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 そして、一時間後――


「ふんふ~ん♪」


 美里奈は鼻歌交じりに油絵具を画布へと塗っていく。そこには、やや粗さはあるものの、確かに鳥籠の中で横たわるインコの屍が描かれていた。


 パレットの上で色が踊り、血の赤を、羽根の緑をさまざまな色合いで表現していく。迷いの無い黒森の筆致とは違って、一度色を置いた上からまたさらに別の色を塗り重ね、一筆ごとに表情を変えていく。


「……驚きました。美里奈さん、絵の才能があるかもしれませんね」


 それを見ながら、黒森は感嘆の声を漏らす。


 俺も美里奈の意外な絵の上手さに正直驚いていた。ろくに下絵も描かないままでありながら、その筆致は巧みにモチーフを写し取り、そしてそれを現実以上のイメージへと昇華して画布へと具現化させている。


「え? そうかな? でも、綾乃ちゃんみたいに一発でささっと描けないし……ほら、こんな風に、何度も色を塗り直しちゃうのに」


 言いながら、美里奈は油絵具を重ねていく。パレットの上で作られた色がさらにキャンバスの上で混ざり合い、独特の色彩を作り上げていた。


「いえ……本来そういうものなんですよ、油彩というものは。水彩と違って、何度でも失敗できる。何度でも色を塗り重ねて、削って、満足の行く出来になるまで試行錯誤する。私よりも、美里奈さんの方が正しいスタイルです。あなたの性格と合っているのかもしれませんね」


「へぇ、そうなんだ……でも、綾乃ちゃんのおかげだよ、きっと。綾乃ちゃんがちゃんとアドバイスしてくれたから。えへへ……ありがとね!」


 微笑みながら、美里奈は描画作業を続ける。


 画布へと様々に色を置いていくそのスタイルは確かに一見気まぐれで無秩序に見える。だが、その試行錯誤を画布は受け止め、より美しい絵を作り出していく。


 黒森の言う通り、美里奈の性格と油彩という技法はかなり良く合致しているらしい。


 その後も、美里奈は楽しげにキャンバスに向かい、絵を描き続けた。それを見守りながら、黒森は時折美里奈に助言を送っていく。


「最初は暗い色から塗るといいです。後から明るい色を塗った時、下から混ざって色合いに味が出ますから」


「ふんふん……なるほど」


「そこの赤色は、補色の青を混ぜるといいですよ。彩度を抑えられますから」


「青だね。OK!」


 見る見るうちに美里奈は黒森から知識を吸収し、それを自分の技術としてキャンバスに表現していく。


 そして、いつの間にか窓の外が夕陽で赤く染まり始めた時――美里奈の小品は全面に色が置かれ、一応の作品の体裁を整えていた。


「よ~し、こんなもんかな?」


 美里奈は筆を置き、やや離れてみて自分の絵の全体図を確かめていた。確かに初心者らしい粗さは残っているものの、それは十分見れる絵に仕上がっている。


「……これで初めてとは、本当に信じがたいですね」


「ああ……めちゃくちゃ上手いな」


 俺も黒森も、二人で美里奈の作品を見つめていた。


 試行錯誤を繰り返しながらも、ほとんど休まずに数時間で一気に描き上げた油絵。美里奈の秘めた才能に驚きながら、その真に迫った小鳥の屍を眺める。


「えへへ……そんな褒められると照れちゃうよ」


 嬉しそうに顔を緩めながらも、美里奈は自分の作品を満足そうに眺めていた。


「今日は下塗りも乾燥させないまま一気に描き上げてしまいましたが、もう少し時間を掛ければきっともっと良くなりますよ。どうです? これからも描き続けてみては?」


 黒森の提案に、美里奈はきょとんとした顔をする。


「え? いいの? でも、綾乃ちゃんの邪魔になっちゃうし」


「何を言っているんですか。もともと、ここはあなたの家でしょう? だったら、私に遠慮することなんて無いんですよ」


「そっか……うーん」


 少し唇に指を当てて、天を仰いで考え込む様子の美里奈。


 だが、程なくしてにっこりと黒森に微笑んだ。


「うん! そうするね。これからも、暇な時でいいから教えてくれる?」


「ええ、もちろん」


 美里奈の言葉に、黒森は快く頷いた。


「やった! いっぱい描いて、綾乃ちゃんみたいに上手に描けるようになりたいな……」


「美里奈さんなら、きっとすぐに上達しますよ。私なんて、すぐに追い越されてしまいます。初めてでこんなにも上手いんですから」


「ううん、私なんて、綾乃ちゃんに比べれば全然まだまだだよ。五年――ううん、十年描き続けても、追いつけるかどうか」


「……っ」


 美里奈の言葉に、黒森はしばし言葉を失う。


 十年後――美里奈が何気なく口にした年月。だが、それは恐らく黒森にとっては永遠よりも遠い年月だった。


 ――二十歳まで生きることができれば、幸運な方。


 黒森が言っていたことが脳裏に蘇る。彼女の心臓はその時までにゆっくりと弱り、衰えていき、ついには命を維持することさえ困難になるだろう。


 だが、そんなことなど知る由もなく、美里奈は無邪気な笑顔を黒森へと向ける。


「その時になったら見てほしいな。上達した私の絵を」


 曇りの無い目で見つめられ、黒森はしばらくの間言葉を失ったように黙り込んでいた。


 だが、やがてゆっくりと口を開く。


「――はい。その時はぜひ、見せてくださいね。楽しみにしています」


「うん! 頑張って練習するよ! 黒森さんも教えてくれることだし!」


 黒森がその返事をするまでの数秒に、胸中でどれほどの葛藤があったか計り知れない。


 だが、美里奈は無邪気に喜び、自分の描いた初めての油彩画をいつまでも眺めていた。


「……さて、今日はこのくらいにして、帰りますか」


 言いながら、黒森はゆっくりと椅子から立ち上がる。


「もう帰っちゃうの?」


「ええ。少し疲れましたから。また作業の続きはまた今度にしましょう」


「そっか……じゃあ、またね!」


「ええ。今日もありがとうございました。美里奈さんも、良一先輩も、また学校で……」


 俺に向き直り、ぺこりと頭を下げる黒森。心なしか、その表情は沈鬱に沈んでいるように見えた。


「いや、送っていくよ。疲れてるんだろ?」


「え? でも……」


「美里奈は、絵の片付けを頼めるか?」


「うん、任せて!」


 黒森が返事をする前に、俺は美里奈にそう指示を出し、自分はアトリエの出口へと歩いた。そして、黒森のために扉を開く。


「……そんなに気を回さなくても構いませんよ」


「さっきみたいに倒れられたら、こっちが困るからな。念のためだ」


 俺が美里奈に聞こえないよう小声で言うと、黒森はしばらく逡巡した後に、弱弱しく頷いた。


「……すみません。つくづく面倒をお掛けします」


 案の定というべきか、やはりまだ疲れが取れていないらしい。弱った心臓のせいもあるだろう。だが、それ以上に、たった今の美里奈とのやり取りが、黒森の心を苛んでいるように思えた。




 自宅を後にして、駅まで黒森を送っていく。


 夕陽が赤く染める歩道をゆっくりと歩いていく。その間、彼女は一言たりとも話さない。ただ思いつめた表情で俯いているばかりだった。


 そんな黒森を見ながら、俺は隣で歩幅を合わせて歩き続ける。もしもさっきみたいに立ち眩みを起こしたとき、すぐに支えるように近い距離を保ちながら。


「身体は大丈夫なのか?」


 俺の方から話しかけると、黒森はこちらを見るでもなく、頷いた。


「平気です。さっきのは、本当に少し気が抜けただけですから。今はもう大丈夫です」


 別に虚勢を張っている風でもなかった。体調の方は本当に問題ないのだろう。


 ――問題なのは、心の方で。


「さっき美里奈とした約束……気にしてるのか?」


「はい、後悔しています。どうしてあんなことを言ってしまったのか」


 俺が問いかけると、ますます表情は暗くなる。自責の念に駆られた様子で目を伏せる。


「断るつもりだったんです。そんな約束、守れるはずもないんですから。いつも通り、断るつもりでした。『そこまで面倒見切れない』って、冷たくあしらうつもりだったんです」


 そこで、黒森は一つ大きく嘆息する。


「なのに――どうしてでしょうね? 口から出たのはまるで逆の言葉でした。あんな嘘、つくつもりなんて無かったのに……どうして」


 自問するように呟く黒森。心の底から、自分の言動が自分で信じられない様子だった。


「嘘じゃないから、じゃないか?」


「……え?」


 俺の言葉に、黒森は不意に立ち止まる。そして振り返り、怪訝そうな目で俺を見つめていた。


「美里奈とこれから十年後も、付き合いが続いていたら――そう、心の中で思ったから。本心が出たんだろう」


「それは――」


 言いかけて、黒森は口を噤む。以前なら言下に否定するはずの仮説を一蹴することができない。


 その反応自体が、明確に俺の言葉の正しさを裏付けしていた。


「もう意地を張ることないんじゃないのか? 傍から見ても、おまえらはもう友達だよ」


「……っ」


「騙そうとしたわけじゃない。嘘をつこうとしたわけでもない。ずっと友達でいたいって――そんな本音がぽろっと零れ落ちただけ。誰も責められないさ、そんなこと」


「……ですが」


 それでも、黒森は沈んだ表情のまま首を左右に振る。


「十年後、彼女の絵を見るなんて――できない約束をしてしまいました。これが嘘と呼ばずに何と呼ぶんですか」


 自責の念に押し潰されそうな、消え入るような声。美里奈と交わした叶うはずも無い約束に、よほど罪悪感を覚えているらしい。


 心臓の筋肉が薄く延ばされ、徐々に弱まり、やがて死に至る病。完治のための唯一の方策だった手術は中断され、もう秒読みを止める術は無い。ただ、薬で運命の時を遅らせるだけ。


 それはもはや確定している。できもしない約束なのは確実。どんな励ましの言葉も空しく響くばかりだろう。


 だから――俺は開き直らせることにした。


「約束したものは仕方ないだろ。嘘を言ったなら、その嘘を突き通せよ」


「突き通すって……」


「確かに十年後、おまえは死んでるかもしれない。おまえ自身そう言うんだからな、そうなんだろ。でも、今は生きてる。美里奈の絵を見てやることもできる。だったら、今できることをきちんとやればいい。叶わない十年後の分まで、今、美里奈と仲良くしてやればいい。違うか?」


「でも……いいんですか? 私なんかが、美里奈さんの友達になんて」


「変に遠慮するなよ。向こうはとっくにおまえのこと、友達だって思ってるんだから」


「……そう、ですね」


 そこで、初めて黒森はふっと頬を綻ばせた。


「ほとんど話したこともない時から、一方的に私のこと付きまとって、馴れ馴れしくて……今更、こっちが気を遣うことなんてなかったですね」


「ああ、その通り。あんな妹だが、仲良くしてやってくれるか?」


「ええ。こんな私には、過ぎた友達ですが」


 そして、初めて――黒森の口から、そんな言葉が出た。美里奈のことを『友達』だと、この時ようやく黒森は認めたのだった。


 どこか吹っ切れたような微笑みと共に――




 やがて、俺たちは歩き続け、駅へと辿り着く。夕焼けに赤く染まった駅に人はまばらで、どこか寂しげな風情を湛えていた。


 ここに至るまで、黒森は発作を起こすこともなく無事に歩いて来られた。それに、その表情は家を出る時とは違って、沈鬱な感情は欠片も無い。


「それでは――また、学校で」


「ああ、またな」


 改札の前で、別れの挨拶を交わす。


 そして、定期券を改札機に翳して構内へと向かっていく後輩の後ろ姿を見送る。


 ――と、不意に改札を数メートル抜けたところで、黒森はゆっくりと振り向いた。


「……? どうした?」


「一つ、言い忘れていたことがありました」


 どこか頬を赤らめ、視線を泳がせながら告げる黒森。照れ隠しのように、その顔には不愛想な表情が浮かんでいる。


「何だよ?」


 俺が訝しく思いながら訊ねると、黒森はごほん、とわざとらしい咳をして、さ迷わせていた視線を俺へと向ける。


「美里奈さんのことだけじゃなく……私は、あなたのことも嫌いじゃありませんよ、良一先輩」


「え?」


「できれば、その……これからも仲良くしてもらえると、嬉しいです」


 意外な言葉に俺はしばし呆気に取られる。だけど、それだけのことを言うために、ひどく恥ずかしそうにしている黒森の様子がおかしくて、不意に笑いがこみ上げる。


「ぷっ……ふふ……」


「……わ、笑わないでくださいよ」


「いや、悪いな……やっぱ、意外と可愛いやつだな、おまえ」


「だから、変なこと言わないでくださいって……」


 どこか拗ねた様子で唇を尖らせる黒森。その反応さえも微笑ましいものだった。


「こっちこそ、これからもよろしくな。絵作るの、一緒に頑張ろう」


 そして、俺が答えると、すぐに不満げな表情を和らげその口元に微笑みを浮かべた。


「はい。私と、先輩と、美里奈さんと……三人で一緒に」


 互いに笑みを交わした時、不意に構内に電車到着のアナウンスが流れる。それを聞いて、黒森は少し名残惜しげにしながら、踵を返した。


「では……また」


「ああ。またな」


 そう挨拶を交わすと、黒森はホームへと向いて歩いて行った。改札の外で、俺はその後ろ姿を眺めていた。


『また』――か。


 黒森とまた会う機会は、これから何度あるだろう。普通なら考えもしないそんなことが頭にちらついて仕方なかった。


 最初はただ成り行きだった。秘密を知られたから、仕方なく――あいつの絵に付き合っているのは、そんな消極的な理由でしかなかった。ひたむきに、それがどんなグロテスクなものであろうと己の夢のために突き進むその姿。俺はそれに少しずつ目が離せないようになっていた。


 黒森と打ち解け始めていることに後悔は無い。どころか、あいつの『生きた証を絵として残したい』という夢を後押ししてやりたいとも思っている。


 だが、それはそのままいずれ訪れる別離の時の痛みを増すことになるとも、心の片隅で理解していた。それを予感して、今から胸が疼くようだった――




 黒森を見送った後、俺は家に帰る。その頃にはすっかり日が落ちて辺りは暗くなっていた。


 そして、二階に上がり、アトリエの方から未だに物音がしているのに気付いた。


 ドアを半ば開けて中を覗いてみると、美里奈がアトリエの中で新しいキャンバスに向かい、絵を描いている。今度はインコの死骸ではなく、アトリエ内に置かれていた花瓶やグラスといった静物だ。


「美里奈、まだ描いてるのか?」


 俺の声に気付くと、美里奈は振り返った。


「あ、お兄ちゃん! ごめんね。片付けの前にもうちょっと絵を描いてたくて……」


 エプロンを絵具で汚しながらも、美里奈はひどく楽しそうに微笑んだ。


「そうか……熱心だな」


「うん! 綾乃ちゃんと約束したからね。絶対、ぜーったい、良い絵を描いて、褒めてもらうんだ!」


 美里奈はそう意気込みながら、再びキャンバスへと向き直って絵を描き続ける。俺は妹の集中を乱さないよう、ゆっくりと後ろに回って、美里奈の肩越しに絵の制作作業を眺めていた。


 始めたばかりなのに、この数時間だけでもどんどん上達しているように思えた。美里奈が動物虐待以外でこれほど何かに熱中するのを見るのは、初めてのことかもしれない。


 もしも、黒森との約束が果たせないと知ったら――美里奈はどう思うだろう。いつものように、特に悲しまず、傷付きもせず、無痛症と多幸症の快楽の中をたゆたい続けるのだろうか。


 それともあるいは、黒森が言ったようにほんのわずかでも悲しみを覚えるのだろうが。


「……美里奈。聞きたいことがあるんだけど、いいか?」


「うん、いいよ。何?」


 筆を動かす手を止めずに、美里奈はそう問い返す。


「もしも、黒森が突然いなくなったら……おまえは、どう思う?」


 その時美里奈はぴたりと手を止めた。そして、不思議そうな顔で俺の方を振り返る。


「どうしてそんなこと聞くの?」


「いや……ただ、何となくだ」


 その質問は心臓病のことを秘密にするという黒森との約束に、ギリギリ抵触しているかもしれない。


 だが、俺は聞かずにはいられなかった。美里奈の気持ちを。今までずっと守るべき対象でしかなかった妹と、向き合うために。


「うーん……綾乃ちゃんがいなくなったら、か」


 指で画筆を弄びながら、美里奈は天を仰いで考え込む。


 だけど、やがて微笑んで口を開いた。


「わかんないや。想像も付かないよ。だって、今はこんなに仲良くしてるんだし」


「……そう、だよな」


 変わることのないその様子に、俺は安心と不安を同時に抱く。


 決して曇ることなどあるはずもない無垢な笑顔。


 だがもしも、それが傷付く時が来たら――今まで痛みを覚えたことのないその心には、決して消えない傷が残るのではないか、と――




 ――そして、翌日。


 俺は学校でぼんやりと美里奈や黒森のことを考えながら授業を受け、放課後まで過ごした。


 うっかり忘れそうになって帰りそうになったが、すぐに今日は美術部の活動日だということを思い出し、美里奈にメッセージを送ってから美術室へと向かった。


 活動中の美術部は相変わらずだ。黒森のイジメの一件で、一年生のグループが一つ活動に顔を出さなくなってしまったため、どこか閑散とした印象は拭えない。


 そんな中、俺は水彩画を描いている若葉の姿を見つける。


「よう。来たぞ」


「おっ、いいね、良一。最近はよく顔を出すようになったじゃん。副部長っぽいよ」


「本来なら、毎回出るのが道理なんだろうけどな」


「私だってそこまで良一に求めないよ。良一がサボり魔だってことくらい知ってるし。懐が深いでしょ?」


 うんうん、と自画自賛しながら若葉は筆を置いた。


 そして、椅子から立ち上がり、まっすぐに俺へと向き直る。


「ところで……ふっふっふっ、実は今日はちょっとした良いニュースがあるんだよ?」


「ニュース?」


 怪しい笑みを浮かべながら、得意げに言う若葉の様子に何となく嫌な予感がして身構える。


「ほら、最近この美術部寂しいと思わない? 一年生がだいぶサボるようになっちゃったんだよねー」


「ああ。そうだな……」


 その話題に触れられ、内心俺はひやりとする。その現認は間違いなく、俺が黒森へのイジメを見咎めたせいだから。


 だが、どうやら若葉はそんな事情は知らない様子で話を続けた。


「やっぱり、一学期に入ってくる新入生は、半分見学みたいなものだからさ。幽霊部員になるのも仕方ないと思うんだよね。校則で仕方ないから入ったって子もいるだろうし。あ、言っておくけど二年生は仕方なくないからね?」


「わかってるよ……なるべく欠席しないようにする」


 釘を刺すように俺を一瞥する若葉に肩を竦める。その答えに満足したのか、若葉は話を戻す。


「でも、今年は何故かかなり一年生が少なくなっちゃったし、寂しいなーって思ってたんだ。で、誰か新入部員がいないかなー、って思ってたんだけど……」


「来たのか?」


「その通り! それも、何と良一も知ってる、意外な人物だよ!」


 ……俺が知っている一年生でまだ美術部に入っていない生徒。そんなもの、一人しかいないのだから、この時点でほとんど正解を言っているようなものだが、若葉はあくまで勿体付ける。


 そして、ぱちりと美術準備室の方に向かって指を鳴らす。


「さあ、謎の新入部員ちゃん! カモン!」


 それを合図として、まるで事前に打ち合わせでもしたかのように――いや、実際していたのだろうが、美術準備室の扉を派手に開いて、美里奈が現れた。


「はーい! 何と、美里奈でした! お兄ちゃん、驚いた!?」


 得意げな表情で胸を張りながら、俺の反応を窺う美里奈。そんな妹に、俺はため息をつく。


「……いや、わかってたけどな。だって、おまえしかいないし」


 俺の薄いリアクションにもまったくめげず、美里奈は軽い足取りで俺たちの方へと近づいてきた。


「というわけで、放送部から転部してきたよ! 今日から一緒に絵が描けるね?」


 嬉しそうに語りかける美里奈の横で、若葉も満足げだった。


「いやー、美里奈ちゃんも絵の楽しさに目覚めてくれるなんてね。美術部部長として、感無量だよ。私もいっぱい絵の描き方、教えてあげるからね!」


「うん! よろしくお願いします、木下先輩!」


 元気いっぱいに答える美里奈の姿に、俺は微かに胸が締め付けられるのを感じた。美術部に入ったのは、明らかに黒森との約束が影響しているのだろう。


 気まぐれな美里奈がこれほど何かに打ち込もうとするのは、前例が無い。


 それだけ黒森と交わした約束を守ろうとしているのだろう。それが叶うはずもないと知っている俺は、眩しい美里奈の笑顔にかえって後ろめたさを覚える。


 まるで、妹を騙しているような気がして――



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