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 記憶の連鎖。ぼやけた中にある鮮明な範囲へ神経を尖らせ、着実に剥がれた箇所を繋ぎとめていく。


 ノアに現れた大きな変化。それは土砂災害の事故から、またしばらく月日が経った後のこと。

 俺は、毎日忙しさで溺れることばかりになっていた。両親が亡くなってからは、こなさねばならないタスクがあまりに多すぎて何から着手すれば良いのかさえ分からなかったが。多忙さが悲しみを誤魔化してくれることに助かっていたのも事実。

 日を跨ぎ、週を、月を、年を跨ぐにつれ少しずつ前を向けるようになり。二人して完全に立ち直ったわけでは無かったが。少しずつ流れる時間が、苦しい空気を清い物にしてくれていった。優しいあの頃の時間を思い出させるような柔らかな風、自分達を包み込む空気全てが山神の恩恵であるのかもしれない。


「兄さん、あっちの方耕し終わったよ」

「おお。ありがとうな、それじゃあこの種しっかり埋めておいてくれ。その後、注文分の果実の収穫もお願いしていいか?」

「うん、分かった。注文書見せて貰ってもいい?」


 月日は実に、矢の如き速さで流れて行き。ノアが十四歳、俺が十六歳にもなった頃。二人、太陽の下で元通りに笑えるくらいにはすっかりと日常を取り戻せることが出来ていたのだ。

 カシタ農園での労働も手慣れたもので、死に物狂いでやればこの敷地を全部朽ちさせることも無く残せることを実感していた。二人になった当初、一応の思惑として商売を休止し農園も縮小する可能性も考えたと言うに。今思えばそれを選ばなくて良かった。父さんと母さんの残した努力の跡を、枯らすこと等出来ようものか。

 朝日が昇り、人も爽やかに目覚める時刻。四人でいた時でも尋常な作業量では無かったと言うのに。二人になったらそれを無茶でなんとかしてしまうと言うのだから、男兄弟の身体は強く出来ているのだろう。広い畑と畜舎を縦横無尽に駆けては時折休み、またせっせと動き出す。それに加えて商売相手との取引や連絡、新たな相手先を見つけたり等、年々やることが山積みになってきた俺の負担を減らしてくれていたのはノアだった。正直、この頃より現在は少しはマシになったとは言え、兄弟二人だけで強引にまわしている状態は完全な自転車操業ぶりで。未成年二人で商売続行していることも異常な上に、真っ当に働いているところからしたら有り得ない程の労働量だ。徹夜を繰り返してばったり倒れるように眠ることも日常と化していた期間も経験したこともある。頭も身体も使い果たしては泥のようにベッドへ沈むだけの生活をしていた時に比べて、この頃には肉体労働の半分以上をノアが行なってくれるようになっていた。


「無理しないで途中休憩は挟んでおけよ、午後から忙しいし」

「大丈夫大丈夫。むしろ、運び入れ作業時間最近更新出来てるんだよね。敢えて全力で行くよー!」

「ははは、元気そうで結構結構。慌てて転ぶなよ」


 鍬を抱えたまま、健康的な汗を首に巻いたタオルで拭いて。溌剌とした様子でまた畑へ戻るノアの後ろ姿を見て。その目に、昔のような輝きがまた戻ってきて大分経ったなあとしみじみ感じたものだ。


 家に閉じこもったノアがまた、以前の日常に戻れるようになったのは俺が単身で山神の依り代として契る儀式を行ってから、少し経ってからのこと。

 父さんが死んだことにより縁が切れていた状態だった為、長子の俺がその系譜を引き継いだのだ。代々受け継がれる契約魔法の仕組みは、大精霊にとって存在するには不可欠な信仰を捧げる代わりに強大な権能の一部を行使する赦しを得ること。俺の信仰心は山神から心地良いと有り難い言葉を賜った程らしく、執着がここで活かされたと心に幸福が染みたものである。

 ただ、荷が重いと言う重圧は勝手に感じていた。つい先日まで普通の子供が行える範囲の難易度が低い魔法しか使えなかった人間が、不慮の事故が切掛とは言えいきなり山神の権能と言う桁違いに高度な魔術力を必須とする魔法を果たして扱えるのか。操縦桿だけ握らされても、動かし方を知らなければそれこそ宝の持ち腐れ。体制の立て直し、農園の維持、ここと繋がりを持ってくれていた山の外との関係維持、それに加えて山神の権能を正しく扱うと言う課題まで背負い始め、いよいよ五体を裂かれてもおかしくない過剰な度合いにまでなっていた。

 このままでは過労死する未来が冗談では無く近付いていて。外の世界での「普通」をしっかりと知識にいれた今となっては、十一そこらの子供が背負うべき積載量では無かったとしか言えない。自分達以外の人材を新たに雇う余裕も金銭的になく、心は死んでいないのに身体だけ許可無く勝手に死んでしまいそうだった。そんな俺の姿を見たノアは、その時の俺の姿勢に励まされたと今でも思い返してくれている。だから自分も頑張ってみようとして、少しずつではあるが外に出て来てくれる時間も長くなって。打ちひしがれて泣く時間は対照的に減ってきた。既に魔法が使えない異常もあったと言うのに、明るく笑える様子で。


(元々魔法使えてるとは言えない様だったし、なんて強がっていたっけ)


 …当時、ノアが魔法が使えなくなっていることに気付いたのは二人が亡くなってから大分落ち着いてからのことだった。元よりなかなか魔力のコントロールご出来ない為、自身から積極的に魔法を使おうとしなかったこともあってその異常に気付くことが遅れたのだ。

 あれは確か、ノアがまた畑に戻って作業が出来るようになった始めの頃。二人で昔のことを思い出しながら仕事をし、途中、気分転換にまた魔法の勉強の時間でも作ってみるか?と、父さんがしてくれていたようにノアを喜ばせようと試みたのだ。その時に、魔法の発動が全然出来なくなっていることが発覚して。

 完全に、失敗した。少しでも気分を慰めようとして行った筈なのに、また大きいショックを与えてしまったことだろう。頭に疑問符を浮かべて何度も何度も詠唱しても、うんともすんとも言わない様子に流石のノアも混乱していた。どこからどう見ても顔面蒼白になっていたのに、すぐに「まあ、元々、全然出来てなかったもん」と強がるのが余計に可哀想に見えて。魔法を使えない魔術師が抱える社会的リスクは圧倒的に高い、衝撃が小さいわけが無い。その時は事故のショックだと原因がはっきり分かっていたからこそ「ゆっくりここで心を癒そう」しか言えなかった。今思うと、この頃の異常にも魔力器官は関わっていたのかもしれない。


 落ち込みを見せた期間を乗り越えて。光を目に戻したノアは、あの子の為にその身体でも出来ることを探し出した。儲けから算出した、雀の涙のようなお小遣いをあの子に使う為と貯め続けて。また、恋愛小説という趣味も見つけたようで。王都の市に出る時に本屋に立ち寄り楽しむ姿も見かけられて。

 俺がお節介すぎたかな、とも思ったが。平穏無事、という言葉が似合う安らぎがやっとのことノアにも訪れ。


 そんな苦難を乗り越えたノアだからなのか、彼がその色の通りに才能と言える魔法を身に付けたのは、それからまた一年後のことであった。

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