだと知ったその日から、惨めで仕方がなかったのだ。

 私は痛む踵を抱えて階段を下る。


 どうかあなたはお幸せに。

 靴を落としたって誰も拾いはしないだろう私には、灰もガラスも似合わない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます