第65話 知将と天才 上

 私の覚えている最も古い記憶は、寒くて冷たい石でできた部屋の中で丸まっている記憶だ。

 格子つきの窓から朝日が差し込むと、主様達が食べ物を持ってきてくれる。

 それをみんなで分け合い。大人は仕事をするために主様に連れられて行き、帰ってくるのは暗くなってから。そして食べ物を与えられて眠る。

 私みたいに小さな子供は1日中ずっとこの部屋にいる。

 たまに掃除や排泄物を片付けるために外にでれるけどそんなに多くない。

 ここではドラっていう子が1番大きくて、みんなのまとめ役だった。

 ドラはいろんなことを教えてくれた。

 この部屋みたいなのがいくつもあるらしい。大人になれば他の部屋の人達と会えるそうだ。

 私達は物知りなドラのいうことに従って生活していた。


 ある日、主様達の中でも一番偉い主様が、部屋で待ってるだけの私達を見に来た。

 私ははじめてみたけど、ドラがみんなを後ろに隠したのを覚えてる。

 でも、ドラがなぜそんなことをしたのかわからない。

 偉い主様は、いつも大人を連れて行く主様に何か命令して、ドラを連れ出した。


 その日、夜になってもドラは帰ってこなかった。


 大人達はドラが連れていかれたことには何も言わなかった。

 次の日、大人達が仕事に出て行った後に、ドラが帰ってきた。

 主様に引きずられ、部屋に放り込まれる。

 顔は腫れて、身体はアザだらけ、切り傷も沢山あって血を流していた。ドラは虚ろな目で、苦しそうに呻いていた。

 大人達が帰ってくるなり、ドラを見て悲鳴を上げ、何か主様にお願いしている。


 でも、主様は何もしてくれなかった。


 ドラは次の日、明るくなる頃に動かなくなった。

 大人達は泣いていたけど、なんで泣いていたのかわからなかった。

 夜中ずっと呻いていたドラがやっと眠ったのに、どうして泣いているんだろうと思ったことを覚えている。

 そして主様が大人達を連れて行き、ドラも連れて行った。


 ドラはそれから1度も帰ってこなかった。


 あれからどれぐらいの日がたったんだろう。

 その間にも、何人かがドラと同じように連れられていった。

 ドラみたいに帰ってきたけど、すぐに動かなくなった子もいたし、帰ってこなかった子もいる。

 帰ってきたけど、おかしくなってしまった子もいた。

 みんな数日で主様に連れて行かれて二度と帰ってこなかった。


 そんなある日、私も一番偉い主様に呼ばれた。

 私もドラみたいになる日が来た。

 今ならドラが私たちを後ろに隠した意味がわかる。

 だって今、私も同じことをしてるから。

 誰かが連れていかれるのはどうしようもない。それでもせめて幼い子達にはドラや他の子達のようになってほしくなかった。


 連れてこられたのはいい匂いのする綺麗な部屋だった。

 見たこともない部屋で、私は温かい水に放り込まれた。

 始めての温かい水に驚いて溺れそうになったのを覚えている。

 知らない女の人が、私を丁寧に洗ってくれた。


 それから身体に何か塗られたり、髪を触られたりして、違う部屋に案内された。

 うすぐらい部屋に、一番偉い主様が座っている。

 女の人はいつの間にかいなくなっており、私は主様に傍に来るように指示された。

 黙って従う。

 見たこともないフカフカする板の上に抱き上げられ、寝かされる。


 主様はニヤっと笑った。

 なぜか分からないけど、私はこの時はじめて”怖い”という感情を知ったのだと思う。

 必死に逃げ出そうとした。

 でも、私を押さえつける主様を跳ね除けることはできず、顔をぶたれる。

 何度も、何度も。

 私は酷い痛みに抵抗できなくなっていた。身体の力が抜けていくのを感じる。


 でも、そこで扉がバンっと大きな音を立てて開いた。

 見たことない男の人が大声で何かを叫んでいる。


 一番偉い主様は急に立ち上がり、私は放り出してキラッと光るものを手に取った。


 さっきまで何か叫んでいた男の人が倒れていて、その傍らに青い人が立っている。顔はよくわからない。

 一番偉い主様がなにか叫んでいたけど、青い人が手を上げると、そのまま後ろに倒れて動かなくなった。


 青い人は、私の方に近づいてくると、私の頭に手を置いて青い服を私に被せた。

 見るとお兄さんって雰囲気の男の人だ。優しそうな人。


「アレイフ~あちしの方は終わったにゃ。」


「主様、こちらに来てくれませんか?非合法奴隷達を見つけました。」


「わかった。ミア、悪いけどこの子を頼める?クイン、ウキエさんは?」


 青かった人は、他の人と部屋を出て行った。

 そしてこっちに近づいてきた人を私は見上げた。


「一緒に来るにゃ。」


 そういって手を差し出してくれた。

 その顔は、とてもドラに似ている気がした。


 ドラに似た人はミアっていうらしい。

 私の手を引いて外に連れて行ってくれた。


 はじめて外に出た。

 格子付きの窓から見えていた景色だ。

 外にはたくさんの人がいた。私と同じ部屋にいた人達を見つけて走り寄る。

 ミアという人は、ここで大人しく待っているようにと告げて、また建物の中に入っていった。


 それから私達はホームと呼ばれる場所に連れて行かれた。





<Areif>


 ドタドタと早足で歩きながら王宮を後にする。


「まさか…こんな大事になるなんて…。」


「さすがに予想外でしたね…。」


 俺の横を歩くウキエさんも暗い表情をしている。

 イスベリィ邸での襲撃犯の黒幕としてムドーという男が頭のスラム街の一味を潰した。

 誰かに依頼されたならその依頼主を、自発的な行動なら理由を問いただす予定が、出てきたのは非合法奴隷の売買だけでなく、無許可の武器製造、違法薬物の製造など、犯罪のオンパレード。

 その上、ムドーは商家としての顔をもっており、顧客として上がった中には貴族はもちろん、大臣職のものまでいた。

 それも賄賂や不正の証拠付きで。

 たぶん、いざとなったら逆に脅せるように証拠を残していたんだろう。


 ムドー本人と関係者を拘束し、非合法奴隷をとりあえず保護したところで、これ以上は処理しきれないと思った俺たちはすぐに第三師団に助けを求めた。

 すると更に犯罪の証拠が発見され、国を揺るがす大問題になった。


 たった1週間で更迭された大臣が4人、まだ増えるだろう。

 なんらかの処分が下った貴族は現時点で10人以上。こちらもまだまだ増えそうな雰囲気だ。


 ちなみに今日は報告書をまとめ、提出しに来た。

 帰りに第三師団長に、次からは必ず事前に相談するようにと厳重注意を受け、やっとピークが過ぎたと実感する。


「やっと眠れるな…。」


「何言ってるんです?あの非合法奴隷達をどうするつもりですか?うちに丸投げされてるんですよ?」


「…そうだった。」


 初日に説明してから、1週間ほったらかしにしてしまった。

 そろそろ身の振り方を決めてもらわないといけない。


「でも、ホームに帰ったらとりあえず休憩を…。」


「ダメです。そっちを片付けないと私の仕事が停滞します。」


「うぅ…。」


「もう1週間ですからね、だいたい決めているでしょう。でもいいんですか?」


「なにがです?」


「約束したでしょう?支度金を渡すって。」


「さすがに無一文で放り出すわけにもいかないでしょう?」


「頑張ってくださいね?うちのは手ごわいですよ?」


「…口を聞いてはもらえないのですか?」


「無理ですね。むしろ私が関わらないほうがいいかと思います。」


 第四師団の金庫番ともいわれるヒム・サワさん。

 その番人としての能力は他を寄せ付けない強固なものだ。

 彼女が経理を行うようになってからとても軍自体がしっかりしたのは間違いない。

 ウキエさんの奥さんでもあるが、彼女の了承なしに支度金の約束をしてしまったので、どうにか説得しないといけない。

 …ホームに帰るのすら気が重くなる。


 すでに馬車に乗っているので、今がわずかばかりの休憩時間だ。

 最近、兵士達が第四師団本部をホームと呼ぶ。

 新兵舎ができたから、兵士のほとんどはもうあそこに住んでいないんだけど、誰が言いだしたのやら。

 まぁ、師団本部とか呼ぶよりは呼びやすいからいいけど。


 ホームに着くと、ちょうど昼が終わった時間だったみたいだ。

 非合法奴隷だった人達に外で昼食が振舞われたらしい。

 外にでっかい鍋が置かれていて、後片付けをしているメイドの姿が見える。


 彼女は俺に気づいて深々と礼をするが、手で気にしなくていいと伝えると後片付けに戻っていった。


 近くで監視していたイチ達三兄弟を呼んで。元非合法奴隷の人達を集めてもらう。

 …なんで3人とも口に食べかすがついているのか疑問だ…まさか彼等の食料を横取りして一緒に食べてたんじゃないだろうな。

 ダメだ、昼ご飯にも当たってないからイライラしやすい。


 どうしたいか聞いた結果は、少し予想外のものになった。

 支度金をもらって自由になりたい者が多いと思っていたのに、それを希望したのは全体の1割にも満たなかった。2割ぐらいの人がどうしたらいいのかわからないといい、残りの7割はなんとここで働きたいと言ってきた。

 彼らのほとんどが亜人ということもあったのだろう。好きに生きろと言われても、この国で生きていく術をもっていない。というか生きていく方法がわからないらしい。

 人族の奴隷もいたが、頼るものもなく、状況はほぼ同じ。

 そして1週間の間に彼らが見たのは、人族と亜人が仲良く?訓練や仕事をしている様子だった。

 あとで聞いた話しだが、自分たちと似ていると思ったそうだ。

 彼らもまた、人種差別せず同じ部屋の仲間とは家族のように過ごしていたらしい。


 ということなので、すっかり副官から内政官になりつつあるウキエさんに丸投げして、執務室に顔を出す。採用の面接や雇用条件、割り振りはウキエさんの方が調整がうまいから俺が関わらないほうがいい。そう、適材適所だ。逃げるわけではない。


 だが、自分に言い聞かせながら、部屋に戻ろうとすると珀(はく)に呼び止められた。


「あ、レン様、お客様がいらしてますよ?」


「客?」


「はい、ランドルフ・スレイスレ様という方です。応接室にてお待ち頂いています。」


「…知らないな。家名持ちということは貴族か?馬車で?」


「いえ、徒歩でした。お供の方と2人だけでいらしてましたよ?」


「わかった。すぐ行くよ。」


「はい、私は紅茶を入れていきますね。」


「よろしく。」


 まだ休めなさそうだ。

 家名があるということは貴族なんだろうけど、スレイスレなんて家名聞いたことがない。

 …まぁ南部貴族の名前なんてそもそも半分も覚えてないけど。

 約束していたわけじゃないけど、あまり待たすのも良くない。


 さっさと済ましてしまおうと、応接室へ向かった。

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