春の嵐・8
春の一番風が吹く。
風が収まるのを待って、ラウルは霊山の山頂を目指すこととなった。
その話を聞いて、エリザは驚いてしまった。あまりに早すぎる。しかも、行き先が山頂だなんて。
霊山の仕え人たちの中にも採石の係がいたが、彼らですら、山頂を目指すのは夏になってからだ。
しかも、ラウルは常に一人で行動する採石師であり、補助の者を連れない。
エリザは不安でたまらなかった。
――もしかして……私のために、無理をしている?
今年初めての採石である。山に入る前日に、身内でちょっとしたお祝いが行われた。
「大丈夫よぉ。エリザったら心配性なんだから。だいたい、こんなに早く、最高神官の許可を得られるなんて、その名誉を誇るべきだわ」
相変わらずララァは明るい。
だが、ラウルの妹のアウラは、全く口を利かない。彼女は食事にほとんど手をつけず、エリザと顔も合わせなかった。
「もう! 確かに採石の仕事は危険だけれどね、もう十年近くも事故らしい事故は起こっていないのよ。サリサ様の代に入ってからは、けが人だってほとんど出ていないし」
そう言われても、エリザは恐かった。
ふと、先日の『力ある金剛石』のことを思い出したのだ。
「ラウル……。本当に無理をしないでね」
ラウルにそう言うのは何度目だろう。その度に、ラウルは笑ってみせた。
翌朝早く、ラウルは旅立った。
エリザは山の入り口まで見送った。
まだ、山道には雪が残っている。どう考えても、早すぎるような気がする。
「まだ、誰も手を付けていない山だ。きっと、いい石を見つけて帰るよ」
その言葉を聞いていると、やはり、ラウルはジュエルの守りのために? と思えてきて不安になる。
「ラウル。いい石なんていらない。無理しないで、無事に帰ってきて。私もジュエルも、蜜の村で暮らせなくてもいいの。ラウルと三人で、この霊山の恩恵を受けて、一の村で暮らせれば……」
「霊山の恩恵なんて、要らない」
ラウルの顔が、急に厳しくなった。
霊山に石を採りにいく者が、霊山の恩恵を否定するなんて……。
エリザは戸惑った。
「ラウル。霊山の力に逆らってはだめよ」
「わかっている」
何がラウルを不機嫌にしたのか、エリザにはさっぱりわからない。
「と、とにかく無理はしないでね」
山を登ろうとして、ラウルは振り返った。
「エリザ。最高神官は、あなたとの結婚を祝福してくださり、この許可を与えてくれた。無理をして、あなたを泣かせないよう、あの方に誓った。だから、安心して待っていてくれ」
「……え? サリサ様が?」
エリザは、なぜか血の気がひいてゆくのを感じた。
最高神官の祝福は、結婚式で村の神官が間に立つよりもずっと重みがある。
ジュエルが五歳になっていないので、正式な結婚はまだまだ先であるが、実質上、認められたといっても過言ではない。
「あなたを幸せにするため。僕は、最高神官との誓いを守る」
ラウルは、複雑な微笑みを残し、エリザに背を向けた。
そして、やがて朝霧の中、山道に消えていった。
エリザと別れた後、ラウルは霊山の門にたどり着いた。
そこで、霊山のどの辺りに入るのかを記入しなければならない。
山頂の南……と書きかけて、ラウルはペンを止めた。
冬の間、激しい風を受けた北のほうが、金剛石を見つける可能性が高い。だが、その分、危険も大きくなる。
ラウルは、しばらく悩んだが、北と書き込んだ。
霊山の束縛を恐れながら、その力に頼ろうとするエリザが嫌だった。
最高神官は、微笑みで二人の結婚を祝福した。
なのに、エリザは……。
なぜ、あんなにも動揺するのか?
明らかにショックを隠せないでいた。
――そんなに、最高神官が忘れられないのか?
太陽か、月か、星のような人なのに。そんなに、あの方に頼るのか?
いくら追い払おうとしても、エリザの中の偉大な人の影は消えない。
ラウルにできることは、最高神官の力から、エリザを引き離すことだけ。そのためには、最高神官の力を越えるだけの力を手に入れ、霊山から離れなければならない。
エリザとの恋の成就のために、最高神官の力は邪魔だった。
見上げると、霊山の山頂がキラキラと光っている。この時期にしては、めずらしいほどに、気が収まっている。
ムテは光と自然を神と崇める種族である。そして、最高神官は神の大いなる力を操る担い手だ。
――霊山の力に逆らってはだめ。石を過信してはいけないわ……。
エリザの言葉を思い出すと、ラウルは心が乱れた。
彼女の言葉は、常に最高神官の言葉。そして、言葉は呪縛。
ラウルは、耳に残るエリザの言葉を振り払い、霊山に挑むよう、足を速めた。
より強い力を持つ石を求めて――
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