3-3



 音を立てないよう気を付けながら、家の玄関ドアを開く。入ったすぐ底の三和土を見ると、そこには二人分の靴が揃えられている。一方はよく見慣れた美里奈の学校指定のローファー。そしてもう片方は黒森のものだろう。


 耳をそばだてると、2階からは美里奈の楽しげな話し声が聞こえてくる。


 そして、微かに相槌を挟むような黒森の声も。二人とも、美里奈の部屋から動いていないようだ。


 アトリエは美里奈の部屋と同じ2階にある。階段が軋む音で気取られないよう慎重に2階へと上がり、美里奈の部屋の前を通って廊下を進む。


「ねえねえ、ツイスターゲームやろうよ、ツイスターゲーム! 私、得意なんだ」


「お断りです。そんなものをやるほど仲良くなった覚えはありません」


「じゃあ、今から一緒に遊んで仲良くなろうよ! ほら、早く早く!」


「ちょ、だからやらないって――」


 不幸中の幸いか、美里奈が騒がしいので俺が廊下を歩く音はいい具合に紛れて悟られずに済んだ。そのまま廊下の突き当りの扉へと行き当たり、ゆっくりと開き、アトリエへと入る。


 昨夜美里奈と一緒に殺した三匹のウサギは、すべて無造作に檻の中へと突っ込んでおいた。床の真ん中に置いてあるので、アトリエに一歩でも足を踏み入れれば嫌でも目に付くことだろう。


 俺は何か隠せるものがないかアトリエ内部を見回し、もう長いこと使われていない絵画を保護するための布を見つけた。俺はそれをウサギの死骸の入った檻の上から覆い被せるようにして隠した。


 ひとまずこれですぐに見つかることは無いだろう。


 だが、アトリエのど真ん中にこんな埃まみれの布で隠されたものが置かれていると嫌でも目立つ。どこか端にでもどけておこう。


 そう思い立ち、俺は布ごと檻を持ち、アトリエの端、イーゼルや空の額縁が置かれている雑多な区画へと運んでいく。この辺りに片付けておけば、仮に黒森たちがアトリエに来る気になったとしても見つからないだろう。


 後は再び外に出て、さも今帰ったような顔で家に入り直せばいいだけだ。


 だが、俺が檻を置こうとした瞬間――檻の中からガタンと激しい衝撃が走った。


「うおっ!?」


 ちょうど下ろそうとした瞬間だったこともあって、バランスを崩し、俺は檻を派手に床へと落としてしまう。響き渡るけたたましい金属音。同時に、シーツの中で檻の蓋が開いた音がした。


 ――まずい。今の音、明らかに家全体へと響いた。恐らく、美里奈の部屋にも……


 俺の危惧を裏付けるように廊下の方からドアが開く音がして、このアトリエへと二人分の足音が近付いてきた。さらに悪いことに、閉めるときに音が出るのを恐れてアトリエの入り口は扉を開け放った状態にしてしまっていた。


「あれ? お兄ちゃん? もう帰ってたんだ」


「何やってるんですか、芦屋先輩……さっきの音は……?」


 開けっ放しの入り口に立ち、美里奈と黒森が並んで俺に視線を向ける。特に黒森はスケッチブックを小脇に抱えたまま、明らかに怪訝そうな様子で、俺の前に落ちている布に包まれた檻を見ていた。檻の蓋は布からはみ出て、外に露出している。


「いや、何でもない……声を掛けようと思ったんだが……その前に、ちょっと片付けをしててな」


 無理のある言い訳を紡ぎながら、俺は布を檻へと掛け直そうとする。だが、その瞬間檻の中からか細い鳴き声が聞こえてきて、思わず手を止めてしまう。


 さっき檻を下ろそうとした時に感じた衝撃。その正体に今更気付いて舌打ちする。昨夜美里奈が絞殺したと思っていた三匹のウサギ。その内の一匹が実はただ首を絞めたことによって失神しただけで生きていたのだ。それが、俺が檻を運ぼうとしたこの最悪のタイミングで目を覚ました――


「何ですか? 今の鳴き声……中に何かいるんですか?」


 黒森は不審そうにしながら、アトリエの中へと入ってくる。


「待て、来るな! 何でもないんだ! とにかく出てってくれ!」


 檻へと近付こうとする黒森に、俺はその肩を掴んで無理やり廊下へと押し戻そうとする。


「ちょ……何をそんなに慌ててるんですか!?」


「いいから、早く出ろって――」


 その時、俺は言葉を失った。何故なら、押し問答をする俺と黒森の横を平然と通り過ぎ、檻へと近付いていく美里奈の姿を目にしたから。


「あぁ……ウサギさん、まだ生きてたんだ。失敗失敗」


 美里奈は微笑みながらそう呟くと、ゆっくりと蓋の開いた檻へとまっすぐに歩いていく。その途中、作業机の上に置かれた古いペインティングナイフを無造作に手に取りながら。


 それは画家だった父さんが交通事故でこの世を去る前、使っていたものだ。かなり年季が入っているらしく、その先端は必要以上に鋭利に尖っている。


 美里奈が何をするつもりか、その迷いの無い歩みだけで俺には手に取るようにわかった。


「待て、美里奈。今は――」


 俺が止める声も間に合わず、美里奈は掛けられた布を払い落し、三匹のウサギが入った檻を露わにする。首を絞められ、脚を潰された無残な小動物。その内の一匹は酸素を求めるように口を開き、微かにピクピクと動いていた。


「な……!」


 俺の背後で黒森が驚愕に息を飲むのがわかる。


 そして、美里奈は檻の中で虫の息だった一匹のウサギを引きずり出し、その喉元へとまっすぐにペインティングナイフの先端を突き刺し、さらに真一文字に掻き切った。


 傷口から噴き出す鮮血。それが美里奈の頬へと飛び散り、赤い斑点となって汚す。滝のように溢れる真紅の液体がウサギの白い体毛を赤く染めていく。明らかに生命維持が不可能となる量の体液を溢れさせながら、小動物はビクビクと全身を痙攣させていた。


「……よし、OKOK。見て見て、お兄ちゃん。ちゃんと殺せたよ?」


 美里奈は血みどろのウサギの死骸を俺と黒森へと向けながら、にっこりと微笑んだ。


 頭の部分を鷲掴みにしているため、裂けた喉元からボトボトと床に血液が垂れ落ちる。あまりにも凄惨極まる光景。


 だが、俺が言葉を失ったのは何も残虐さのためばかりではなかった。小動物の無残な死骸を手にして、顔を血で染めながら――それでも、屈託のない笑顔を見せる美里奈の姿があまりにも。そう、あまりにも――


「きれい……」


「え……?」


 俺の思考を代弁したかのように、隣で黒森が呟いた。横を向けば、黒森はまるで神々しいものでも見るかのように目を見開いて、ただじっと美里奈のことを見つめている。


 拒絶すると思っていた。恐れ慄き、吐き気に口を押えると思っていた。そして目を逸らし、この場から逃げ出すと。ちょうど、かつて美里奈の『遊び』を見た両親がそうしたのと同じように。


 だが、黒森は――この一場の光景を瞬きさえせずに見つめている。まるでウサギの体毛を滴り落ちる血の色を目に焼き付けようとするかのように。


 そして、永遠とも思えるほど長い静寂の後、黒森はゆっくりと檻へと近付いた。そして、そこで息絶えていた残りの2匹のウサギも観察する。


「これも……あなたがやったんですか?」


「うん。お兄ちゃんが手伝ってくれたんだ。昨夜、首をこう、ぎゅーっと絞めてみんな殺したんだよ。楽しかったなぁ」


「おい、美里奈……」


 麻紐で首を絞めるジェスチャーをしながら説明する美里奈。その不用意な言葉を諫めようとしたが、しかし俺自身ももう先ほどのような警戒心は抱いていなかった。


 黒森は興味深そうに檻の中のウサギの毛並みを指で突ついて確かめている。俺たち兄妹が行った動物虐待の痕跡を恐れるでもなく、怒るでもなく、ただ興味津々の体で眺めていた。


「脚が潰れていますね? これもあなたが?」


「ううん。私が首を絞める前にお兄ちゃんが金槌で叩き潰してくれたんだ。ウサギは蹴りの力が意外と強いからって、私が怪我しないように。優しいでしょ?」


「慣れているみたいですね。殺したのは、これが初めてですか?」


「他にもいっぱい殺してるよ。ハムスターとかヒヨコとか、虫や金魚も。他にもたくさん!」


「動物の調達はどうやって?」


「お兄ちゃんがペットショップでバイトしてるんだ。そこで、余ったペットをもらってきてくれるの。他にも、外で捕まえたり……」


 黒森からの質問のすべてに、美里奈は純粋無垢に答えていく。相変わらず天真爛漫な笑顔のまま、時に身振り手振りを交えて、懇切丁寧に俺たちが行ってきた凶行を説明する。


 俺はただそれを見守ることしかできなかった。この場をどうするべきか、どう対応するべきか。そのすべては黒森に掛かっているのだから。


 それから黒森はゆっくりと立ち上がり、俺の方を振り向いた。


「芦屋先輩。あなたの言いたいことはわかってますよ。『このことは黙っててくれ』――そう言いたいんでしょう?」


「……ああ。何でもする。だから、このことは――」


「もちろん、話しませんよ。ですが、一つお願いがあります」


 その言葉に、俺は身体の緊張を強めた。


「わかった。どんな条件でも飲もう」


 しかし、黒森の返事は奇妙なものだった。


「お願いと言ったでしょう。条件というと語弊がありますよ。別に受け入れてくれなくても、言い触らすつもりはありません。昼休みに助けてくれた借りがありますからね」


『勝手にやったことだから感謝しない』と、あの時は言っていたように思うが――つくづく律儀な奴だった。


 とにかく――俺と美里奈の立場は今、黒森が握っている。黒森がそう言ったところで、どんな条件だろうと俺は飲まないわけには行かなかった。


「何でもいいから言えよ、続きを。俺に何をしてほしいんだ?」


「二つあります。まず、一つ目はこのアトリエを自由に使わせてください」


「……絵を描くためか。筋金入りだな」


「はい。学校の美術室では邪魔が入りますからね。ここは静かに絵を描くのに集中できそうです。良いアトリエですね」


 黒森は埃の積もったアトリエの中を歩き回りながら、値踏みするように見ていた。


 ただ異端であることに浸るためにグロテスクを愛好していたわけじゃないのは薄々気付いていた。だが、本物の動物の死骸――それもたった今殺された現場を目撃して、こうまで平然としていられることに、俺は底知れなさを覚える。


 黒森綾乃――こいつは一体何だ? 俺たち兄妹もまともとはとても言えないのは確かだ。だが、こいつも負けず劣らずネジが外れている。


 何がこいつをそこまで突き動かす? 芸術に対する狂気――そんな言葉では片付けられない何かを、俺は彼女に感じていた。


「黒森さん、毎日遊びに来てくれるの? わーい!」


 血まみれで事切れたウサギの死体を抱き締めながら、美里奈はぴょんぴょんと跳ねて喜んでいた。服が血まみれになっていたが、今そのことを注意する余裕は無かった。


「……別にいいさ、そのくらい。それで、もう一つは?」


「絵のモデルが欲しいんです。いえ、モチーフというべきですね」


「モチーフ?」


「はい。私はずっと生き物の死骸の絵を描いてきました。それはすべて、今私の頭の中にだけある作品を描くための習作です」


 前にも言っていたことだ。あのスケッチブックに描かれていた絵はすべて本番となる作品のための練習。黒森の頭にある『人生の証』となる絵を完成させるための。


 ――『死』が一番美しいと思うから。


 かつて黒森が答えた言葉がリフレインする。あれは冗談でなく、掛け値無しに放たれた言葉なのだと、今の黒森の様子からようやく理解できた。


 こいつは本気で死に魅せられている。その美しさに身を焦がさんばかりに取り憑かれているのだ。


「ですが、ただ想像力だけで描いたのでは限界があります。真に迫った『死』は描けない。どうしても、本物の死骸を目にする必要があります。傷口からあふれ出す血の色。濁っていく瞳の色彩。確かめなければいけません。この目で、すぐ近くで。生き物の命が終わる瞬間を。だから――」


 そこで、黒森は立ち止まり、俺と美里奈の方をまっすぐに見た。


「どうか手伝ってください。私の絵を完成させるために――」


 何よりも真摯に、脅迫というより真剣に願いを打ち明けるように。その声が、アトリエの中に響いた。


 だが、最後に小さく付け加えた一言が、何よりも俺の耳朶を打った。それは短く、聞こえるか聞こえないかの微かなものだったが、まるで絞り出すように悲痛な声だった。


「――私の命が、終わる前に」

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