第2話 東大女子、再安価5000円。

7月。


多くの大学生が、人生の夏休みを謳歌しているころ、東京大学の学生の朝は来ない。

夜から朝まで研究をし、必要なときに必要なだけ眠り、また何かに奇妙なほどに果敢に立ち向かう。さらに学費のためのアルバイトも必要だ。日本一とされる大学に入学しても、入学直後に奨学金という借金を背負うものも少なくない。


その例にもれず、私も朝は来ない。朝6時、私のアルバイトは終わる。朝7時の秋葉原はすでに新しい朝を迎えようとしていて、パチンコ屋の前には汚いおじさんが長い列をなしている。私はマクドナルドでレコーダーがしっかり録音できているか確認する。


「あゆさま、もっと侮辱して下さい」

「はあ?何言ってんの?まじキモイんだけど、死ね!」

「はうぁッ……♡あゆさま、ありがとうございます」


しっかり録音できていた。レコードは暴力とか、暴言とかそういうのの証拠のために録音している。


このおやじも、既に日雇いのバスに揺られているだろう。そして、一日働いた汗臭いにおいで私のところにくるのだろう。そのおやじの生きがいは、私です。そのほかに生きる希望がない。現場作業に耐えられるのは、すべて私のおかげ。私は世界に貢献をしている。そんなバカみたいなことを思いながら、サラリーマンを運ぶ電車に紛れアパートに帰る。


電車の中の人間は、これから始まる人と、これから終わる人が両方いる。そんな人々が鉄の箱に押し固められ、逃げもできずに毎日を過ごすのだ。このまま生きてるのも嫌だけど、他にどうしようもない。それが溜め息となり、車内に充満する。


そのため息が駒場駅に吐き出される。私は駒場のアパートに戻ると、大畑がいた。

「おかえり」

黒淵メガネで、髪が無駄に長いコイツはアパートの同居人だ。

「ただいま、教育格差なくなった?」

「いまいいところまで来たところだ」

「そう、頑張って」

この大畑というやつは、「日本の教育格差を是正する」といって突然大学を休学し始め、web上に無料で大学受験の勉強ができるネット予備校を作っているらしい。いつもパソコンに向かって作業している。

「お風呂入る」

と、私が着替えを集めながら言う。

少し遅れて「ああ」と大畑は返事をする。大体にして言葉数の少ないやつだ。



上着を脱ぐと、JKリフレ店の香水の匂いと、オヤジの加齢臭と、タバコの臭いが混じった汚い空気がムワっとあがった。今日は抱っこオプションをつけられたから、ずっと抱き合っていた。太ももにあたるオヤジのアソコがだんだん膨張してくるのを感じつつも、ニコニコと他愛もない話をする。日給3万だからできることだ。シャワーをひねってもなかなかお湯はでてこない。シャワーが温かくなるまでの時間はいつも憂鬱だ。なぜ東大生が、こんな目に合わないといけないのか。別に、すべての東大生が私みたいな境遇でなく、大多数はエリート金持ち街道を着実につつましく歩んでいる。中には私みたいな奴もいる。夢を無駄に追う大畑みたいな奴もいる。東大に入れば「必ず」安泰なんていうのは、普通に考えればありえないけれども、高校生までは信じていた。

そんな沈んだ気持ちを洗い流すように、シャワーを浴びる。また、今日は2限の時間に修士論文の面談がある。



お風呂をあがると、大畑がパソコンから目を離さず言った。

「人間にはどうしても抗えないものがある。だから、悲惨な歴史は繰り返すんだ。諸悪の根源はそれが悲劇を生まないうちに取り除かないといけない」

いつもの大畑の誇大な主張が始まる。

「で、何がしたいの?」

「5000円で頼む。手だけでいい」

「おっけー」

私は大畑の横に寄り添い、チャックを下す。すでに大畑のアソコは十分にみなぎっていた。

「…ぅう、あ、そこいい……」

「キモイ声だすなよ」

「もっと雰囲気だせよ、金出してんだぞ」

「はいはい」

男というのは愚かだ。男は立派なことを言う。崇高な理想を掲げる。でも、それは性欲を満たしたいからだ。一度、抜けば理想は言わなくなる。

「……はぁ、うぁ、くぁ………」

そろそろ来るらしい。私はティッシュを3枚とり、手の動きを早める。

「うっ……」

白いティッシュの上に、黄色かかった液体が放出される。

「……ぅあぁ、あぁっ、………はぁ……ありがとう……」

「毎度あり」

時計を見るとすでに9時を過ぎていた。ご飯を食べていない。トイレにティシュを捨てて、大畑に「何か食べるのない?」と聞いたが、大畑は「ない」と短く返事をして再びパソコンで何か作業をしている。私は床に置かれた5000円を手に取り、服を着て外に出る。財布には5000円しかない。樋口一葉は、どうして『たけくらべ』なんか書いたのか。そんなもの、今の時代でも普通にあるのに。



こうして私は大学の門をくぐり紛れ込むのだ。


華やかな服を身にまとった女子大生と、みすぼらしい私。




素晴らしい未来が訪れることを寸分も疑わない夢のキャンパスには、


明日をも知らぬストレイシープがいる。

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