第2話 命と引き換える代償

 そうこうするうち、どこからか美味しそうな匂いが漂ってきた。

「カレーの匂い、よね」

 そう彼女が同意を求めるように問いかける。

「学食の方から匂ってくるようだけど、だれかが昼飯の用意でもしているのかな」

「行ってみましょうか」

 彼女に頷き、警戒しながら学食に向かって移動する。


 学食は、講堂を挟んで武道場の反対に位置していて、二階建ての二階部分が食堂と厨房になっている。下は倉庫と教員用の自転車置き場になっているけど、人影は無い。そう言えば、どこからも悲鳴が聞こえてこなくなっている。

 外履きのままなので迷ったけれど、上履きは飛んだり跳ねたりする様には出来ていないので、床が汚れてしまうだろうが、そのまま入る事にした。


 警戒しながら階段を上がって食堂に入ると、入り口付近のテーブルに数人の女子生徒が集まっていた。彼女らも匂いに引き寄せられて来たものの、怖くて奥の厨房には近づけないとの事だった。

 意を決して木刀を握りしめ、ゆっくりと厨房へ入って行くと人影は無く、湯気を上げるカレーの鍋と炊き上がったばかりのご飯が用意されていた。


「君らは人影を見ていないんだよね」

 念のため、後ろから付いてきていた女子たちに確認すると、皆が頷いて肯定する。厨房の奥には勝手口もあって、外階段を使えば下に降りられる様になっていたはずだけど、校舎からは完全に死角になっているので、出入りの確認もしようが無い。

 そうしている中に生徒が集まり始めてくるが、男子の数が少なすぎる。補習に呼ばれたのは男子の方が多かったはずで、血の気が多いのも混ざっていたはずだから、魔女と殺り合っているのかもしれない。


『とりあえず、毒見も兼ねて食べてみるか』

 僕がご飯をよそい始めると、亜里沙が驚いた顔で僕の手を掴む。

「毒でも入っていたらどうするの」

「でも、誰かが試さないと。こういう場合は男子が任されるべきでしょ」

 そう言ってカレーをかけて一口食べる。

「――不味くは無いよ。先週ここで食べたカレーと同じ味だ」


 すると、数人の男子生徒が入ってきた。昨年はクラスメイトだった及川の顔も見えたので、手招きして食べるように促す。やはり問題は無いようで、男子はそれぞれが山盛りを作って席に着いて食べ始め、それを見ていた女子たちも安心したのか食べ始めたので、僕たちもそれに倣う。


「翔真は魔女に刺されたよな。体は大丈夫なのか?」

 近くのテーブルに着いていた及川が声をかけてくるので、一部の記憶が無いこと以外は問題ないと答えると、安心しつつも不思議そうな顔でこんなことを言い出した。

「実はお前の他にも数人が襲われたんだが、みんな生きていて同じことを言うんだ。そして、その場には女の子もいたんだけど、その子たちは襲われなかった」

 そして彼は食事中の女の子達に向かってこう言った。

「この中で女子が襲われているのを見た奴はいるか?」

 しばらく顔を見合わせていた女の子達だったけど、口々に無いと答えてくる。


「男子だけが襲われて、奪われるのは女性との記憶だけなのね」

 亜里沙のつぶやきは、『殺されることは無い』との希望が含まれている様だったけど、はたしてそう旨く行くものなのだろうか。

「だとしたら、こうして食事を用意されているのは、僕たちを生かしておく為かもしれないね。僕たちは魔女のエサなんだろう」

 及川に呟いた言葉を聞き咎められて、女子の一部から非難の声が上がり視線が刺さる。

「だとしたら女子が巻き込まれたのは何故なの」

 そんな事を僕に聞くなよと思いつつも返答に困っていると、及川が苦笑いを浮かべたまま助け舟を出してくれる。

「女性との思い出を食われるからじゃないか? こうして話をした記憶が、あの魔女を満たすためのエサなんだろうなぁ。」

 僕に対する助け舟だからか声が大きく、女子の矛先が及川に向いてくれて助かったことには違いないが、聞こえて来るすすり泣きに気持ちが重くなる。


 どうしたものかと亜里沙に目をやると、後ろめたさを含んだ顔で僕をじっと見ていた。


『全てを失っても、君さえそばにいてくれるのならば幸せなのに』


 ふと浮かんだその思いは、今の僕のモノか過去の思いだったのか……。何ともあやふやなその思いを悟られたくなくて苦笑いすると、彼女は小首を傾げただけで追及はしてこなかった。


 少しすると、運動だけが取り柄の様の男子生徒が、次々の疲労しきって様子で入ってくる。よせば良いのに及川がからかうように声をかけると、先頭を歩いていた男子が面倒くさそうに受け応えする。

「飯も食わずに追いかけられていたのか。モテモテだな」

「うるせぇよ、校庭の向こうに行っていただけだ。でも、戻って来た」

「なんかヤバいのでも見たのか?」

「ちがう。進んでも進んでも、行き着く先は学校なんだ。生き物なんていないんじゃないかと思うほど静かだし、完全に閉じ込められている感じだ」

「檻の中の家畜だな」

「何の話だ?」


 気が進まなかったけれど、先ほどの話を聞かせてやると「なんで俺らなんだ」と不満をぶつけられてしまう。もっとも逆の立場だったら、僕も文句の一つも言ったであろう。

 さて、このまま食堂に居るのは安全と言えるのだろうか。場合によっては食事を用意しにくるモノに襲われる危険だってあるし、挟み撃ちにでもされたら逃げ場がない。と言って、他に逃げ込む場所の見当も付かないので悩んでしまう。

 今後の行動を決めかねていると、彼女が黙って食器を片付けに行ってくれて、その後ろ姿を見ていて移動する決心が付いた。彼女は守るべき存在で、ここの連中に囮にでもされたら困ると考えたのだ。


 竹刀袋に彼女の竹刀を入れ、代わりに取り出した木刀を左手に持って立ち上がると、こちらを見ていた及川から声がかかる。

「そうか、翔真は剣道部だったよな。まだ木刀とかあるか?」

「あるけど振れるのかい。触り慣れている分、金属バットとかの方が扱い易くないか? 近付かれない様にボールで牽制するのもありじゃないか」


 そんな会話が聞こえていたのか、出口近くにいた男子達が我先にと飛び出して行く。追いかけるように残った男子連中も出て行き、残った女子は不安そうに話し合いを始めてしまった。

「私たちも行きましょうか」

 食器を片付け終わった亜里沙が声をかけてきたので、二人そろって食堂を後にする。


 ここに来る前の二人の関係は、はたして良好だったのだろうか。絶望的な失恋だったはずなのに、未だに相手の事が思い出せないでいる僕は、もしかすると彼女が相手だったのではと思い始めていて、偽名を使っているのであろう彼女の理由が、その辺にあるのではと考えている。

 偽名だと考える根拠は、下駄箱が隣り合わせだったからだ。必然的に出席番号は続きのはずなので、相羽の次が佐藤なのは納得がいかない。さらには、名前を呼ぶことに違和感と言うかわだかまりと言うか、記憶が無いはずなのに変な感じを抱くのも理由に上がる。


 そんな半信半疑のままで彼女に誘われ向かったのは、特別教室が集まる校舎の五階にある音楽準備室だった。彼女にここを選んだ理由を聞くと迷う事無く三つ上げた。

  ・最上階なので、上から覗かれない事

  ・防音が施されていて、話し声が外に漏れにくい事

  ・校舎の最端で、外階段へも逃げやすい事

 確かに理に叶っている。食事をしながらでも隠れる場所を考えていたようだった。


 食堂下の販売機で購入しておいたペットボトルの水を、準備室にあった空の楽器ケースなどに隠し、壁に背を預けながら息をひそめて座り込む。

 なんでこんな奇妙な事が起きてしまったのか、最初の犠牲者が僕だったことに意味は有るのか、このまま元の世界には戻れないのか。そんな疑問が次々に湧いてくるものの、どれ一つとして答えが出ない。

 それでも不安に押し潰されないでいられるのは、隣に彼女がいるからだと思える。彼女を守る気負いよりも、二人だけで過ごせる時間がどうしても心地よい。


 どのくらい座っていたのだろうか、赤い夕陽が窓から差し込む頃、彼女がそわそわし始める。トイレに行きたいのを我慢しているようなので、回りくどい言い方になってしまうが、誘ってみることにした。

「夜になったら電気が点くと思うかい?」

「それは点くとは思うけど、点けて回るようよね」

「点いている所は、格好の的だよね」

 最後の質問に彼女は黙ってうなずく。点けて回るリスクも理解はしてくれているようだし、非常灯くらいは自動で点くだろうが、行動は極端に制限される事になるだろう。

「暗くなる前にトイレに行っておきたいけど、不安なんでついて来てくれないかな?」

 少しためらった後、彼女は「そうよね」と立ち上がる。


 一般教室側の校舎に移動し、一つ一つ教室を確認しながらトイレへと向かうが、彼女は僕のワイシャツの裾を掴んでいて、トイレが近づくと小声で「ありがと」と言ってきた。恥ずかしくて言い出せなかった事に、気付けたお礼だと思うので聞こえないふりをする。

 僕が先に使わせてもらい、彼女には「少し離れているからね」と言い置いて、すぐそばの階段をうかがい見る。特に誰かがこちらに向かってくる様子は感じられない。


 もう少しすると闇に包まれてしまうのだろうか、非常灯が点き始めた頃にワイシャツの裾を軽く引かれる。用は済んだのかなと、振り返ると同時に耐え難い痛みが胸を襲い、おもわず声が上がる。

「ちくしょう、どっから湧いて出やがった」

 そこにいたのは魔女であり、いやらしい笑い顔で答える。

「ここは我の世界、どこにいても不思議はなかろう。それより、お前の記憶は美味い。その背徳的な思いは格別な味じゃな」

 そしてナイフを引き抜くと、脇をすり抜けるように背後に回り消え失せる。


 壁に手をついて支えようとするが力が入らない。膝から砕けるように崩れ落ちるのを、色の薄い髪をした女の子が脇から支えてくれた。

「翔真、しっかりして」

 すでに僕の視界は暗転していて、彼女に応える言葉がうまく出てこない。 「ま……」

 そう言いかけて、僕は気を失った。

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