第8話 女の平和

自室の天井がみえる。


電灯が一つチカチカとついたり消えたりしている。



井上教授の施術の終わりを告げるタイマーがなってから、私は意識が死んだようだ。


意識がはっきりした今、私は自室で寝ていたらしい。


リフレ店の香水の臭いがある。シャワーを浴びずに寝たようだ。




夢うつつの頭で思う。


東京は時間が止まっている。


もちろん時間は進んでいる。

だけど、何も手応えがない。


人々はそれぞれ何かを欲して生きているけど、本当にそれが欲しいのか分からず、ただ、イワシの群れのように蠢いている。



私も東京にきて、半年がたったけど、何かを得たかといえば、正直、何もない。


東京は幻だ。


東京で住んだら、人生も知らないうちに終わって幻になりそう。



でも、だからといって他に行くところもない。イワシはイワシ。


他の何者になることも望めず、そしてただ分からないまま泳ぐしかないのだ。息苦しい、イワシなのに。





コンコン、とドアを叩く音がする。


「ちょっといい?」


その声は大畑だ。


「良くない」


と、いつもこう答える。別に悪いわけじゃないけど。




大畑は勝手にバタバタと部屋に入り、


「見て!やっとできたから」


と、意気揚々の大畑がMacbookを私の目の前に押し出す。



Webサイトらしい。


「サイバー寺子屋」

というタイトルがページ上部にある。


「これ、作ったの……?自分で?」


「そう!」


20歳にもなるムサイ男が、


誕生日プレゼントを貰った幼稚園児のような無邪気満面な口が傾き曲がった笑顔をして答える。


真ん中にYouTubeの動画が埋め込まれていて、大畑が数学の授業らしきことをしている。


滑舌が悪く聞き取れない。数学の授業というよりは、秋葉原のオタク街頭インタビューのような感じだ。




私がぼんやり動画を眺めていると、


「すごいだろ、これ!無料の東進だぜ!」


と、興奮のまま捲し立てる。


「え?う、うん。すごいね」


と、つられて生返事をしてしまう。どう見ても、こんなショボいサイトで興奮している大畑の方がある意味スゴイのだけど。



「これで日本の教育が変わる。サービス産業という形態に歪められた教育が変わる。お金がなくても学べる。お金のために学ぶのではない。」


大畑の大演説が始まる。


「予備校というのは、営利団体だ。したがって、自己の利益の増大のために教育をやっている。生徒からその親から金をとりたい。だから、出鱈目なことをいって不安を煽り、金を出させる。」


大畑の考えは、内容の真偽を考える前に妄想のように聞こえる。


「本来、教育というのは営利目的では達成されないものなのだ。だから、公教育というものがある。人は平等に教育を受ける。親にはそれをさせる義務がある。しかし、今の日本の姿にはその前提が反映されていない」



私も妄想を抱く。



「もしかして、大畑……」

「やっぱりすごいだろ、これ!?」


「あ……え?そのサイトはすごいけど……」



妄想を話し出すタイミングが難しい。妄想を話すとき演説にならざるをえないのが分かる。



「サイトがすごいんじゃない、思想がすごいんだ。アップルのジョブズも、思想が先にあってプロダクトが後にできる」


「いや、そういう話じゃなくて……」



やや間を取ると、大畑から演説の雰囲気がなくなる。



「じゃあ、なんだよ」


と、むすっとした態度で言う。




私はこの怒り気味の態度に、ある確信を得た。


私の中にアリストファネスが舞い降りた。




そして、かわいそうな小動物に対して言った。


「……大畑、溜まってるでしょ?」

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