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 えも言われぬ不快感を手にした時人はどう思うのだろうか。現に今、言葉にするのも面倒だと言う脳筋一直線な思考に支配されている僕は暴力的な発想がちらほら浮いた挙句にそこへ帰結しようとしていて。冷水をかけたところですぐに蒸発して熱くなるような、感情の抑制がぎりぎり出来ているようで塞き止めにも苦労する。


「……とまぁ、それぞれの評価としてはこんなもんか。…数値だけなら、全体的に見て前学期より僅かに事態の処理速度が上がってるな、偉いぞ。だが、肝心の連携が稚拙なクラスも多い。次回もこれならお前さん達が巣立つにはまだ早すぎるとギルドの方に忠告が飛ばさにゃならんだろうな」


 全クラスの全体演習が終わった空間に、ラムの評価がとくとくと注ぎ込まれる。へらりと微笑んでいた表情から一転して、人を導くべき者としての顔が生徒に向かっていた。

 教師陣が一斉に変わった中、経歴に輝きを持つ彼から初めての観察を受け、ほっとした表情を出しながらも直後「稚拙」と評されたことに、唇を噛みしめる者も何人もいた。…どうせ、ヘイリーはその中にも入ってはいやしないだろう。


「お前さん達が就く場は、何度も言うが命のやりとりと常に隣り合わせなんだ。だから、ことこの場において学生だからと言って評価を甘やかす気は俺には一切無い。…さっきも軽く触れたが、特にⅠクラスはたった一人での独断暴走が起きるわ、速度だけ早けりゃいいってわけじゃあない典型的な例になってくれたしな」

「大丈夫です、先生。僕がいる時は、止めてみせますので」


 鈍い音を携えながら、爽やかに響く声。重々しい鎖をものともせず、ラムの視界に入るように高めに手を挙げたのは僕のクラスの監督生。この場で更に警戒を強めることになってしまった要員だ。


「話を聞くに、僕達のクラスは冷静な判断力を欠かしていたように思えます。休暇が起こった原因に対する様々な感情があれど、そこで鬱屈としたものに対する歪さを発露していいものではありません。授業であれば授業、そう言った余分な感情は取り払い集中するのが学生の本分です。……僕のクラスは、以前から少々荒れやすく常日頃からそう宥めていたのですが、」


 言葉でいって分からないなら、悲しいですが次回からは実力行使で分かって頂くしかないと思うので。と続ける彼の様子には、恐ろしい程変化が無い。あるのはただ、不自然な程の優しさ。皮肉めくで無く、その言葉を向けた者を諭し可愛がるような笑みを見ていると、慈愛という原点に戻らされたかのように。その恵みを冠するヒイロとはまた違う、また別の慈愛がテクスチャーのように貼り付けられた感覚がする。

 どんなことを口に出そうがその全てが善だと判定されてしまう、理不尽な善性。それが、ニア・マッドーリと言う彼の魂の色だ。何を隠そう厄介なのは、本人がそれを自覚せずに、地獄の善人としてヒイロ達の前に立ちはだかり。そして後味の悪さをヒイロに刻みつけて死に行く点。

 怖いことを平然と言うな、と軽く流そうとした僕でさえ、彼の奥底にあったストーリーでの闇を思い出して怖さを感じてしまった。が、本来別国にいる時系列だろうことを考慮してのその発言に、メインストーリー時よりも幾分か丸くなっていると思わせるのはカナリア王国にいるからなのだろうか。


「流石に、我が王国の為に羽ばたき活躍すると言う使命を望む者ばかり。自覚の無い者はいないでしょう、だから、監督生として彼らのストッパーを僕は努めます。……それに、先程聞いた中では。進路を変え、この授業が不必要になった生徒もいるらしい。ここから先はまたご相談が必要ですが、僕が休んでいる間状況も相当変わったようです。クラスの平静化の為にも僕は尽くしましょう。…今日だけは僕の顔に免じて、諸々ご容赦下さると嬉しいです」


 ふと、彼を思った。ニアの言葉に、クラスメイトの誰もが尊敬に似た眼差しを向けている。実力行使してでも止めるぞ、と言う脅しに似た言葉を出されたばかりだというのに。エリーゼが一番悪い、と憤慨していたクラスメイト達が、まるで、悪かったのは自分達だと罪の意識に苛まれるような空気を漂わせていた。そして…ニアの言葉に、すぐ救われて晴れやかな顔をして。

 ちょっと待てよ、と。違和感をようやく可視化出来たのは、僕も彼をそう言うキャラクターだからと思い込んでいたせいもあるかもしれない。こういう思い込み、何度もしてきたぞ。ここにいるのはキャラクターではない、実在する人間達だと言うのに…ふとした瞬間前世の僕との感覚が無意識に混じるのが性質が悪い。彼の情報を一旦忘れ、客観的に見てみれば分かった。

 このクラス、首や腕に鎖付きの輪を付けた見目の者に対する嫌味も無く、忌避の目も無く。むしろ彼に対しては信頼だけしか置いていないことが感じられる。不自然な格好、不自然な言動、それを含んでもなお彼は信頼される。尊ばれる。それを誰も異常とも不自然とも思っていない。つまり、嫌な予感しか無い。


 …ニアの、すべからくして「愛されてしまう」と言う性質が、カナリア王国にいても全く変化していない。ニアが元々味方キャラクターと言う情報があれば不自然に思わないだろうが、彼はあらゆる意味で戦うのを避けたい敵キャラクターだ。その異常さに変質や改善の欠片すら見せず、その抱えた闇の深さを自覚しない善のままここにいる。

 ニアに至っては、メインストーリーと比較した際にあまりに変化がなさ過ぎるのが問題なのだ。話せば相当長くなるそれを端的に言うならば、彼はダーティーな聖職者である。今はそれだけでいい、目を逸らしたい。……そんなことはどうでもいい、あの男に一発食らわせてやれと言ってくる内なる自分の支配の方が、強いから。


「全く…ニア、だったな。お前さんもお前さんで、一人で背負おうとするな。皆、手伝わなきゃ何も出来ないってわけでもねぇんだ、優しいのも別にいいが甘やかしすぎるなよ」

「はい。肝に銘じますよ先生。どうぞ、授業の続きを」

「はぁ…。ま、話を戻すぞ。とりあえず全体の方で体もあたたまった頃だろうし、そのまま対人戦に移行する。希望する者を優先するが、自分は当たらねえと思うなよ〜。一応年度の終わりにはこっちから当てた回数も希望以外に均等になるようにしてっからな」


 新学期一発目の希望者、いないか?と全体に呼びかけるラム。カチリと、僕の中のスイッチが切り替わる音がする。

 気が付けば、ラムの言葉の継ぎ目の最中……僕の、この右手が、自発的に上がっていた。挙手しようと中途半端に手を上げた幾人の生徒より目立つよう、綺麗に挙げられたこの手を見て、近くにいた生徒からの視線が集まる。

 長話にわざとらしい欠伸をあげて退屈そうにしていた隣の彼女の口が、三日月のように吊り上がった。まるで、これから行う悪戯が必ず成功することに確信を得た童心を引きずったかのような、愛らしい笑みだ。

 短期間であろうと生徒は生徒。元よりそのつもりで彼女の隣にいる、ニアからもその点だけは認識して貰えた挨拶もあった。一時とは言え、この授業にも僕の参加権はあると言うこと。つまり。


「それでは、不肖私、一番手に名乗りを上げてもよろしいでしょうか?」

「お、やる気満々だな。…Iクラス、短期入学生か。こりゃまた面白い魔術の腕持ってんなあ」


 バインダーをめくり、視線を落としてすぐこちらに声をかけたラムの様子に。悪気は無いと言えど、勝手にハードルが上がっていくプレッシャーが付け足される。学園に来てからまだ二日目、手札を見せつけたことは無いが、女王様のブレスレットと先程の実戦演習で使った水の魔法から、僕の使用魔法に対する偏見は出来上がった頃だろう。皮肉なことに、ブレスレットを使用した魔法は僕の移動魔法の最上位互換。空間系魔法をあんな手軽に行えるように出来るあの方と比べられる位置にも僕はいやしないが、ハッタリとして利用するには最高だろう。


 だが、今回はこの魔道具は絶対に使わない。自分の力だけで対峙したいと言う思いが、あまりに強かった。邪魔になるといけませんので、と自然な手つきでブレスレットを外し…上着と共にエリーゼに預ける。僕の意地を感じ取ったのか、彼女も不敵に笑み受け取ってくれた。


「じゃあ、他に希望のある奴は…」

「あ、申し訳ありません。ご指名させて頂いても?」

「お?別にいいぞ、誰にする?」


 明らかに実力が格上だろうが、男として、婚約者として譲れないものがある。そう、僕が許せないのだ。僕が我慢出来ないから立ち向かいたいのだ。


「IVクラスの、ヘイリー・フィジィを」


 僕達夫妻の関係性を知るクラスメイトから不穏なざわつきが露骨に起こるが。やってみせようと言う気力に溢れた僕には、決闘だけが目に焼き付いていた。

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