第78話 エラと渡り鳥
舞踏会当日。
それはエラが灰被りの苦難の日々を越えて栄光を掴む結実の日。
しかしエラは、舞踏会に行って舞台に立つ役割をファムに代役してもらい、渡り鳥であるエクスの元に来ていた。
大好きな渡り鳥に想いを伝える為に。
未練を残したまま後悔するのは、自分の道を進む上での足枷となってしまうから。
代役を立てる事に障害はない、結局は最後にガラスの靴さえ履ければいいのだから、エラとファムの靴のサイズは同じだ、だからどちらがシンデレラになっても結末は変わらない。
「エラ・・・どうしてここに、今日は君の一番大事な日じゃないか」
エクス信じられないと言わんばかりにエラを見た。
エラが今日まで理不尽と不条理に耐えて来たのは全てこの日に報われる為の筈だ、それなのにどうしてここにいるのか、エクスは分かっていても聞かずにはいられない。
「そう、私にとって一番大事な日、だからこそ、私にとって一番大事な人に会いにきたの、それっておかしいかしら?」
「それは・・・」
エラに一番大事だと言われる事、それはエクスのかぼちゃ畑を耕していた毎日が報われる瞬間でもあった。
これがエクスのラブロマンスであったのならば、熱く抱擁しキスをして舞台の幕を閉じるのも安易ながら妥当な結末だろう。
それが許されない事だとするのなら、絶頂の内に死ぬ、ストーリーテラーの介入を受ける前に心中してしまうのも、悲劇では無く幸福の結末かもしれない。
少なくともエクスの中にあるエラへの想いは捨て切れずに、今なお燻っているのだから。
そしてエクスには迷いがあった。
ここで一生を過ごした方が、誰にも関わらずに生きた方が、皆が幸せになれるのではないかという迷いが。
自分の選択に、旅路に、運命に、何の価値も見いだせなくなった少年は、少女の与えてくれた救いを求めてしまう。
今日はエラの運命が変わる日であると同時に、エクスの運命が変わる日でもある。
だからこそ、二人の主役が同時に運命に抗えば
恐らく筋書きと主役という基幹を無くした想区は滅びてしまうに違いない。
それでもあんな結末よりはマシだと、エクスは思い悩んだ。
揺れる瞳でエラを見つめるエクスを見て、エラはかぼちゃ畑へと歩き出した。
「ねぇ、渡り鳥さん、私達が最初に出会った時の事を、覚えている?」
「・・・覚えているよ、九歳の頃、このかぼちゃ畑で、僕と君は出会ったんだ」
エクスがそう言うと昔を懐かしむようにエラは笑う。
月光に髪を煌めかせて婉然と微笑むその姿は、どんなシンデレラよりも美しく、鮮烈にエクスの脳に焼き付いた。
彼女のその微笑みを、二人だけの思い出という時間を独り占めしている事を自覚すると、自然と体が熱くなるものの、エクスの内にある葛藤は、エクスを舞い上がらせる事を許さない。
「ふふ、あの時の事、つい昨日の事みたいに思い出せるわ、辛い時や悲しい時、逃げ出したくなった時や死にたくなった時、そんな時にはいつも、あなたの笑顔が私の側にあったの」
「それは・・・僕も同じだ、君がいたから、僕は僕らしく、当たり前の幸せと日常を手に入れる事が出来た、君の存在無くして、今の僕はいなかった」
子供の時から疎まれ迫害され、自分の居場所も生き方も見つけられ無かったエクスにとって、エラが与えてくれた物がどれだけ大きかったのかは計り知れない。
「お互いがお互いにとって無くてはならない人、つまり私とあなたは、相思相愛になるのね」
ぎゅううう、と押し潰されそうなくらいに強くエラはエクスを抱き締めた。
その抱擁を拒む理由をエクスは持たない。
優柔不断してるなと、心の中のリュセットが叱責するが、そんな理性さえ、全身で感じるエラの体温の前に覆い隠される、
葛藤と未練と先の見えない不安、あらゆる感情が綯い交ぜになったエクスの心を、エラは優しく包んでゆく。
それはエラの優しさであり、人より苦難を歩んだからこそ気づき、施すことの出来る慈愛だ。
このままずっとエラの胸に抱かれていたい。
運命も何もかも捨てて彼女に甘えていたい。
そんな風に自分の心の虚飾と責任といった重圧を全て捨て去った時に、エクスの中に一つの真実が浮かび上がった。
「・・・大好きだよ、エラ、君とずっと一緒に居たかった、ずっと君の王子様になれたらいいのにと思っていた、だけど」
エクスにとってのおほしさま、それはエラでは無いと気づいてしまった。
今のエクスには、自分の命に替えても救いたい相手、誰よりも大事にしたい存在がはっきりとその心に焼き付いているのだ。
だから自分だけ救われる結末はいらない。
仮に自分がどんな地獄に落ちるのだとしても、彼女を救いにいかないといけないのだ。
その事に自分の運命の全てを捧げてもいいと、そう思えるのは彼女達だけだった。
そんなエクスの決意を感じたエラは、エクスの体を離した。
「・・・ありがとう、私を好きになってくれて、私と出会ってくれて、その思い出だけで、私の運命は光り輝くわ、だから私も、私の運命を生きる事にする、やりたい事をね、見つけたの」
「エラの、やりたい事?」
シンデレラになって、世界一のプリンセスになって王子様に見初められる、それ以上にやりがいのある事なんて、エクスには想像出来なかった。
「リュセットから聞いたわ、ここのかぼちゃ、私だけじゃなくて他のシンデレラの、代役の子達みんなにかぼちゃの馬車が行き渡るように育てていたのよね」
「う、うん」
リュセットに気の多い男は大罪だと言われた為に、その話題は詰られる物だとエクスは浮気を指摘されたかのように顔を青くするが。
「嬉しかった、渡り鳥さんも私と同じなんだって思って、だから私も、目指す事にしたの」
「何を?」
「誰も虐待されたり、迫害されたり、虐められたりしない、優しくて暖かい国を作る事を」
「——————っ」
それを成し遂げる事はエクスのような空白の書の持ち主とシンデレラの代役の娘達にとっての救いであると同時に、シンデレラという物語の否定だ。
いくらシンデレラが結末を終えた後の後日譚が余白になっているのだとしても、それを成し遂げるのは砂上の楼閣の如く険しい物だろう。
それでもエクスは、エラのその夢を美しいと、その理想を気高いと、エラなら成し遂げられると思った。
「いつかきっと、ここのかぼちゃ畑じゃ足りないくらいに沢山の人が「シンデレラ」になって、自分の夢を叶えられる国を作る、きっとその夢は渡り鳥さんとは一緒に見れないから、だから私達は今日でお別れになるの」
「・・・それが、エラの夢なんだ、すごいや、僕なんかとは比べ物にならないくらいにすごい、だったら僕も、負けてられないよね」
自分に言い聞かせるように、エクスはその幼なじみに負けない自分であろうと己を奮い立たせた。
迷いも葛藤も、エラの夢を聞かされた後となっては全部置き去りになる。
何度も渦巻く後悔が生み出した諦めの心は、その瞬間打倒された。
今この瞬間を生きる事に、後ろ向きになったままではこの幼なじみに合わせる顔が無いから。
美しく壮大な夢は人の心に情熱を焚べる。
それが例え借り物でも、他人の夢に陶酔して傾倒しているだけだとしても、理想を目指す事を人間である以上は否定出来ない。
合理的で理論付られたナショナリズムの如くヒトの心に情熱を与えるもの。
エクスの内から沸沸と滾る情動、それこそがその人の運命を真に照らす、唯一無二の至宝なのだから。
ようやくエクスは理解したのだ。
自分にとってエラがどういう存在だったのかを。
「幼なじみ」でも「初恋の相手」でもない、もっと親密で気の置けない、身近で普遍的で当たり前な関係。
そんな彼女が、自分と共に歩んで来て、この運命の日に会いに来た事の意味を。
その後に続く別れの意味を。
「ねぇ、渡り鳥さん、渡り鳥さんの夢は何、教えてもらえるかしら」
吹っ切れた顔で遠くを見つめるような眼差しを浮かべるエクスを見て、エラは自身の物語の終わりを感じながらも、その羽ばたきを喜ぶように尋ねた。
「僕の夢は・・・今思いついた物で申し訳無いけど
、僕の夢は、君が世界一のお姫様になるなら、僕は世界一の王子様になる、誰よりも強くて、優しくて、かっこいい、そんな皆が憧れるような王子様に」
誰よりも強くなれば、皆を守れる強さがあれば、きっと結末は変えられる筈だ。
一度絶望したからといって諦めるのは、誰よりも素晴らしい夢を語ってくれたこの幼なじみに申し訳が立たない。
だからエクスは、もう一度剣を取る、もう一度、運命に抗う事にする。
無理だとしても、無謀だとしても、それを笑う事はエクスには出来ない。
だからエクスは、自分も己の運命に挑戦するのだ。
自分にとって一番の理解者であるエラに負けない為に。
人はその人が特別だと言う事をその人だけが分からない。
ましてや、想区という閉鎖的で慣習的な世界の中では、個性を表に出す事すら禁忌的だ。
だからこそ、誰かが特別だと認める相手、理解する相手、見つける相手が必要になるのだ。
それはその人にとっての翼であり魔法である。
もしも想区という世界の理である「縁」によって結ばれる出会い。
エクスとエラの間に結ばれた縁、それが形を伴う赤い糸のような運命では無かったのだとしたら、それはきっと。
「もう、行かないと、待っている人がいるから」
舞踏会は始まっている頃だろうか、お城まで続く森の中で、ヴィランに襲われるレイナがいる筈だ。
僕が助けに行かないと、レイナの運命はそこで終わりになるのだから。
例えこれが夢なのだとしても、現実では無かったとしても、自分が死んだ後の二週目の世界なのだとしても、エクスはもう一度その選択をする事に後悔は無い。
だって。
たとえ悲劇で終わるのだとしても、エラの夢に負けない夢を抱えている今ならば、その軌跡は、誰よりも輝いていて、尊い物になる筈だから。
滅びに向かって歩んでいるのだとしても、その選択を否定し嘲ることの出来る者はいないだろう。
選択とは、結果を示す物ではない、その価値は結果だけで測れる物ではない。
同じ選択肢だろうと、繰り返しに過ぎない物だろうと、その時選んだ決意こそが、そこに至るまでの過程こそが、その選択に意味を与える物なのだから。
だから、エクスは例え百万回死ぬことになるとしても、百万回同じ選択をするだろう。
分不相応な願いを抱いた者の情熱など、きっと理解はされないが、それでも立ち向かう覚悟は、果てること無く滾っているのだから。
「・・・そう、じゃあさよならね、次に会う時は、お互い夢を叶えてるといいね」
「きっと叶うよ、僕はエラを誰よりも信じてるから」
「じゃあ私も貴方を信じるわ、叶えてね、絶対」
エラとエクスは最後に拳を突き合わせると、エクスは振り切る様に全力で駆け出した。
振り向かないエクスを見てエラは寂しさを感じつつも、その気遣いに愁然と微笑んだ。
「さよならエクス、私の魂の・・・」
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