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 ひとつの光景に夢中になると、時間は早く過ぎるのをまたも実感していた。僕達の所属するクラスは圧倒的な速度での課題完遂を終え、他クラスの全体演習の見学の段階へと移り。当然の如く不穏な空気を携えながらも、彼女に対して恐れを抱いている者が多い為か口を出さずにいる状態を含んだ様相となっていた。

 …ただ、その直前に。後方で小さくない言い争いが勃発したのも嘘では無い。


「お前ほんとふざけるなよ…!?クラス全体の課題だろ、少しは協力する姿勢くらい見せろよ!」


 真っ当な人間であり、かつ他人に口を挟むことが出来る勇気と言うものは一種の才能だと思う。とことん消極的な者は、原因に向き合おうともしないから。ただまあ、その相手が今回は悪すぎる。

 クラス内では積極的に行動出来る方の青年だろうか、先程の仮想森林空間を大炎上させ火の演武を見せた彼女に対し、終了直後いの一番に突っかかったのはそんな存在に見える。何を考えているんだ、誰かが死んだらどうする等々至極当然の苦情を抱えながら周りの者もやいやいと声を上げて彼女に詰め寄りはしたのだが。


「アタクシより早く成果を上げられぬ方が悪いのだろう?自分の弱さを他人のせいにする人間が、ギルドに入ったところで輝けるのかねえ」


 終わったぞ、と言わんばかりにもう一度換装をし。ふあ、と小さい欠伸を出しながらそれらを適当にあしらうエリーゼに。隠せもしない程の苛立ちを覚えた人間は何割くらいだろうか。

 ああ、唯我独尊のところも非常に好い。皆から見たら確かに不遜にも見えるのだろうけれど。僕と来たら、我欲に従いどの場面でも自分だけを強烈に焼き付かせて行く彼女の存在感が優れている点だとして見てしまうのだ。


「手柄も全部奪われて、ただ見るだけしか出来なかった人間にとやかく言われたくないね。オマエ達に何が出来た?一匹でもアタクシ以外に倒せた者は?」

「っ!だから、その邪魔をお前がしたんだろうが!協力どころか妨害になってただろ!やり直しだこんなん!」

「実戦の場においてもやり直しがきくと思っているのか?そいつはたまげた脳の中身をしているねぇ」


 弱肉強食の縮図としてこの場面を見せれば簡単だろうか。ただ、彼らの動きを見る限り皆が弱いわけでは無いと感じるのが難しいところ。エリーゼが突出しすぎた強さだっただけに過ぎない上での結果だ。

 周りの生徒の魔力の高さがどれくらいか何て一目で分かる。僕のように見掛け倒しの色を持つ者は全くと言って存在しないのだから。中には、自分の色を誤魔化している人間もどこかにいるのかもしれないけれど。学園の環境や教えが良いのだろうか、最上級生達が揃って授業を受けるこの場で薄い色を持つ者は全くと言っていいほど見当たらない。今より幼い頃からこんなに整った環境下で勉学に励めば、独学よりもずっと早く才能が開花して色もより一層濃くなっていくのだろう。……独学平民の僕とは皆大違いだ。ハッタリ色にならないよう、僕ももっと腕を磨かなければと思い、あの炎の感触を思い出していた。

 軽くそこらを見るだけでも、衣服が少し焦げた様相の生徒は結構いる。でも命があるだけ良いだろう、大きな怪我も無いなら逆に感謝すべきなのでは無いかとさえかんがえる。素直に燃えて終わるだけの弱さを持っていなかった己に感動でも勝手にしていれば良いのに。

 彼女の炎は、魔性の炎だ。あれは、望んでこそ余計に輝いて見えるのでは無いだろうか。今も、昂りを隠そうとしないと繕えない程の僕がいるように。今話を振られたり責任を求められたりしようものなら、僕は絶対に正当化してしまう。彼女の炎の全てを。それを知ってか知らいでか、弱者と問答を続けるのを心底面倒そうにしている彼女は、さっさとこのつまらない口喧嘩を終わらせようとしているように見えた。

 いい加減に、そろそろ彼女の言葉の邪魔をし過ぎだろうと口を挟もうとしたその時だった。場をおさめるように出された、静かな声が降りてきたのは。


「まあまあ。何にせよ評価を決めるのもお叱りを決めるのも、先生方の裁量だよ。今ここで時間を取って他クラスと新しい先生方に迷惑をかけるのはよろしくは無いと思うけどなあ」


 ジャラ、と重たい音を所作と同時に立てる青年が、他のクラスの生徒達の間を縫って歩いて来るのが見えた。柔らかい態度で仲裁に入って来たその存在は、優しげな好青年に見えてなおかつ、物騒な異様さも見せつけてくる。

 …紫紺の瞳、紫紺の髪。紺色の系統ではあるが、僕より暗い色だろうか。少し垂れた目元は相手に悪い印象は与えないだろうに、首から下の一部分が僕にとっては異様な風体だ。首に付いた黒のチョーカー、両手首についた黒のブレスレットはどちらも明らかにお洒落目的では無さそうだ、傍目から見ても重量を感じる。肉付きとしては平均的な成長よりも少し痩せ型と見えるのだが、それに似つかわしく無い程の物。まるで重罪人が付けるようなそれには棘が生えている。目を引くのは、そのチョーカーから伸びている鎖が二叉で、ブレスレットへと繋がっている部分もそうだ。

 ジャラ、ジャラ、足音に重なり、手の動きに重なり。鎖と首輪、腕輪の重みを乗せている。


「何より、このクラスの監督生としては見過ごせないからね」


 そう言葉を出しながら、雰囲気が悪いさ中に割入って来た彼を見て。僕の頭の引き出しの一部が、だるま落としのようにすこんとそこだけ飛ばされて記憶中枢へとぶち当たる。頭の中で思い出した火花が散ったと同時に、どうして”あの”彼がこんなところにいるのか…慈愛のマトゥエルサートと言う原作を知ってしまっているからこそ動揺も大きいのだが。嗚呼、どうしてこうも細かく知りたいような事象ばかり起こってきて、集中しようとする僕の思考を乱そうとしてくるのか。


「ニア…!しかしだな、以前より増してこいつは振る舞いが…」

「ああ、言いたいことは分かるよ。でもこの場は一旦おさえてくれるかい。今は合同の演習なんだ、他のクラスの時間まで取るわけにはいかないだろう?僕の顔に免じて、今だけは落ち着いてほしい」

「………すまない。こちらが頭に血がのぼりすぎていた。お前の手を煩わせてしまうわけにもいくまい。ここは我慢するとしよう」

「ありがとう、けれど君のその感情も至って真っ当なものだと思うからね。必要以上に気を落とさないでおくれ。エリーゼくんも、故意に喧嘩を売るような真似はよしてほしい」

「さあ?アタクシは誰も傷つけてはいないと言うのに、それが勝手に憤慨しただけに過ぎん。だが、騒がしくしない奴は認めてやる。とっとと監督生としての責務を果たしな」

「相変わらず言葉がきついんだからなあ、君は」


 青年に話をふられたエリーゼも、周囲の人間も、彼が止めるのならばと言う雰囲気で。一気に、膨らみかけていた喧騒が沈静化した。自ら監督生と強調して割り込んで来たあたり、クラス内での信用は相当に大きい人間のようだ。いや、原作アプリでは、信用うんぬん以前の大問題の存在だったのだが。


「…おや。そちらは見かけない生徒だね。すまない、休暇期間が変わった時、約束していた仕事があって今日まで来れなかったんだ。もしかして、君が短期入学のクラスメイトかな」

「これはアタクシの新しい婚約者だ。それに、アタクシの新しい卒業後の就職先でもある。……良かったねぇ、オマエ達。アタクシと将来仕事をせずに済んだじゃあないか。エテルニテ・フラムなど、既にアタクシにとっては何の興味も無いガラクタよ。せいぜい望む者だけが空席のお零れを味わうといいさ」


 喧嘩を売るなと言われたばかりだと言うのに、このひとはなんてかわいいのだろうか。そしてその言葉は僕に効きます。有名ギルドよりも僕達の山の方へ向かうと、口に出されては死にかけると言うもの。嬉しさが大きすぎて胃が痛くなるだなんて初めての経験かもしれない。僕の器、あまりにも彼女からの至福の供給に耐えられないくらいに割れやすくなってないか?

 ぽい、と放り捨てるように出した言葉の衝撃が大きかったせいか。平然と言い放つエリーゼに対して、目を丸くして驚く者も。えっ、と、その考えが理解出来ないかのように声を上げてしまう者も。会話の中心になっている二人の傍にいる僕に、しまいには視線を集らせてくる。分かりやすいプレッシャーだ、あのどうしようもなかったエリーゼにここまで言わせるとはどんな野郎なんだ、と言う疑問と同時に、珍生物でも見るような目で僕を覗いているのが簡単に分かった。

 …重い。非常に重い、冷や汗をかきそうになるのを肌が必死に止めている。だが、的になる練習には丁度良い。これから先も、こう言った反応には気負いもせずに返答するスキルが求められるだろうから。自らデコイを努めるには、悪の皮をかぶったばかりの僕にまだ経験が足りない。緊張感を払うように、僕からも「はい。短期間ではありますがよろしくお願い致します」と、彼に近付き挨拶を行った。狡猾に、円滑に、そして快活に。彼女の夫に相応しいと、はたから見ても自然に思えるように。


「ノアくんと言うのか。僕はニア、ニア・マッドーリ。このクラスの監督生だから、何か疑問に思うことがあったらいつでも聞いておくれ」


 ――でしたら、何故。貴方様は

 などと、あまりに不躾なこと、聞ける筈も無い。女王と言い、ウィドーと言い、ロジーと言い、そしてこのニアと言う青年と言い。今この場面ではフィジィだけに脳を割きたいと言うのに、容量を奪おうとしていくのだから。今だけは彼に関して深く考えないよう自制し、ありがとうございますと当たり障りの無い声を出した。


「さあ。皆もこれ以上騒ぐのは無しだ、他のクラスの訓練の在り方を見て学ばないと」


 彼の言葉ひとつでさっとまとまるクラスを見て。嫌な胸騒ぎばかりが高まっていく。これは、どう言った歪みであるのか。

 ニア・マッドーリというキャラクターは、本来この時系列であるなら他国にいる筈で。そして、そこで死ぬことが確定している非攻略対象。――他ならぬ、カナリア王国の敵対者として打ち倒される存在なのだ。

 

 学園での状況が落ち着いたら、無理矢理にでもウィドーにコンタクトを取らなければ。同じ転生者として、時系列通りでは無い不足の事態にアンテナを立てているのはあの人も同じだろう。そして何より、僕よりも絶対多くを知っている。教えを乞おうときっぱりと方針を決めて、元の視界に戻していく。

 何も、何も余計なことは考えず……。彼女の夫として意識せずにはいられないあの男に対し、余計に苛つきを振りかぶろうと、危うい感情が僕の中には上乗せされていた。


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