96

 その日のリドミナ学園の朝は、異常な空間を一部が作り出していた。

 やけに門のあたりに着いた頃から騒がしい。礼拝が始まる十五分程前に登校を果たしたヒイロとスオウは、異様な雰囲気が下駄箱のスペースに来ても、大広間に来ても止むどころかむしろ広がっている気配を察し。ひどく不穏な空気が流れているとあたりを伺っていた。木々の優しいざわめきなんてものではない、ばらばらにそこかしこでひそひそと何かを話し、時に言葉を失っては中途半端な沈黙が訪れる。ひっくり返した籠の中から慌てて出てくる鳥みたいに、穏やかでは無い騒がしさが辺りを支配していた。

 今日、何かあったっけ?とヒイロが隣にいるスオウへ不安げに首を傾げれば。特に無かった筈だと、嫌な空気を跳ね除けるように返事をされる。背中に冷たい水でも垂らされたようなぞわぞわとした感覚に、なんだかひどく嫌な予感しかしない。


「すいません!道を開けて下さい!急病患者がいるんです!開けて!」


 そこへ、切り込むように飛び込んで来た人のかたまりは。あまりにも強く、皆の目を引きすぎた。尋常では無い、必死な叫び声。それに驚いた者は身体を固まらせながらもかろうじて今の位置より後ろに下がり、大広間にはぽっかりと空いた道が出来る。

 何事かと視線を一斉に移せば、そこには数人の人に囲まれて担架で運ばれてくる人間の姿があった。そして、その後を追うように着いていく二人の教師と、二人の生徒。接地する車輪が、標準の体型より大きな人を必死で運んでいく。救護隊、その紋章がつけられた真っ赤な服を纏う者が呼びかけながら自分達の目の前を、通り過ぎていく。

 一瞬、頭が白んだ。

 意識の無いまま、あそこへ乗せられたことがある。あれは、あの人と一度不器用にぶつかりあって、大火傷を負った時。それを連想して息を飲んだから。でもそれ以上に驚いた、のは。


「――っ、ノアさんっ!?」


 担架に乗せられていた姿に気付いてしまったから。その人は、紛れも無く、あの人だ。ヒイロが、わたしが、何より望んだあの人を幸せにしてくれる筈の、人。わたしの大切な人の、大切な人!

 あれだけ濃い紺色の人なんて、この学園ではほとんどいない。ザッと横切られた時に目に入れるだけでもすぐ分かる、…何より、その後に付き添うように走っていく生徒は、他でも無いエリーゼ様であったから。

 気が付けば自然に駆け寄っていた。何かが出来るわけでも無い、それでも何があったのか少しでも早く知りたかったから。付き添うエリーゼ様の後ろ姿をようやっと直線上に捉えた時。目の前を塞ぐようにこちらを振り向いて止まった存在がいた。


「やあ、セリュアスの可愛い子。申し訳無いが、急いでいてね。彼、セリュアス、に伝言を頼めるかな?僕はあの子と癒術院まで付き添わなければならないから、その間だけ僕のクラスを頼むよ、とね」


 …この人は、バトラトン様とよく時間を共にされているご友人だ。私の不安な気持ちを強引に遮断して、伝言お願いね、と力強く肩を叩かれる。そして、小さな声で「気持ちは分かるけど、今だけはそっとしておいてあげて」とこちらを落ち着かせる為の言葉も忘れないでかけて下さった。

 後から彼に怒られるの嫌だから愛嬌たっぷりに説明頼むよ、と冗談を交えながらも、バトラトン様のご友人…ニア・マッドーリ様はそのまま踵を返して大広間を出る通路へと走り出した。


 学園の門前に仰々しく立つ赤い扉、それは救護隊にのみ許される特殊権限。登録されている地点であるなら素早く繋げられる、急患をすぐに運ぶ為のシステム。搬送が可能な癒術院の中へと繋がることも出来る、命の扉。

 ヒュプノス癒術院、と行き先が刻字された扉は救護隊員の合図で開き。指示を出す教師の必死な声と、懸命に呼びかける隊員の声をひとつにまとめながら、運ばれる急患と共に皆を中へ招き入れ、即座に閉じていく。扉を繋ぎ召喚する術式はすぐに解け、そこの領域から剥がす際に鳴る音と痕跡を剥がすエフェクトがかかり。すぐに、何も無くなっていく。


 何があったんだ、とざわつく中に。やっぱり、あの女と関わると不幸になるのよ、そんな心無い声を耳聡く拾ってしまい。

 ……救護扉の向こうへ消えたあの人が。何の声も発さないままについて行ったことに気付いて。ただ、唇を噛むことしか出来なくなっていた。


 × × ×


 四。あまりに縁起が悪すぎる、と学園の幸先を曇らせるような朝の礼拝。まだ今学期が始まってから、たったの四日だ。初日に国王両陛下にご足労までおかけし、忠告を受けたにも関わらずひとつの騒ぎが起きたことに対して生徒達はひたすらに顔を青くしていた。あの時の文言は強く心に刻み付けられていたのだろう。やはり、王の言葉があっては誰も愚かな行動など出来ないと言うことだ。新たな管理者である彼等に、以前の汚名を払拭する程の態度を意識せねばならないのは当然のこと。だからこそなおのこと、今朝の騒ぎを知った生徒達は互いに伝達しあい。そして「またやってしまった」と、真っ先に恐ろしさを感じたのだ。

 早朝、教師は全員揃っているがまだ生徒の数はまばらな時間帯。授業前に活動をしたい者や、静かなうちに登校したい者。理由は様々ではあるが早めに学園へ足を踏み入れる生徒も決して少なくない時間。今日の朝と言う、先程起こったばかりの「事件」の噂に不安を煽られた雰囲気を引きずったまま在校生らは礼拝の席に着いていた。…主に、これから、何を言われてしまうのだろうと言う恐怖に負けた者ばかりである。


 …生徒の一人が、早朝温室で倒れ意識不明の重体になったとのこと。登校直後にそれを聞いた場は、石を乱暴に投げられた水面のように衝撃を走らせた。

 大広間を急ぎで通り、担架で癒術院へ運ばれた生徒。それに何故怯えたか、不安であったか、見たことがあるからだ。しかもここ数ヶ月という最近のうちに、生徒同士の諍いで死にかけた洒落にならない事態を知っていたからだ。それを聞いて気が気でなくなるのも普通のことだろう。

 また誰かが騒動を起こした、名ばかりの王立学園から体制を改めとてつもない改革が行われ泥は払い落とした筈だと言うのに。また騒ぎが起こった。何故か。その理由を探るより前、生徒の心配が真っ先に向かったのは倒れた生徒そのものでは無く……「また学園で王に顔見せ出来ない事件が起こってしまった」と言うものばかり。他人に興味が無いと言うのも分かるが、たった十数分の間に脳内が犯人探しへ移行する者もいたらしく。度し難い。


 ――そう言った思い込みを持つ者に喝を入れるような形で、それからの朝の礼拝は終了したのだ。


「難しい顔しても、戻って来るの待つしかねえだろ。今は」

「…………うん、」


 勉学に努めるのは、学生の本分。たった一人の生徒がそれらしい理由で倒れて運ばれたところで、授業は行われる。それは当たり前のことだと思う。勉強する機会を奪われてはならない、と言うことの大切さも、フレデリカ神父から生活の何もかもを教わったこの身ならば痛いくらいに分かる。

 それでも、知っている顔が緊急搬送された直後の授業に向けての準備など。身に入るわけも無い。ぼーっとしていたわたしの肩を軽く小突いたスオウの存在に励まされながら、わたし達はいつもより重く感じる教材を持ち、移動先の教室を目指していた。


 朝の礼拝では、「登校時、七年生の一人が持病で倒れ緊急搬送された」とだけの説明をわたし達は受けて。そこから強調されたのは、その生徒が重篤な症状を元々抱えていたこと。その点に対して暴行や不審行動等の外部要因は一切見られず、体調不良による急変が大元の原因であると教師は呼びかけていた。

 そして、次いで釘も刺された。以前に様々騒動があったことから不安になるのも仕方ないだろうが、憶測や妄想だけを真実と呼び学園に不名誉を被せることを繰り返さぬようにと。そう、以前の騒動でまさしく渦中の人物であったわたしは、今回ばかりは中心ではなくその周辺人物になったのだ。だからこそその教師の忠告は、とてもありがたかった。


 わたし達の感情も知らない癖に、わたしを勝手に被害者と思い込んで。エリーゼ様を勝手に加害者と思い込んだ。伝染していく悪意の恐ろしさを、わたしはあの時よく学んだのだから。

 当時学園の体制は確かに腐っていた。だからこそ断罪の場のように生徒が暴走する可能性もあの頃は高かったけれど。国王両陛下がここの管理者へと成った今でも、しばらくは鞭も必要だろうと思う。だって、体制が腐ろうが浄化されようが、自分自身を腐らせることを選ぶのは他でも無いその生徒自身だ。甘い汁を急にすすれなくなった者、一切楽が出来なくなった者、そう言った負の側面を持つ生徒が今の状況を逆恨みすることも考えられる。

 新しい教師は、曇らせたままの目を持つ生徒を今度こそふるいにかけるつもりなのだろう。礼拝時、壇上に上がった教師は既に聞いていたらしい。…生徒が倒れたことに、憶測で一部の生徒を犯人呼ばわりして。さも不幸な事故を事件に仕立て上げようとする思考の持ち主が何人かいたことを。そしてそれを語り、こうも呟いた。

 時間を共にする仲間を心配することも出来ず、上から受ける罰だけに怯えてその場しのぎで冤罪を作り出すことが国王両陛下の治める場で胸を張って出来ることであるのか?と。ここは王国唯一の王立学園。相応しい行動と言動を慎むようにと、一部には強く突き刺さる内容をはっきりと言ってくれたのだ。


「…エリーゼ様は、これからもっと幸せになるの。それにはあの人がいてくれないと、絶対駄目なのに。……そんな大事な人がいるのに、どうしてまだエリーゼ様を犯人扱いするんだろうね、」


 病魔。今回の騒動で何かを犯人扱いしたいのであれば、きっとその単語が相応しい。持病で倒れた、と言う説明を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、あの人が。ノアさんが、エリーゼ様の復帰前にわたし達の教会へ立ち寄ってくれた時の様子だった。


『………いやー。面目ない、本当、宝の持ち腐れでね。せっかくの貴重な魔法でも、使い手がこれだとかわいそうだよね………』


 籍を入れてきたと。学園に戻るより少し前、その足で教会へ向かい。わたしに会いたかったと言ってくれたあの人は、ひどく悪い顔色をしていたのを思い出す。回復魔法を使いましょうかと、教会でのお手伝いをするうちに回復魔法の行使許可を得るようになっていたわたしの言葉も、「体に慣らさないと」と言って断っていたあの人の様子。今思うと、あれは、無茶でしかなかったのだ。希少な魔法はものによってはリバウンドがひどいと聞いたことがあるが、教会の前でうずくまっていたところをスオウに連れられて来たくらいの状態の悪さだったのだから。最早、慣らす以前の段階であったのかもしれない。

 知らなかった。そんなに重いものを抱えていたなんて。もしも、あの時ほんの少しでも負担を軽減出来たなら。今更考えたところで全て後の祭だと分かっていても、遡った記憶の中に後悔が育つ。


「…ヒイロ。あの時少しでも力になれてりゃ、なんて思うんじゃねえぞ。そこまで感情移入はすんな、お前が辛くなる。持病なんて普通赤の他人には話さないだろうし、あいつがもし自覚してたなら、いつか本格的にぶっ倒れるかもしれないことも見えてたかもしれないだろ。……男の意地ってのもあったんだろ、」


 先日、昼の時間帯に四人で食事を共にした平和な時間が頭に蘇る。楽しそうにノアさんと話をしていたスオウの様子も思い起こされて。

 今のスオウは、悲しそうな表情をしていた。男の人にしか分からないこと、をきっと共有出来ているのだろう。


「スオウ……大丈夫かなあ、大丈夫だよね、」

「ぶっ倒れたことが、エリーゼに何かされたからだとかクソみてえな噂回すきっかけになったって知りゃあいつが許すわけもねえだろ。怒りたい気持ちも、悲しみたい気持ちも、今は二人の為にどっかに置いとけ。戻ってきたら渡しゃいい。………真っ先に元婚約者の頭ガチで狙って倒したくらいの男だからよ、倍返しは絶対してくれるだろうよ」


 スオウが、わたしの荷物を奪い取るようにしてから歩く。


「お貴族様んとこに伝言頼まれてたろ、先に持っていってやるから行ってこい」


 何かしていないと落ち着かない、そんなわたしの気持ちを見透かしてか。ショックで忘れかけそうになっていた頼まれごとを慌てて思い出す。七年は七年の監督生徒の管轄だ、マッドーリ様がいなくなって混乱したままのクラスにエリーゼ様を戻らせることは出来ない。

 ありがとう、気を利かせてくれたスオウに元気な無くなった声色のままお礼を投げかけて少し駆け足で場を離れる。

 …誰の足しになるのかも分からないけれど。今は何かをしたかった、はらはらと迫る不安を散らす為に。

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