第九章 7

 敬礼を受ける男は、一体何者なのか。


 その疑問を解決する間もなく、敬意を一身に浴びる男が、よく通る声を船内に響かせた。



「ようこそ。ノヴェ・パカリーニャは、諸君を歓迎する」



 腹の底から力強く放たれたそのロシア語は、貨物置場という広い空間で発せられたにもかかわらず、まるで耳元で語りかけられたかのような、輪郭がはっきりとした芯のある響きを纏っていた。


 後ろに撫でつけられた黒髪に、黒々とした艶のある口髭くちひげ。威圧的な鋭い眉と、揺ぎない威厳を纏うブラウンの瞳を持つ男は、五人を見下ろしながら堂々と語り始めた。



「私の名は、ブルガーニン・セルゲイ・ミハイロヴィチ。ノヴェ・パカリーニャの代表であり、新生ロシア連邦の暫定大統領だ。さあ、もっと前に来たまえ」



 ノヴェ・パカリーニャ。


 新世代を意味するその言葉を、母は事あるごとに口にしていた。


 あなた達はロシア連邦を再興するために生まれた、特別な新世代なのだと。




 新生ロシア連邦の暫定大統領を自称したブルガーニンは、拡声器を通さず、敬礼する男女の最前列まで強引に連れてこられたアレクセイ達に語りかける。



「まずは、諸君の拉致計画を未然に防げなかったことについて、遺憾の意を表する。拉致計画は、極めて機密性の高い環境で立案、発令されたため、この件に関してだけは知りようがなかった。続いて、コルマコフ・ニコライ・エフィモヴィチ君の判断を讃えたい。きみが時限公開設定しておいたメッセージのおかげで、家族は救われたのだ。誇りたまえ」



 アレクセイが、二階部分に立つブルガーニンを見上げながら叫び問う。



「ノヴェ・パカリーニャということは、つまり、俺たちと同じ?」



「そうだ。私も第一世代だ」



 ブルガーニンが威厳に満ちた仕草で頷きながらそう答えると、アレクセイの心に、新たな疑問が生じた。


 第一世代という割には、年齢に大きな隔たりがある。


 その理由を解き明かすために質問を投げかけようとした、その時だった。ブルガーニンの陰から、一人の女が姿を現した。


 その姿を見た兄弟姉妹は、愕然とした。



「……まさか、母さん?」



 ニューヨークのホテルにいるはずの母が現れたことに驚きおののいたアレクセイがそう呟くと、ブルガーニンの左後ろに立つ母は、眉をひそめながら冷ややかに回答した。



「いいえ、違います。私は、あなたの母などではありません。恐らく同型なのでしょう。まあ、驚くのも無理はありません。何も知らないのですから当然です。


 あなたは、私の息子が自分も第一世代だと教えたとき、ひどく混乱した表情を浮かべましたね。このまま、全てを説明して差し上げましょう。


 ベロボーグ計画書には、シェルターが探知されるのを防ぐため、二十五年の休眠期間を経たあとに活動を開始せよと定められていましたが、私は賛同できませんでした。


 計画の最終段階を完遂するためには、早期のうちに人員と装備を充実させるべきだと考えたからです。


 そこで私は、休眠期間を二十年短縮し、五年後に活動を開始して、すぐさま新生ロシア人の大量生産を開始しました。私のシェルターの第一世代が、あなた方より二十歳以上も年上なのは、そのためです。


 この好判断により、私のシェルターは、早期のうちに敵国民を駆逐するのに充分な戦力を構築することに成功したのです。


 安心しなさい。ここは安全です。取るにならない思考など捨てて、我々に全てを委ねればいいのです」



 声と容姿は母に似ているが、人格は似ても似つかなかった。


 冷酷なアンドロイドの説明によって、アレクセイは自分たちの身に何が起こったのかを全て理解した。



 トムレディーさんが手配してくれたのは、間違いなく健全なロシア人権団体だったんだろう。でも、その団体にはノヴェ・パカリーニャの構成員が潜入していて、トムレディーさんを騙して俺たちを連れ去った。あの優しそうな痩せ型のブロンドの男の人は、きっと殺されたんだ……。



 アレクセイは怒り、悲しみ、そして恐怖したが、感情に身を任せてはいけないと気を確かに持ち、首謀者と思われるブルガーニンを睨み上げながら言った。



「俺たちをどうする気だ?」



「同胞を守るのは当然だ。それに、お互いのシェルターの特有技術を合わせれば、ベロボーグ計画を遂行しやすくなる。諸君も研究開発をしていただろう。力を合わせるのだよ」



 恐らくは、技術だけが目的なのだろう。同胞かどうかは重要ではないはずだ。アレクセイは、ブルガーニンの目に宿る独善性を見抜き、沈黙して様子を伺った。


 ブルガーニン暫定大統領は、アレクセイがこちらを観察していることに気づき、それを逆手に取って穏やかな表情をしてみせながら、恩を売りにかかる。



「諸君をCIAの魔手から助け出すことに成功したのは、我々のシェルターの得意分野を活用したからだ。


 詳細はまだ明かせないが、我々は情報を入手する能力に長けている。それにより、我々はトムレディーというCIA職員の行動を知り、諸君を救い出すことに成功したのだ。


 もしトムレディーとやらに保護されていたら、大変なことになっていただろう。その者がどれほど手厚く庇護しようとも、CIAは必ず諸君を取り返し、より激しい尋問をするに違いない。そのことは、諸君のほうがよく理解しているはずだ」



「トムレディーさんは違う。守ってくれるはずだ」



 アレクセイは反論したが、ブルガーニンは気にも留めず、彼を見下しながら言った。



「いいや、守れない。トムレディーとやらも、CIAの一部だからだ。奴らは全てを利用し、利用価値がないものは消去して口止めする。私は、それをよく知っている。


 少し、昔話をしよう。私が闘争を決意したときの話だ。


 地上に出た我々は、地上を巡回していたロボット兵に不正接続をして記憶データを解析し、虐殺の事実を知った。


 母の言うとおりだった。わかり合えると思っていた、若き日の我々が間違っていたのだ。西側諸国は、戦争の混乱に乗じてロシア連邦にロボット兵を送り込み、何の罪もない一般市民を虐殺した。


 あの連中は、平気で人命を奪う。諸君の命も、用が済めばすぐに握り潰すだろう。歴史を学び、実際にあの連中から虐げられた諸君ならば、理解しているはずだ」



 第一世代の脳裏に尋問と拷問の日々が浮かび、吐き気を催すほど苦い沈黙が満ちる。



「オレは理解している」



 沈黙を破ったのは、ニコライだった。


 ブルガーニンは満足そうに口元を歪ませながら、大きな声で言った。



「ならば、話は早い。他の諸君も、ニコライ君のように気づくべきだ。甘い考えは捨てろ。使命を思い出すのだ!」



「復讐なんかしない!」



 アレクセイが拒否の意を叫ぶと、ブルガーニンは転落防止用の柵に両手を置き、階下を覗き込むようにしてアレクセイを見下みくだしながら言った。



「貴様は、己が生まれた理由を否定するのか。


 我々には正当性がある。我々はかたきを取る権利を有しているのだ。


 確かに、かつてのロシア連邦は世界を脅かしたかもしれないが、一般市民には何の罪もなかった。それにもかかわらず、西側諸国の連中は、背負う必要のない罪を一般市民に押し付け、一億八千万人もの人々を殺したのだぞ。


 我々は当初、復讐をせずにロシア連邦を再興するつもりでいたが、真実を知って考えを改めた。我々はベロボーグ計画の最終段階を実行すると決意した。


 我々は国を再興するためならば、何だってする。それが我々の存在意義だからだ。幸いなことに、世界各地には志を同じくするロシア人がおり、我々と手を組んでくれた。天は我々に味方しているのだよ。アメリカ合衆国で、ロシア人によるテロが発生していないのは何故だと思う?」



 黙考するアレクセイ達に、ブルガーニンは気高く言い放った。



「この私が指揮しているからだ。小規模な攻撃を散発させて警戒を強めさせるなど、愚の骨頂だ。我々は水面下で準備をし、不意を突いて甚大な被害を与えるつもりだ。諸君の想像を絶するほどのな。


 我々はテロ組織ではなく、軍隊であり、国家なのだ。


 諸君も自覚しているとおり、新生ロシア人は優秀だ。私の兄弟姉妹は世界各地に散り、それぞれの持ち場で使命を果たしている。


 我々は、自らの手で居場所を獲得したのだ。その居場所は我々だけのものではなく、全ての同胞のものだ。諸君の居場所は、ここだ。


 私の見立てでは、一番見込みがあるのはきみだ、ニコライ君。目を見ればわかる。もう腹は決まっているのだろう?」



 ニコライは顔を上げて、ブルガーニン暫定大統領の目を見た。


 その様子を横から見ていたアレクセイは、兄弟の目に火が宿るのを見て強烈な寒気を覚え、すぐに話しかけようとしたが、遅かった。


 ブルガーニンが、ニコライの目に宿る復讐のマグマを掬い上げるように語りかけたのだ。



「こちらに来るんだ、コルマコフ家のエフィモフの息子ニコライよ。きみは、この世界の理を把握している。きみは正しい。何度でも言ってやろう。きみは絶対的に正しい。彼らが間違っているのだ。さあ、ここに来い。私と、我々と、行動を共にしたまえ」



 ニコライは、ブルガーニンがいる二階へと続く正面階段に向かって歩み出した。その足取りに、迷いは微塵もない。



「行かないで、コーリャ!」



 オリガが引き止めると、ニコライは振り返って、口から魂を吐き出すように叫んだ。



「オレがガキの頃に予測していたとおりだった。世界はオレ達の復讐を恐れ、オレ達を消そうとした。平和を望んでいるオレ達を殺そうとした!」



 血潮が迸るようなその叫びに、兄弟姉妹は目を見開いたまま沈黙する他なかった。



「お前らも、アトヴァーガを見ただろう。あいつは殺されたんだ。あいつはきっと、他のシェルターが発見されないように、探知プログラムもろとも自己崩壊しただろう。あいつは、そういう奴だ。もっと生きたかっただろうに、どれほど無念だったか!」



 アレクセイ達の心は、ニコライの言葉によって吐き気を覚えるほど激しく揺さぶられたが、すぐに正気を取り戻した。何故なら、彼らの心の中には、復讐という行為への激しい嫌悪感が満ちているからだ。


 復讐は未来を破壊する行為であり、それを肯定するのは罪だ。


 アレクセイは叫びながらニコライを追ったが、ノヴェ・パカリーニャの構成員たちが立ち塞がり、彼の体を床に押し付ける。


 取り押さえられながらも兄弟の愛称を叫ぶアレクセイに向かって、ニコライはこう言い残して去った。



「お前らも、早く目を覚ませ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る