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 癒術師。読んで字の如く癒す魔術を持ち回復魔法を公共機関で行使出来る治療・治癒のスペシャリストを指す言葉である。資格を取り癒術院で働けるまでになる為には相当の労力を使い、激務必至ではあるが収入は相当多く、緻密繊細な魔術と身体の構造全てに理解がある脳を持たねば憧れることすら難しいと言う専門職。そんな癒術師が多数所属するのが公共機関である癒術院である。基本的に全ての癒術院は少しの怪我から重症、身体だけで無く心の病の対応も受け付けており、救護隊との連携により外から運ばれてくる急患も時間のロスなく素早く受け入れ可能と言う、癒し治す為に徹底された環境を開いているのだが。王都一名高く巨大で、名癒術師と呼ばれる者が多く存在するのがヒュプノス癒術院であった。

 その巨大さに伴った貴重な資料の多さも最早国宝級であろう。ヒュプノスへ行けばどんな難病だろうが名前も分かる、発見もされる、とはヒュプノス癒術院の評判を更に上げ仕事量が増える理由にもなっている。

 ――が、そんな名院でも。実際になかなか出会わない症例を目の前でお目にかかれることは珍しい。


「キメラ細胞、百パーセント適合を確認!現在まで異常無く、肺の蘇生に問題無しです!ダストア氏に変わります!」

「了解!お前らよく見ておけ、瞬きもなるべくするな!これより魔力器官の修復だ、執刀は交代し俺が行う!」


 ヒュプノス癒術院、特一級施術室内には鬼気迫るものを感じる声が響いていた。この日朝から運ばれてきた緊急患者の年齢は未だ成年にもなっていないと言うのに、その人生の短さに見合わない重篤な状態で。患者の頭上には痛覚を遮断し眠りへ落とす魔法を行使する癒術師がひたすらに送り込む魔力へ神経を注いでいた。身体に繋がれた計器が指し示す数値は、少しずつ平常の値へ近付いたことを見せている。

 この施術室にて治療が開始されてから早數十分。施術衣の手袋を血に染め、一つの大きな山場を乗り越えた執刀者は声を上げたラム・ダストア癒術師と素早く位置を入れ替わる。


「緊急であり異例の事態ではあるが、ここを辞した俺が執刀する許可は既に取れてある!魔力器官へメスを入れる施術をこんな間近で見て学ぶことなんざ滅多に無い、資料映像としても学術的価値が非常に高い!故に記録水晶が先程設置されたが気は散らすな!患者だけを見ろ!」


 マスクの下で、行き場をなくした怒声に近い声を出したラムは。現状もそうだが、更に先を見据えて既に動き始めていた。ただ、全てを今言葉にするには時間が足りなさすぎる。

 絶対に助ける、それだけを胸に渡されたメスを手にし。既に破裂した魔力器官の下部を切除に入った。


 この方法を原始的だと思うだろうか。しかし、必要なことであるのだ。どのように優秀な癒術師であろうと、魔力器官への施術介入は実際に体内を開き触れることでしか出来ない。何故なら魔力器官は特殊な臓器で、直接治療する際に魔法を使うことが出来ないと言う厄介な特性があるのだ。まずは脳と身体に催眠で痛覚遮断を行い、脳から魔力器官の存在と言う認識をしばらく消す必要があり。その間に素早く人力で施術を行うと言うひどく大変な手順を踏む必要まである。

 魔力器官はその生物の魔力を生み出す源だ、植物で例えれば大切な根……その人間にとって一番色濃く魔力を蓄積する場所へ、癒術師と言う他人の魔力を強く流し込んでしまえば…他の部位ならともかく、魔力器官にその治療を行えば大惨事になるのだ。実際に他国で起こった癒術事故、動物実験を経ての結論である。

 そも、何故癒術師は回復魔法だけで全てを済ませる、と言うことが出来ないのか。それについては、患者の体質に合わせて魔法を使わない治療法も網羅する義務があるからだ。体質的に外部からの魔法を受け付けない人間が多いと言うわけではないが少なくも無いのだ。回復魔法は基本行う側にも行われる側にもリスクが付き纏う、行使資格が無ければ他人には決して使えない枠。蔓延る物語の中じゃあ専門では無い作家からまるで神のような扱いで書かれることもあるが現実はそんなに簡単にいかない。

 触れただけで元に戻す、と言う描写ひとつの間にどれ程の神経を癒術師が注いでいると思うのだ。それこそ瞬きも出来ない緊張感の中で、痛覚遮断を行い神経を繋ぎ蘇生魔法との両立で患者の体力を見ながら一ミリの間違いも許されない命を癒すことが、一言で表せると思うのか。細かく言うとキリが無い、癒術師達の使う魔法は大雑把に回復魔法と言われてはいるが、その実ひとつひとつを細かく言えば蘇生、細胞の活性化、沈静化、と各々の担当分野は様々に枝分かれしている為たったひとりの癒術師で全ての怪我が治せると言う世界観は完全なお伽話である。魔術力の他に魔法を使わない治療も完璧に身につけることが当然である故、頭が狂う程の勉学を積み重ねて彼らはここにいるのだ。だからこそ自身の腕の良さに確信を持っている、ヒュプノス癒術院と言う場に自惚れる愚か者は一人もいない。迷いも自惚れも、メスを持つ手には乗せてはならないものだからだ。


「キメラ細胞、魔力器官に適合確認!拒否反応無く同化しました!拍動再開、活性化開始されます!」

「良し、出血量も落ち着いたな。このまま細胞が損傷した下部を埋め同化したと同時に素早く形を整える!俺の手先の動きは見たな!?ここから先も目を離すな!」


 大丈夫だ、絶対に助かる。

 いいや。俺なら助けられる。人としての命も、魔術師としての命も救える。救ってみせる。その自信しか、この両手には無い。

 昨日に悩みを吐き出させて、言葉をしっかりと交わした生徒だと言うのに。ここで物言わぬ骸にさせてたまるものか!この目は命を救う為にある特別な目、この鼓動が止まらぬように導く為の力、癒術師程諦めの悪い人間はこの世にいないと言うのが己の持論である。

 昨日目に映した状態とのあまりの違いに、何のアクシデントがあったか、何が大きな切っ掛けになってしまったのか、投げかけたい疑問は幾らでもあるが。それらは全て、こいつを助けた後でいい。即連絡を入れた家族も、きっと施術室の前で待っている。誰だって、命を失ったら悲しむ人間が絶対にいるのだ。この世に何一つとて、失われて惜しまれない命なんてどこにも存在しないのだから。


「…………術式、終了!呼吸状態異常無し、バイタルサイン平常ライン安定!」


 ――そうして。施術室の使用中の表記が消えた時。ラムはようやく、久し振りに息をしたような感覚に陥った。施術の際に漂う血の香りにも、人の中身も見慣れた筈であるのに。……教師、と言う側面をひとつ持っただけで、こんなにも心が揺らぎそうになるだなんて。教師生活の始まりとしては、生涯忘れられなくなりそうだ。


 安堵感からしゃがみそうな身体を甘やかすつもりは一切無い。無事に終了した難度の高い施術の後、しっかりと呼吸する音が聞こえる患者を、初めての生徒を見て。その横に付き添いながら、施術室を出ていく。

 彼が起きてからも不安を取り除けるよう、癒術師としても教師としても働きかけねばと。ラムは決心を強く固めたのであった。

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