第89話 交渉の条件

 朝起きると、目の前にアウレリア殿下がいた。

 急激に頭が冴え渡っていく。これほどまでに一瞬で目覚めたのはいつぶりだろうか。


「おはよう。」


 アウレリア殿下は笑っている。

 左右を見る。

 ここは寝た時と同じ、テレス砦の天幕だ。

 可能性の1つを確かめる。

 頬をツネってみたが痛い...夢じゃないらしい。


 次の可能性として幻覚を疑ったが、俺の五感のすべてが目の前にいるのが本物だと告げている。


「夢じゃないわよ。それにもちろん幻覚でもないわ。」


 本人に否定された。じゃあこの状況はなんだろう?

 天幕には見張りもいたはずだ。それこそ近衛の中でも精鋭といえるミアとララ、どちらかの警備を破ったということなのだろうか?

 というか、なぜアウレリア殿下は俺の上に馬乗りになっているんだろう...。


「あの...一体何を?」


 わからないので聞いてみた。


「あら、交渉に来たのだけれど?」


「...いえ、スウさんに聞いていませんか?」


「聞いたわ。何か国の人も私に会いたいとか、別に構いませんよ?」


「では、なぜここに?時間と場所を言ってくれればこちらから伺いますが...。」


「いいではないですか、私が出向いた方が早いでしょう?それにもうすぐ日も昇るし、朝一からすればいいのでは?」


「...そうですね。では、とりあえずそこをどいてもらえませんか?起きられません。」


「...意外と淡白ですね。こんな美女に押し倒されて、何も感じないのですか?」


「いえ、そういうわけではありませんが...目線がさっきから首筋に固定されているので...。」


 おほほ。とわざとらしく笑うアウレリア殿下。だが、目線はいまだ俺の首筋にある。

 目的は明らかだろう...。


「これは失礼。...ところで交渉を有利に進めるための提案があります。」


「...血ですか?」


「はい、少しでいいのです。」


「一応許可は得てくれるんですね。...本当に少しだけですか?」


「はい。これからも許可を得てから貰うつもりですよ?」


「え?これから?」


 まだ許可は出してない気がするが、アウレリア殿下の口が、首元にあたる。

 チクっとした痛みの後に、血を吸われる感覚。

 前に吸われたときのように恐怖感はない。それどころか心地良さすら...。


 ある程度吸ってから解放され、アウレリア殿下と共に天幕を出ると、周辺に軽い混乱が起こった。

 本当にどうやって侵入したんだろう、この人...。

 日が昇ったばかりだったので、とりあえず、会談の場に案内して、全員が揃うのを雑談しながら待つ。

 しばらくして、スウさんとトッカスさんが顔色を変えて訪れた。

 どうやら、アウレリア殿下は「先に行く」という置き手紙だけを残して消えていたらしい。

 ひたすら謝るトッカスさんが不憫だった...。





「では、これより会談を始めます。その前に紹介から。」


 今回はランドルフではなく俺が進行を勧めている。身分的にランドルフは参加していない。

 参加者はトリッシュ王女、ヘイミング卿と俺、相手はアウレリア殿下とトッカスさん、スウさんといつもの3人。近衛やイリア嬢、ランドルフ達は天幕の外にいる。


「こちらが、我がシュイン帝国の第二王女、トリッシュ殿下です。そして隣にいるのが我が国の参謀であるヘイミング卿です。」


「シュイン帝国第二王女、トリッシュ・ルクトル・フォボライマです。以後宜しくお願いします。」


「シュイン帝国参謀、イスプール・ヘイミングです。」


 トリッシュ王女とヘイミング卿が頭を下げる。


「ご丁寧にありがとうございます。私がローレンス帝国、第六王女、アウレリア・ラウ・ローレンスです。こちらは私の側近であるトッカスとスウ。今回の件をはじめ、隣接国としてもある程度の権限は持っているのでご安心ください。」


 挨拶が終わったようなので、話を進めよう。


「では、今回の交渉ですが...トリッシュ殿下から...。」


 話をトリッシュ王女に振ってしまおうとしたところで、アウレリア殿下が声をあげた。


「お待ちください。まずは停戦事項に基づいて、私とアレイフ殿が話すべきでは?」


「...えっと...それは?」


「現状、私達は自分達の砦に攻めて来た相手を殲滅しようとして攻め上りました。そしてその大将はこの砦にいます。しかしながら私達は第四師団との停戦協定のために攻め入ることができません。なので、大将同士の話し合いをしたいと思います。」


 俺が無言でトリッシュ王女とヘイミング卿の方を見ると頷かれた。話してもいいということらしい。

 そうじゃなくて助けてほしかったんだけど、助けてはくれないらしい。


「そちらが求めているのは大将の身柄か、我々の撤退でしたか?」


「そうですね。しかしこれは話し合いです。交渉の余地はありますよ?」


 朝与えた血が効いているのだろうか、助け舟?を出してくれている。


「できれば大将の身柄を、別の対価でお願いできませんか?」


 これでいいのだろうか?もともとクレアの身柄とテレス砦の両方を守る方向でまずは交渉すると言っていた。一応、王女と参謀の方を見るが、表情は何も言っていない。


「いいですよ?」


 あっさりと了承を得た!

 朝、黙って血を吸わせてよかった...。


「では、金銭でしょうか?それとも物品?」


 アウレリア殿下が楽しそうにこちらを指差す。

 指先は俺を指している。


「あなたの血で。」


「......。」


「定期的にあなたが血を提供する。それで私は機嫌よく引き下がりましょう。もともと我々はとても面子を大切にします。戦争を仕掛けられれば、相手を倒すまでやめません。しかしそれは私の面子の問題です。私が納得すればそれで追撃は終わりにできます。」


 ある程度、初めから仕組まれていた気がする。

 では血のために、この王女は1000人をほぼ皆殺しにするような追撃を行ったのか...。


「一応言っておきますが、あなたの血には価値があります。世界に四人しかいない御使い...あなた方は神格者と呼んでいましたか?その血です。我々ヴァンパイオ族のように血を嗜好品とする種族から見れば一財産以上の価値があります。私が納得するには十分なものですよ。それに、戦争を仕掛けた兵士達はほぼ全て狩り尽くしたと思っています。あとは大将とわずかな兵士だけ。それなら十分に引き下がれる対価です。」


 要するに、もう大体報復も終わったから血で我慢してやるということらしい。

 ...どうしようと目線を向けると、王女は目を閉じ、参謀は苦笑いしていた。


「定期的とは...?」


「そうですね...最低1ヶ月に1回というぐらいで構いませんよ。」


「わかりました...それで、とりあえず軍は引いてもらえると?」


「はい♪」


 嬉しそうな返事だ。

 まぁ、シュイン帝国としても損害がないのでいいことだけど...。


「契約書は必要ですか?」


「いいですよ?私はあなたを信用しています。停戦協定もありますし、口約束で良しとしましょう。」


「...ありがとうございます。では、続いてですが...。」


 俺がトリッシュ殿下の方を見ると、頷いてくれた。


「我が国はローレンス帝国と友好を結びたいと思っております。不可侵はもちろん、情報交換や、可能であれば交易も行えればと。ただ、私達には情報が足りません。なので友好の使節団などをやり取りできないかとも考えております。」


「同盟...と考えてよろしいのでしょうか?であれば我らにとっても損はありません。使節団も前向きに検討させて頂きたいです。」


「ありがとうございます。それで...リントヘイムとエスリーの砦なのですが...。ローレンス帝国領とされるおつもりですか?」


 実は返して欲しい。それが本音だが、こちらから仕掛けた戦争で取られたのだから不利な交渉になる。

 相手が何を欲しているかわからないので、トリッシュ王女も探り探りのようだ。


「それについては私の方から提案があるのですが、聞いていただけますか?条件次第ではエスリーの砦もリントヘイムも返還しようと考えています。」


 アウレリア殿下がニヤリとこちらを見る。

 嫌な予感しかしない...。

 トリッシュ王女とヘイミング卿が顔を見合わせた。

 あちらから返すと言ってくるのは予想していなかったからだ。


「まず、我々の国には敵国がいます。コンファグ教国の話は?」


「はい、シンサ卿から聞いています。」


「シンサ...アレイフ殿ですね?では、その国がお互いにとって危険であることはご理解頂けていますか?」


 アウレリア王女が俺の家名を覚えていなかったようで、少し不思議な顔をしたが、すぐに気づいて取り繕う。


「はい。オークの件なども聞きましたので、他人事ではありません。」


「そちらの国に対する情報の共有と、戦時の協力。これは単に物資や避難場所の提供など後方支援のみです。協力を約束して頂けるならば、まずエスリーの砦を返還しましょう。」


 トリッシュ王女がヘイミング卿の方を見てから頷く。


「もちろん、それは我が国にとっても利があります。」


 トリッシュ殿下が了承したことで、1つの砦が返還された。

 同盟を組むなら、それぐらいの協力はありえることだ。しかも、危険な国の情報を共有してくれるというのはこちらには利しかない。


「続いて、リントヘイムですが、こちらにいる第四師団の管理と責任でシュイン帝国とローレンス帝国の交易都市として頂けませんか?」


 これには俺をはじめ、トリッシュ王女やヘイミング卿も驚いた顔をした。


「理由はあります。まず、交易といっても我らの領土は森の奥深く、この距離を定期的に行き来するのはお互いに大変でしょう?それならば中間点で交易できる交易都市が理想的です。リントヘイムはうってつけでしょう。しかしながらその交易都市は魔族と人族が混じることになる。国としてはシュイン帝国の都市ですので私達は口出しできません。何か犯罪や問題が起こったときに公平に判断できる人物が治めていないと安心して人はだせない。そして私達が信用できる人物は今そこにいる第四師団長だけです。」


「おっしゃることはわかるのですが...二重統治ではなく、こちらの統治でいいのですね?」


 ヘイミング卿がはじめて口を挟んだ。


「ええ、かまいません。二重統治など問題しかおこらないでしょうし、リントヘイムも返還してほしいのでしょう?もともとそちらの都市ですので、安心して交易できる場としてくれるなら、こちらとしても問題ありません。もともと攻めるつもりのなかった都市ですから。」


 あくまで攻めたのはそちらが手を出したからだということを強調してくる。

 こういうところは抜け目がない。


「条件としては第四師団長を中心とした平等な統治だけですか?」


「そうですね。交易は対等に行いましょう。」


 ヘイミング卿が答えに満足したのか、黙り込む。

 すると今度はトリッシュ王女がアウレリア殿下に質問を投げかけた。


「ずいぶんとシンサ卿をかっているようですが...。」


「彼の部隊は人族、獣人、そして少数ですが魔族もいます。その構成を見れば偏見がない人物なのはわかります。そこにいるトッカスも使者として出向いたときに、握手を求められて驚いたそうですし。そんな人物ならきっと平等に治めてくれるでしょう。」


「なるほど...。」


「それに...私と彼が一騎打ちをしたのはご存知で?」


 アウレリア殿下が流し目でこちらを見る。

 ...更に嫌な予感がする。


「はい、存じ上げています。」


「その時に、彼の唇を奪いました。さすがに唇を許した相手との約束で無碍なことはしないでしょう?」


 流し目でこちらをみるアウレリア殿下。

 ...短い付き合いだがわかる。これは困らせて楽しんでいる...。


「そ、そうなんですか...まさかシンサ卿とそういう...。」


「トリッシュ殿下、一度持ち帰らせてもらいましょう。さすがにリントヘイムの件は勝手に了承できません。」


 ヘイミング卿が話題を変えてくれたが、トリッシュ王女が俺とアウレリア殿下を見る目がおかしかった。

 大きな勘違いをされた気がする。

 なんとしても帰りの馬車で誤解を解かなければ酷いことになりそうだ。


「かまいませんよ。とりあえず、エスリーの砦の条件は問題ないですね?」


「はい、そちらは私の権限で約束させて頂きます。」


「では私達はリントヘイムまで下がります。よいお返事をお待ちしていますね。」


 笑顔のアウレリア殿下。

 誤解したトリッシュ王女。

 何か思案しているヘイミング卿。


 会談はここで終了したが、帰りの馬車でまたいらない労力を使う気がする。

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