君を妹として見れない僕が、君を幸せにする唯一の方法

羽鳥 藍那

第1話 見ず知らずの幼馴染

 クーラーも効いていない四階の教室に入り、朝日の差し込む後方の窓際の席に座る。せめてもの救いは最上階の教室ではない事だが、熱帯夜が続いているせいもあってか気休めにしかなっていない。他にも二十人ほどの生徒が着席しているが、皆が一様にけだるげなのは暑さのせいだけではないのも確かだ。

 今日は夏休みの初日であり、世間一般は祭日でもある。にもかかわらず登校しているのは、進学校の三年生なのに一学期末の成績が悪かったからで、赤点免除の名目で一週間の補習に呼び出されたわけだ。


 自分で言うのも変な話だが、高校の成績は進学コース内の順位で二桁に落ちたことは無く、スポーツも全般的に平均以上の出来で、特に中学で始めた剣道では目覚ましい活躍をしていた。容姿はと言えば、一八〇を少し超える身長に、細身ながらもしなやかな筋肉を無駄なく纏っている。

 そんな僕、相羽翔真がなぜ補習などに呼び出されているかと言えば、昨年の秋に人を愛している事を自覚した時点で、実らぬ恋だと思い知らされたからだった。この失恋と、その後に発症した病気のせいも有って、生きているのも面倒だと思うほど何もする気になれず、昨年の後半は荒れに荒れて退学も間近の状態だった。

 そんなだから、進学コースで上位だった成績は見る間に落ち込み、結果的に進級時点で一般コースにまで落とされてしまっていて、半年近く授業をサボったツケで未だに授業に付いて行けるレベルにまで至っていない。それで、来たくも無い補習を受ける事になってしまったのだった。

 最初はサボってしまおうかとも考えたのだが、高校ぐらいは卒業しておかないと家族が心配する。さらに、忘れられないでいるあの子も補習に来るとなれば、家でゴロゴロしているよりは有意義なのだろうと登校する事にしたのだ。


 担当の教師が来ても良い頃なのにと腕時計を見ると、すでに始業の時間は過ぎている。

『まったく、呼び出しといて遅刻は無いよな。夏休みに入ってチャイムが鳴らなかったからか?』

 そんな事を考えながら窓の外に目を向けて、見える風景が有りえない事になっていて目を疑う。

 地方都市とは言え大きな街にある学校なので、窓の外に見えるのは中層マンションや戸建て、駅ビルに高速鉄道の高架橋など人工物ばかりのはずなのだ。が、今見えているそれは緑豊かな山々と広がる森……。


 林間学校で連れて行かれた山中の様な光景に驚いて、椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった僕に、周囲の非難めいた視線が集まる。それすら気にならない程の激しい胸騒ぎを覚え、周囲の声など聞かずに廊下に飛び出すと、左側に人の動く気配を感じて避ける。

「先生、遅いですよ。て言うか外が変なことになっていて」

 死角に入ってしまった気配に、体ごと振り向きながら話し出したのだが、そこに立っていたのは見知った教師ではなく、小中学生の様な幼い顔をしたゴスロリ衣装の小柄な少女だった。


「――え、だれ?」

 学校には場違いなその存在に頭が追い付かず、思考と動作が完全に止まると、その場違いな存在は更に予想だにしない行動にでた。

 後ろ手に持っていた刃渡り二十センチは有ろうサバイバルナイフを、両手で逆手に持って振り上げると、何のためらいも無く僕の胸に突き立てたのだ。激しい痛みに顔をしかめたが、次第に脱力感だけが体に広がり、心に靄のようなものが広がる感じがする。

 声も上げられずにいる僕に彼女は、ニタリと口角をあげて突き飛ばす様にしてナイフを引き抜く。想像していた様な血が吹き出す光景は無く、ナイフにも血の跡は無い。

 ナイフという支えを失った僕は、廊下や教室に響き渡る悲鳴を聞きながらその場に崩れ落ち、遠のく意識の中で大事な記憶が奪われそうになるのを、そのカケラだけでも離すまいと抗いながら意識を失う。


 ふと意識が戻った僕は、いつの間にかベッドに寝かされていた。見える天井や薄汚れた間仕切りカーテンから、ここが保健室であることは想像できた。それでも、なぜこんな所に寝かされているのかが思い出せない。昨年はサボりで利用したことは有ったものの、倒れる様な持病など持ち合わせていないのだから。

 そうこう考えていて、変な女に刺された事に思い至って慌ててベッドの上で起き上がり確認すると、胸に痛みは無く服も切れてはいなかった。

『熱中症で倒れて、悪い夢でも見たのだろうか』


 起き上がった際のベッドの軋みが聞こえたのだろうか、こちらに歩み寄る足音がしたかと思うと、間仕切りカーテンが勢いよく開かれる。

 そこに立っていたのは保険医ではなく、安堵の表情を浮かべた可愛い女の子だった。見た目は同い年くらいだが見覚えのない顔で、それでも髪の色になぜか懐かしさを感じる。

「君は? 僕はどうして保健室なんかに?」

 そう問いかけると、彼女はひどく驚いた顔で動きを止める。

「な、何を言っているの? まさか忘れ……」

 それは何を指しているのだろうか。


 質問に質問を重ねられて困った顔をする僕に、僕以上に困惑顔の彼女が言葉を続ける。

「今日は補習があって学校に呼び出されていて、いきなり廊下に飛び出した翔真は胸を刺されて、意識を失って倒れたらしいの」

「胸を刺された? ゴスロリ女に? ――夢じゃなかったのか」

「そうよ。倒れ込んだ翔真とナイフを振り上げながら透けるように消えた女に、周りのみんなはパニックになったの。血は出ていなかったけれど意識が戻らないし、救急車も呼べなかったからここに運んでもらったのだけど」

 どうやら彼女に、ずっと介抱してもらっていたようだ。

「その、介抱してくれてありがとう。で、クラスと名前を聞いても良いかな」

「――本気で言っているの? 私が、誰だか解らないと言うの?」


 僕は彼女と知り合いだったのだろうかと記憶をたどろうとして、激しい頭痛にみまわれて頭に手をやる。不思議な事にクラスメイトはおろか親の顔さえ、異性についての記憶が抜け落ちているようだ。

 締め付ける痛みに顔をしかめつつも、彼女に顔を向ける。

「母親の顔や名前さえ思い出せない。どうも異性に関する記憶をたどると、ひどく頭痛がして……。思い出せるのは、皮肉なことに僕を刺したあの女の顔くらいだ」

 思い出せないのは顔だけではない。日々の生活や旅行の思い出にあるはずの、女性と一緒に何かをしたであろう部分がひどく曖昧で、これまで周りに異性が居なかったかのような錯覚さえ覚える。それでも必死に遡って行くと、一人の幼い少女が思い浮かぶ。

「それでも、かすかに残っている記憶がある。顔は思い出せないけど、色の薄い髪の少女を覚えている。そう、君と同じ綺麗な髪色の小さな子を……」


 すると彼女は思いつめた顔をし、少し間を開けて僕の最初の質問にこう答えた。

「私の名前は佐藤亜里沙。貴方はいつも亜里沙と呼んでくれていたわ。私たちは幼馴染みたいなものだから、私も翔真と呼んでいたしね」


 立ち話もなんだからと、ベッドに二人並んで座ると今の状況を確認する。

 僕を運んでくれた男子達は、いつ襲われるかも知れない恐怖で浮ついていたようだ。そんなだから、運び込むと直ぐ逃げるように出て行ってしまったそうだ。まあ、状況がこんなだから責められるものでもないと思うし、彼女もそう思っているから責めた口調ではないのだろう。

 どうやら僕は二時間ほど気を失っていた様で、その間にも悲鳴なんかが聞こえていたそうだから、他にも襲われていた人もいたのだろう。それでも保健室に、駆け込んで来たり運び込まれたりした者はいないそうで、こうして二人だけの時間を過ごせている。


『二人だけの時間?』


 いや、僕は何を考えているのだろう。こんな状況なのに『二人だけでいるこの時間』がとても好ましく思えて、恥ずかしいくらいの幸せを感じてしまっている。

 このまま保健室に居るのも危険ではあるので、隣校舎の裏手に位置する武道場へ向かう事にした。なぜ武道場かと言えば、そこにある部室に使い慣れた竹刀や木刀がまだ置いてあるはずで、護身用に持ち歩くには邪魔とは思うが、なにも持たないでいるよりはマシだと思ったのだ。


 武道場へは保健室のある校舎を二階に上がり、渡り廊下を通った隣校舎の職員室脇に在る連絡通路から、講堂を突っ切って回るのが最短で一般的なルートだった。それでも、途中で複数の教室前を通るために警戒する必要があるので、遠回りとなるが外に出て校舎を回り込む形で向かうことにした。

 様子を見ながら慎重に昇降口に移動し、靴を外履きに履きかえる。下駄箱が上下隣り合わせなので、やはりクラスメイトだったようだ。


 昇降口を出ると、校庭までは見知った光景が広がっている。それなのにフェンスの向こうは見たことも無い風景が広がっていて、まるで学校の敷地ごと山の中に移動させられてしまったかの様だった。

 もしかすると、ここは本当に山の中なのかもしれない。肌に感じる熱気は都会のそれではなく、空気も澄んでいるように感じる。しかし静かすぎる、鳥のさえずりや虫の声さえ聞こえてこない程の静けさだった。

 騒がしいのは校舎内だけの様で、五階建ての古びた校舎からは悲鳴や怒鳴り声が聞こえてくる。たぶんゴスロリ衣装の魔女は校舎内にいて、次々に生徒を襲っている最中なのだろう。それなら外に出ている僕らが狙われる確率は低いだろうと、武道場に向けて駆け出して部室を目指す。


 久しぶりに来た部室は、防具や道着の匂いが充満して懐かしさを感じたが、彼女は汗を吸った革の独特な匂いに顔をしかめると、奥まで歩いて行き窓をいっぱいに開け放った。

 本来だったら毎日訪れているべき場所なのに、僕にとっては過去の居場所だ。

 僕は半年前に自主退部している。理由は左目の視野を半分近く失っているからで、競技選手として続けていくことが難しかったからだ。ましてや、失恋によって気力も無くなっていたので、引き留めてくれる部員や顧問の声にも耳を貸すことは無かった。


 目について言えば、最初の違和感は半年ほど前の修学旅行での事だ。それまで、人混みの中であっても当たらずにすり抜けられていたのが、やたらと人に当たってしまったり、躓く事が多かったのだ。それでも、あの子を好きな気持ちを忘れようと、がむしゃらに練習していた疲れが溜まっているのだと思っていた。

 そう目をそらしている間に病気は進行してしまった。

 試合中に太刀筋が追えなくなって、突然襲ってくるように見える打ち込みに対応できなくなって、慌てて検査を受けた。その時にはもう眼の神経がひどい状態で、左目の外半分は見えない状況になっていて治る見込みは無かった。出来る事と言えば、薬によって進行を抑える事のみだったのだ。


 退部届を受理されていないので自主退部状況なのだが、防具等を持って帰れば未練が残るし処分するのは気が引けて、用具一式を部室に置きっぱなしにしたままだった。

 刺された傷が無いので防具を着けて体を守れる保証は無いし、そもそも無駄なおもりを着ける必要は無いだろうと、竹刀袋に木刀だけを残して肩に担ぐ。


 脇で見ていた彼女は、敢えて抜き取った僕の竹刀を手に取り感触を確かめる。すると狭い部室内で素振りをしたかと思えば、それを持って部室を出て行ってしまった。ナイフ相手に素人が竹刀でどうにかなると、彼女は本気で考えているのだろうか。

 慌てて後を追うように部室を出ると、出てすぐ右の壁際に彼女は立っていた。

「もう少し、感傷に浸っていてもいいのに」

 柔らかな笑顔を向けてくる彼女は、僕の目の事も自主退部の事も知っているようで、その表情から気安い間柄だった事がうかがい知れる。

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