第三章 7
新生ロシア人の六名は、生後一ヶ月となった。
夫婦は全性能を注いで、新生児の育児に従事した。とは言っても、彼らが担うのは抱っこと授乳とゲップ出しのみであり、それ以外のことは全て育児機器がやってくれるので、多忙というわけではない。
新生児保育器に搭載された排泄物処理機構が洗浄と乾燥を自動で実行してくれるので、おむつ交換をする必要も、肌のかぶれを心配する必要もない。
排泄物処理機構は形状を自在に変化させて、自動で速やかに着脱するので、抱き上げる時や寝かせる時に煩わされることもない。夫婦が注力しているのは育児作業ではなく、教育方針を定めることだった。
「妻よ、重要な話をしよう。この子達には、どの宗教を選択させるんだ?」
ミルクを飲み終えたエカテリーナを縦に抱いてゲップを出させている夫がそう問うと、椅子に座ってソーフィアに授乳している妻が、首を捻じるようにして振り向いて答えた。
「計画書には、ロシア正教を信仰させるようにと記されています。ロシア連邦は国教を定めてはいなかったのですが、地下シェルターという閉鎖環境で対立が生じるのを防ぐために、宗教を統一しておいたほうがよいと判断したようですね」
「しかし、それを許していいのだろうか。子供たちの意思はどうなる?」
妻は視覚センサーの保護膜を閉じ、一秒ほど思考を走らせてから回答した。
「ロシア正教の
「そうだろう。子供たちに選択させるというのはどうだ?」
「計画書には、ロシア正教を信仰させるようにと記されてはいますが、信仰状態を維持しなければならないとは記されていませんし、改宗を禁じるとも記されていません。したがって、ロシア正教を信仰させたあとに、改宗を選択させることは可能です」
夫は、ゲップを出したエカテリーナを保育器に戻しながら笑顔を浮かべ、授乳作業を継続している妻の背中に向けて言った。
「それは良かった。宗教選択制を導入しよう」
妻は授乳機能を搭載した擬似乳房に吸い付いているソーフィアの顔を眺めながら、夫の歓喜を潰すような発言をした。
「ただし、最初はロシア正教を信仰させるという条件付きですので、お忘れなく」
「もちろん約束する。私はロシア連邦所属のロボット兵なんだ。きみに従うよ」
話を終えたところでソーフィアが満腹になったので、妻は椅子から立ち上がり、彼女を夫に委ねた。
夫はソーフィアを受け取ると、ゲップを出させる前に顔を突き合わせ、嬉しそうに微笑みながら話しかけた。
「お腹いっぱいになったかな、ソーフィア?」
その様子を見た妻が、思考をそのまま口にした。
「やはり、あなたの口調は変化しました」
「変化するわけがないじゃないか。本調子に戻ったからだろう」
夫は妻の言葉を一笑に付し、ソーフィアにゲップをさせる作業に移行した。妻は怪訝な顔をする元同僚の顔を回想して真似しながらオリガを抱えて、授乳を開始する。
無邪気に子供たちの世話をする夫を観察し分析する妻の授乳作業は、疎かになっていた。
どれほど分析しても夫の不可解な挙動を解明するには至らないので、彼女は子供たちの顔ではなく、正面の壁の一点を見つめることしかできなくなった。
子供たちを寝かしつけたあとも椅子に座り続けて物思いに耽る妻を置いて、ひとり夫婦部屋に戻った父は、自分専用の椅子に腰掛けて、日課となっている育児日記への書き込みを開始した。
日記をつける意味などないはずなのだが、何故だか、記録をテキストに書き込んで保存せずにはいられなかったのだ。
機械である彼にとって、日々変化していく人間の様子は擬似好奇心をくすぐる存在であり、その変化を記録すると同時に、自身が感じたことを回想しながら書き残しておくのは何よりも興味深く、そして単純に楽しいと思える行為だった。
父は瞑想でもするかのように目を瞑りながら背筋を伸ばして、無線接続したメインコンピュータの個人領域に記録を書き連ねる。
育児日記。二二三六年、六月八日。午後十一時。
第一世代は生後一ヶ月を迎え、少しずつではあるが、体も丈夫になってきた。
最近、六人それぞれの個性が少しずつ垣間見えるようになってきた。生まれてから一ヶ月しか経っていないにもかかわらず、それぞれ特有の人間性が感じられる。
彼らを観察していて、興味深い事実に気づいた。
人間の乳児は抱いただけでは泣き止まず、体を揺らしたり撫でたりするなどの緩やかな刺激を与える必要があるのだが、個体ごとに、体の揺らし方に好みがあることが判明したのだ。
ソーフィアは、大きな動作で波を描くようにして揺れてあげると落ち着く。大きな動作であれば何でもいいという具合だ。お転婆になるのだろうか。
ニコライも、大きな揺れを好む。少し大袈裟なくらい上下運動をすると、すぐ穏やかになる。不満を感じて泣くことが少ないようで、肝が据わっているという印象を受ける。リーダー気質なのかもしれない。今後が楽しみだ。
オリガはソーフィアと好みが似ているが、大きな動作は好きではない。小さな波を描くようにしながら、体を捻るようにして左右に揺れてあげると、やがて穏やかに眠る。この子は派手に泣くことがあまりないし、他の子につられて泣くことも少ない。この子からは、大樹のような包容力を感じる。
マラートは、他の子が泣くと高確率で、いや、確実に泣く。手のかかる子かと思いきや、一旦抱き上げられるとすぐに安心し、泣き止むのが一番早い。どのような揺れ方でも問題なく落ち着くので、抱かれているという感覚だけで落ち着く性格らしい。一番の甘えん坊だ。
アレクセイは、体の揺れ方に関しては
エカテリーナは大きな揺れを好まず、小さく腰を捻るようにして左右に揺れながら、アレクセイと同様に、腰のあたりを極めて軽く叩き続けると安心する。凪いだ海のように穏やかな子だ。
人間は機械とは異なり、特性が顕著に出る。
個性の芽生えという現象は、じつに興味深い。
彼らはこれから、どのように変化していくのだろう。何を見て、何を考え、何を自分のものとして成長していくのだろう。
未来が可視化されている。子供という名の未来が、徐々に大きくなっていく。
感動的だ。私の運命は、思っていたほど悪いものではないらしい。
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