春の嵐・7
魔の島には、霊気の宿る場所が二カ所ある。
ガラルの向こう、エーデムリングと呼ばれるエーデム族の遺跡と、ムテの霊山である。
非なる力を発するこの場所であるが、古来より、多くの共通点が指摘されている。
そのひとつに、力を持つ石の存在がある。
――七色の光を発する金剛石。
この石にまつわる言い伝えはいくつかあるが、古の血が失われてゆくにつれ、語られることも失われ、今では真実からほど遠いことしか残っていない。真実ではないとすることも、確かめようがないのだ。
ムテの採石師の中に伝わる伝説も、そのようなあての無いもののひとつだ。
エーデムリングに眠る力が、この地に落下する際に砕けちり、その一部がムテの霊山に眠っているという。
その力は、金剛石の形をとり、ムテの祈りを集約する。最高神官が霊山の気をまとめることができるのも、この石による増幅作用ではないか? とすら、言われているのだ。
実際、霊山では力のある宝玉が多く産出している。金剛石も多く出る。
だから、エーデムリングの力の石があってもおかしくはないと、まことしやかに語られていたのだ。
そして、ラウルの能力が、どこかにある極上の金剛石の存在を感知していた。ただ、今まで一度も、その石を採ってこようとは思っていなかった。
石は、採石師の能力を選ぶと言われている。だから、能力の限界を知り、無理をしないのも採石師の才能のひとつだ。
だが、この春。
ラウルはその石の欠片のほんの一握りでも、手に入れようと思った。
ジュエルを守るような大きな力を、ラウルは持たない。しかし、石さえあれば、最高神官が持ちうるような力で、あの子を守ることができるかも知れない。
そうすれば、エリザは故郷の蜜の村で、癒しの巫女として過ごせるだろう。霊山の採石師としての仕事はできないが、細工師として店を持てば、暮らしていけないことはない。
霊山の祈りが届きにくい辺境の地だ。
エリザは、きっと闇を忘れ、最高神官のことを忘れ、幸せになれるに違いない。
霊山は、まだ冬の気配だ。
だが、山頂には雪がつかない。
そして、春先こそ、冬の風で削られた岩壁より、貴重な石が顔を出す。
霊山の採石許可が早ければ早いだけ、他の採石師に先んじることができるというわけだ。
「まだ早い……」
ラウルは、毎朝、霊山を拝み見た。
「まだ……。いや、行こう」
こうしてラウルは、霊山の山開け初日に、採石許可を求めに霊山に登った。
サリサは、ラウルの訪問に驚いていた。
訪ねてくるとしたら、紅百合の芽を採取する薬師くらいか? と思っていたのに。
まさか、このような早い時期に、採石許可をとりにくるとは……。
まだ、このあたりにすら、雪が残っている状態なのに。
しかも……。
――予知夢とまったく同じ。
「どうしても石が欲しいのです。妻になる人のために」
ラウルは、あまりに早い採石の理由をそう述べた。
エリザと結婚の約束をかわしていながら、この男は挑戦的な目をサリサに向ける。
礼儀正しいのだが、無礼きわまりない。
ラウルには、たとえ最高神官であろうとも、過去にエリザを抱いた男の存在が許せないのだ。最高神官という地位にありながら、一人の女性に固執しているのでは? と、疑いの目を向けている。
「この時期、山頂にはまだ危険があります。貴重な採石師であるあなたを、ムテは失うわけにはいきません」
サリサは、ラウルの申し出を却下した。
彼の持つ魔の力・鍛えられた躯・目の輝きを見れば、深い雪にも強い風にも打ち勝って、まだ誰の手にも触れられていない素晴しい石を見つけてくるかも知れない。
そして、その石を売ったお金で、エリザのために立派な家を建てることができるかも知れない。
エリザを幸せにしてあげられるだろう。
だが、霊山には人の力を越えた自然の厳しさもあるのだ。
春一番の風にさらわれ、サリサの父は霊山から戻らなかった。愛する人を失った家族の悲しみは、今もサリサを傷つける。
その事を思えば、最高神官として当然の判断だった。
だが……。
予知夢が、サリサを惑わせた。
「エリザ……癒しの巫女との結婚に反対して……ではありませんね?」
軽く、そのようなつまらないことを、と言おうとして詰まった。
夢では……。
動揺し、インク壷を倒してしまった。
それで、ラウルに自分の想いをすべて見抜かれ……。
――エリザを幸せにできるのはあなたではありません。
私です。許可を願います。
エリザの唯一の男となることを……。
「サリサ・メル様?」
返事をしないサリサにしびれを切らしたのか、ラウルが再び声を掛けた。
サリサは、はっとした。
インク壷は、かつて固定してあった。だが、前回、ラウルが来た時に八つ当たりし、今は固定されていない。
サリサは、必死に心を落ち着けた。
一瞬、親指の爪を口元に運びそうになったが、再び引っ込めた。
「……そこまで了見が狭いと思われているのは……心外です」
心外と最高神官に言われてしまい、ラウルは再び頭を下げ、かしこまった。
「巫女姫であった者の幸せに、なぜ、反対しなければならないのです? むしろ、私は喜んでいます」
心が割けてしないそうな言葉だったが、サリサは冷静を装った。
「ラウル。あなたとエリザには、幸せになって欲しい。だからこそ、今、この時期に山に入る危険を冒しては欲しくないのです」
まさか、最高神官がこのようなことを言うとは思っていなかったのだろう。ラウルは、かしこまったまま、震えていた。
「エリザを幸せにするために、どうしても今、石が必要なのです」
ラウルの真剣な言葉に、サリサはめまいすらおぼえた。
あまりにまっすぐで、純粋で……。
ゆえに、ますますサリサは取り繕った。
「あなたたちの幸せに必要な許可であるならば、拒むつもりなどありません。あなたは、エリザにふさわしい立派な採石師ですから」
なぜ、このようなことを言っているのだろう? サリサは困惑しながらも、紙のようなムテ人らしい微笑みをたたえていた。
「けして無謀なことをして、エリザを泣かせることのないよう。誓っていただけるなら、お二人のために、私は許可します」
差し出したサリサの手は震えていた。
だが、ラウルのほうがもっと震えていた。
「誓います。必ず、エリザを幸せにすると……」
そう言うと、ラウルはサリサの手を取り、口づけした。
ラウルは、すっかり舞い上がっていた。
てっきり、最高神官もエリザに好意を寄せていて、彼女を離さないのだと思っていた。
そして、エリザに対する最高神官の態度を、彼女に愛されているゆとりと思い込んでいた。神々しいまでの微笑みに、苛々していたのだ。
だが、やはり、最高神官はそのような感情に左右されるような個人ではない。姉のララァの言う通り、恋敵扱いをするラウルのほうがおかしかったのだ。
最高神官直々に、エリザの幸せを誓った。
最高神官も祝福してくれた。
それは、結婚よりも重い婚約だった。
一方。
喜び勇んで山を下りて行くラウルを、サリサは呆然と見送っていた。
また、あの男の前で見栄をはってしまった……。
しかも、自分自身の気持ちを見抜かれたくないあまりに、二人の結婚を祝福してしまった。最高神官として。
馬鹿である。本当に大馬鹿である。
あきれ果てて、何にも八つ当たりもできない。動くことさえできない。
こうなることは、夢見でわかっていたことだが、これでは戦う前に敗北宣言ではないか? サリサは自分にあきれてしまった。
だが……。
ラウルは、残念ながら、良い人である。
ムテとしての力も強いし、何よりも心からエリザを愛している。おそらく、エオルも彼に会ったら、諸手をあげて結婚に賛同するだろう。
エリザは、きっと幸せになる――と思ったら、ますます気力が萎えてしまった。
立っているのも辛くなり、よろっと柱にもたれかかった。
「サリサ様?」
仕え人に声を掛けられても、唖然としたままである。
「慎重すぎるほど慎重のサリサ様にしては珍しいですね。この時期に採石をお許しになるとは……」
どきっとした。
慎重すぎる――確かに、サリサは慎重すぎる。採石師から陳情が来るほどである。
だが、そのおかげで、サリサが最高神官になってから、山で命を落とした採石師はいないのだ。
「ラ……ラウルは……充分に力のある採石師です。無謀なことさえしなければ、何の問題もありません」
そう……。無謀なことさえしなければ。
だが、サリサは不安になった。
エリザのことが無ければ、絶対にラウルに採石許可を出さなかった。
そう思うと、嫌な予感がした。
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