祈りの儀式・6


 エリザが列の最後方について、しばらくしてから、ゆっくりとラウルが近寄ってきた。

 彼の表情を見れば、エリザの行動にまだ納得したわけではないのが、見て取れる。

 それでも、エリザと並んで列に加わるところをみると、理解しようとは思っているのだろう。

「あなたの行いは正しいと思う。でも、これでクールに、また嫌がらせのネタを提供したと思う」

 やや困ったような顔をして、ラウルがため息をついた。

 ジュエルに対する噂のもとは、どう考えてもクールだ。エリザが最後方に回った行為も、善意よりも逃げと受け取られるだろう。

 エリザは、どうもそういった駆け引きを考えず、ただ、その場その場の親切、もしくはおせっかいで動いてしまうところがある。

「ごめんね、ラウル」

「いや……まぁ、それもあなたらしいというか……そこがいいというか……」

 ラウルは、頭をかいた。

「そういうエリザだから、放っておけないっていうか……」


 列は思いのほか、早く進んだ。

 クールが急がせているに違いない。だが、エリザとの約束通り、パンが無くなるまでは、この儀式は続けられるようだ。

 ついに、エリザは先ほどの位置までたどり着き、さらに祈り所の奥へと進んだ。

 祈り所には、たくさんの神官が控えていた。それに、一般の名士たちも混じり、最高神官と巫女姫の祝福を見守っていた。

 祈り所の壁は払われていたが、エリザはその空気に圧倒された。明らかに、神官たちの目は、エリザと神官の子供であるジュエルに注がれている。

 かつて、彼らの目はエリザの巫女姫たる素養を計り尽くそうと注がれたものだった。その時も、エリザは恐ろしかったが、フィニエルに教わったように背をしゃきんと伸ばし、サリサのためにもがんばって乗り切ったのだ。

 だが、今、彼らの評価の対象は、エリザではなくジュエルなのだ。

 黒い髪と青い目は、いくらエリザが布で隠そうとしても、神官たちは悟るだろう。名士たちの耳にも、一の村の神官の子供の噂は届いているかも知れない。

 ぞくっとした。

 思わずよろめいたエリザの肩を、ラウルが支えた。その瞬間――。

 エリザは、最高神官と目があった。

 思わず堅くなった。それは、肩にも現れて、ラウルに伝わったのだろう。彼は、耳元で囁いた。

「エリザ? 大丈夫か?」


 とても大丈夫ではなかった。

 泣きたくなってしまった。 


 久しぶりに会う最高神官は、年に一度しか身につけない特別な衣装に身を包んでいた。

 キラキラと輝くサークレットは、時々いたずらに落ちる髪をしっかりと留め、サリサの美しい額をはっきりと際立たせていた。銀の結界は、衣装に散りばめられた金銀の糸と金剛石のおかげで、ますます輝いていた。

 目が合った瞬間、ふと、彼は不思議そうな顔を見せたが、すぐに微笑んだ。

 まさに、神々しいまでの存在だった。

 が、その隣には、同じ意匠をこらした聖装の巫女姫がいた。最高神官の視線をたどるように、エリザのほうを見た。

 かすかな敵意を感じた。

 思わず慌てて頭を垂れた。

「さあ、エリザ。前に行こう」

 列は、どんどん進んでいた。ラウルに支えられるようにして、エリザは恐る恐る前へと進んだ。

 巫女姫の視線が、自分の中の邪心を探っているように感じて、エリザは震えた。


 ――並んでいるお二人から、とてもパンを受け取れないわ。


 今となっては、皆のためを思って順番を譲ったのか、逃げ出したくて譲ったのか、エリザはわからなくなっていた。

 祈り所での夜の、あの冷たさが再びエリザを襲った。だが……。

「大丈夫だから。エリザ、さあ……」

 肩を抱くラウルの手が温かかった。

 エリザは、もう一度、顔を上げ、前に進もうとした。

「ああ、たった今、パンが無くなりました。お待ちになっていた皆さん、これで祝福はおしまいです」

 係員の声が響いた。

 あたりは、ガッカリのため息に包まれた。

 と、同時に、エリザの肩の力も、すっと抜けるような気がした。

 最高神官と巫女姫は、手をつないでそっと会釈をしてしてみせた。それは、祝福できなかった者への挨拶である。

 そして、そのまま裏手へと消え、外で待つ輿に乗り、霊山へと戻って行くのだ。

 エリザは、この時になってはじめて、自らの一歩を進めていた。


 ――祝福を受けるべきだった……。

 新しいエリザとして、敬愛する最高神官と向かい合えないのは……逃げだわ。


 ラウルも、そう思ったからこそ、最高神官に会うべきだと言ってくれたのだろう。

 結局、誤解だと連呼しても、誤解を生むような態度しか、取れない自分がいるのだから。

 思わずすがるような目をして、最高神官を見てしまった。

 一瞬、確かに目が合った。だが、最高神官はすぐに手をとった巫女姫を見、そして何か言葉を交わした。

 遠目に巫女姫がうつむくのがわかった。最高神官の繋がれていないほうの手が、軽く巫女姫の腕に触れたのが見え、エリザはますます落ち込んだ。

 だが、次の瞬間、二人の手は離れ、巫女姫が軽く会釈をして、一人で裏手に去って行くのが見えた。

 逆に、最高神官のほうは、台の上からゆっくりと降りてきて、下に控えていたクールと言葉をかわしている。クールは、なにやらぎょっとした顔をした。

 あたりが、ややざわつき出した。

「お静かに! 最高神官サリサ・メル様は、霊山にお戻りになる前に、皆さんにもっと恩恵をお配りしたいと……」

 クールが慌てて説明した。

 そう言っている間にも、最高神官は並んでいる人の横をゆっくりと歩き始めていた。銀の輝きが、人々に届くほど近くを……である。

 これほどまでに間近で最高神官を拝むなど、一般人にはない。人々は、慌てて跪き、胸に手を当てて最高神官に敬意を示した。

 エリザも慌ててジュエルを抱いたまま、跪いた。ラウルも横で跪いた。

 最高神官は、ぐるぐると人の中を縫うようにして進み、パンをもらい損ねた人々も、ありがたそうにそれを眺めたのだった。

 エリザの前で、銀色の影が止まった。絹の衣装の裾が見えた時、エリザは恐る恐る頭を上げた。

 人の間をゆっくりと歩きながらも、サリサは言葉を一人一人に掛けることはなかった。だが、エリザには言葉を掛けたのである。

「体調はもうよいのですか? どうぞ、無理をせずお大事に。あなたは、大切な神官の子供の母でもあるのですから」

 その言葉に、まわりから「おお……」という低い声があがった。

 サリサの言葉は、たったそれだけだったが、控えている多くの神官や一般の名士たちの耳に、強く残ったのである。


 祈り所の出来事は、たったそれだけのことである。

 その後、最高神官はゆっくりと裏手に消えて行き、巫女姫と輿を並べて霊山へと去って行った。

 エリザは、かなり長い時間、ぼうっとしたまま膝をついていた。

 だが、見知らぬ人から「あなたが一の村の癒しの巫女ですね」と、声を掛けられ「この子が神官のお子なのですね」と、ありがたがれた。そして、多くの人々から「お大事に」や「無理をなさらず」と、優しい声を掛けられた。

 列を譲ったことで、この場にいる一般人から良い印象をもたれていたこともあって、エリザは去り行く人々から、おおいにねぎらいを受けたのだ。

 祈りの儀式に不参加だった癒しの巫女に、子供が不義の子だからでは? という勘ぐりも確かにあった。体調不良を疑う声もあったのだ。

 だが、最高神官自らがねぎらいの言葉を掛け、ジュエルを神官の子供と認める発言をしたのだから、誰も疑いようがない。

 やや不満そうな顔のクール・ベヌを見て、やっとエリザはこの儀式が自分とジュエルに有利に働いたことを実感した。

 エリザは、やっとほっとすることが出来た。

 だが、どういうわけか、あれほどエリザを引っ張り回したラウルのほうは、対照的に押し黙り、家に帰り着くまで、一言も口を利かなかった。

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