第6話 交錯する思いの果て

 悲鳴が上がる度に罪悪感に苛まれる。直ぐにでも助けに行くべきではないかと。

 しかし、この子を守り切れるかも判らない状況で、他の子の面倒は見られない。なにが有っても、この子だけは守り通さなくてはいけないのだから。


 そうしているうちに、開け放った扉の向こうに魔女が現れる。

 ゆっくりとした動作で入ってきた魔女は、雨にぬれ返り血を浴びた酷い恰好だったが、その顔は恍惚とした笑みを浮かべており、自身の格好など気に留めた様子も無い。そして驚く事に、記憶にある幼かったはずの体は成熟した大人のそれへと変貌し、開いた口は耳まで裂けていて獣の歯が並んでいたのだ。


「さあ、お前で最後だよ。小娘」

 その言葉に身をすくめる彼女を背に庇い、正眼に構えた木刀を魔女に向ける。

「なんだお前、まだ記憶が残っているのか。まぁ良い、次に目覚めた時は我とお前だけになっているのだから」

「そんな事にはならない。彼女を必ず守って見せる」


 一気に近づき袈裟懸けに振り下ろす木刀を、魔女はその手のナイフで受け流し距離を詰めてくる。

 流れた木刀を机に当てる様にして停め、そのまま跳ね上げると切っ先がわずかに魔女の頬を掠める。校庭で対峙した時よりも魔女の動きが遅い。

「ほう、受肉したが故に肉薄するか」

 魔女はそう呟くと一旦距離を取り、二つ先の机の陰に身を低くして飛び込む。


 すかさず火のついたアルコールランプが机の向こうに投げ込まれたが、バッと上がった火はすぐに消えてしまう。

 死角に入られない様に机を回り込むと、そこに魔女の姿は無く後ろから悲鳴が上がる。

 慌てて振り返る僕の側頭部に衝撃が走り、粉状の物が舞って視界を奪うが、それでも強引に後ろを向くと左から囁かれた。

「これで終いだ」

 同時にナイフが胸に突き刺さり、たまらず膝をつくがナイフは刺さったままだった。


「私から翔真を奪わないで!」

 魔女に襲われた際に裂かれたのか、胸元がパックリと開いた制服を庇いもせず、竹刀を振って割り込んできた彼女だが、あまりにも実力差が有り過ぎた。嘲る魔女に片手で簡単に払い除けられ、黒板まで吹き飛ばされて崩れ落ちる。

「無駄な抵抗なぞしおって。手間を掛けさせた礼に、手足でも引き千切ってやろうか」


 動けないでいる僕の目の前で、魔女は気を失った彼女の首を掴み吊るしあげる。

 気を失った彼女の顔が見え、その額から流れ出た血が頬を伝うのを捉えた瞬間、僕の中にそれまで感じた事の無い程の怒りが、爆発する。

『お前は彼女のなんだ。彼女を守る誓いは嘘なのか。彼女はお前のなんなのだ!』

 心の中で自分自身を罵倒する声が響き、その怒りの矛先を魔女に向ける。


 させるな! 殺れ!


 胸に刺さったナイフを引き抜き、逆手に振り上げると叫んで走り寄る。

「真理佳を離せ!」

 その言葉に振り返った魔女の顔めがけ、何のためらいも無くナイフを振り下ろすと、ナイフは魔女の左目に柄まで埋まり、絶叫が響き渡る。


 ひったくる様に真理佳を奪い返すと、うっすらと目を開いた彼女を床に横たえる。

 よろめいた魔女は、苦悶の表情でつぶやく。

「なぜ、記憶が有る。いや、小娘の名前が。我を、我を謀ってい……」


 僕は怒りにまかせて魔女に近付き、最後まで聞かずに手加減なしで殴り倒すと、馬乗りになって心が叫ぶまま魔女の首に手をかけ、強く強く締め上げていく。

 激しく抵抗する魔女の爪が、締め上げる僕の腕に無数の傷を作っていくが、痛みもなにも気にせず込めた力も緩めない。

 やがて抗っていた手から力が抜け、ボキっと骨の折れる音がすると、その体は徐々にナイフと共に灰となって崩れていく。


 やっと終わったと力尽きて座り込んだ僕の耳に、突然すすり泣きが聞こえてきた。

 振り返ると真理佳が座り込んで泣いていたのだ。

「ずっとあなたを騙していた。嫌われて当然の、そんな助ける価値などない私の為に、そんなに傷ついてまで……」

 そう言って大粒の涙を流す彼女の胸元は下着が露わになっているので、ワイシャツを脱いで四つん這いで近づいて行き、涙をぬぐってあげてから「着なよ」と差し出す。


 自分の側頭部を触ってみたが、コブになっている程度で出血は無い。もっとも肘から下は傷だらけで、無数のミミズ腫れにあちこち出血もしている。

「まずは傷の手当てをしよう。歩けるかい」

 立ち上がって促すと、差し出した僕の手にすがり、立ち上がりかけて力無くよろめく。

「きゃっ!」

 崩れ落ちかけた彼女をお姫様抱っこで抱え上げると、そんな声を出したが暴れるようなことは無く、落ちない様に首にしがみついてくれる。


 廊下や階段、教室内には女子生徒の無残な死体が放置されていて、見える限り全ての体は腹を裂かれているので、おそらく内臓を食われているのだろう。

 込み上げる吐き気を我慢しながら、真理佳にその光景を見せない様に目を瞑らせて、一階の保健室を目指す。

 保健室に入ると直ぐに真理佳を椅子に座らせ、額の傷口をそっと確認する。傷は小さく出血自体は収まりつつあったが、念のために消毒をしてガーゼを当てて絆創膏で留める。痛がるそぶりは見せなかったけれど、出来るならば早めに病院へ連れて行ってやりたい。

 自分の腕に付いた血は消毒液で洗い流し、ワセリンを塗って治療を切り上げると、お互いの呼吸だけがやけに耳につく。


 しばらくの沈黙に耐えられなくなった僕は、気持ちを抑えきれなくなって、膝をついて後ろから彼女を抱きしめた。彼女はためらう素振りを見せたが拒絶はしなかったので、抱き締めた腕に力を込め耳元で囁く。

「全て思い出したよ。――君が誰であり、僕が君をどう思っていたかを」

 腕の中で体を固くする真理佳の、その綺麗な髪に頬を埋めながら続ける。

「君に隠していた、自分を偽ってまで蓋をしてきた思いが有るんだ。その思いは君を傷つけてしまうものだから言うつもりは無かった。けれど、言葉にすることを許してほしい」


 真理佳は腕の中から逃げようとするが、させるものかと腕に力を込めて続ける。

「軽蔑してくれても蔑んでくれても構わない。――僕は君が好きだ。一人の女性として心から愛している」

 目を見開き振り返って僕を見るその瞳に、涙が溢れてきて心が痛んできて、込めた力を抜いて束縛を解く。傷付けてでも我を通した傲慢さに、嫌気がさして一歩下がるように立ち上がると、真理佳は離れまいとするかのように立ち上がって抱き付いてくる。

「私も! ――ずっとずっと大好きだった。許されるとは思っていないけど、一人の男性として愛しています。お兄ちゃん」


 気持ちが通じた。いや、通じ合った。たとえそれが許されるものではないとしても、その思いだけは誰にも邪魔されたくはない。それほどまでに尊いものだと感じた。


 昨年の文化祭の帰り道、体調がすぐれないと言っていた真理佳が『告白され、断った』と僕に話してきた。

 突然の事で、話してきた意図がハッキリしなかったし、断った理由を誤魔化した感じで釈然としなかったけれど、聞かされた僕は激しく動揺した。

 告白してきた相手が友人だった事でも、真理佳が告白された事にでもない。真理佳が隣にいない今後を想像できなかったからだ。


 真理佳は妹なのだから、いつかは彼氏ができて嫁に行く。その当たり前の事を今まで考えた事も無かった。いや、考えない様にしていたのだろう。

 いつの頃からかはハッキリしないが、僕は真理佳の事を妹としてではなく、ひとりの女性として見ていて、ずっと側にいてほしい存在と思っていたようだ。それなのに、兄という立場を利用して側にいて、肉親という立場を理由に気安く触れていた。

 兄と慕う彼女を騙し続けて……。


 妹として見なければならないのに、ひとりの女性として見てしまう。妹として見れないならば兄として接するべきでないのに、離れる勇気も嫌われる覚悟も持てない。自分はなんと汚い人間なのかと気付いてしまった。

 だから僕は、この気持ちに蓋をして距離を取ったのだ。

 例えそれが生きる糧を失う事になろうとも、そうしなければ自分のエゴで真理佳を不幸な目に合わせてしまいそうだったから。だから、荒れもしたし恩師にも迷惑をかけた。恩師に諭された後でも飢えた気持ちが満たされることは無く、幼馴染に見限られもした。


 それでも彼女は最愛の人で、守り切らなければならない女性で、失うことを受け入れる事が出来ない存在なのだと、今回の事でそう強く心に刻んだ。

 それならば伝えるべきだ。たとえ拒絶されても縁を切られても、愛するこの気持ちをこれ以上は誤魔化すことが出来ないのだから。


 どのくらい抱き合っていたのだろうか、普段聞きなれた雑多な音が戻っている事に気付き、窓の外を見ると校庭の向こうに見慣れた街並みが存在した。

「もどって来れたみたいね」

「もどって来てしまったね」

 どちらも二人の率直な気持ちだっただろう。戻って来れた安堵と、戻らなければ良かったとの後悔が入り混じった気持ち。ならば伝える言葉はコレしかないだろう。


「真理佳、僕らは兄妹だから決して結ばれることは無い。それでも、それが気持ちでしか表せなくても言わせてくれ。生涯、真理佳だけを愛し、この身の全てを持って君を守り続ける事を誓う。」

 一歩下がって手を取り、見上げてくる彼女の目を見て宣言する。

「私も翔真だけを愛し続けます。この身も心も、全て貴方だけのものです」

 晴れやかな笑顔で答えてくれた真理佳を抱き寄せ、そっと唇を合わせて守り切れた安堵と幸せを強く感じた。

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