祈りの儀式・5


 ついに、祈りの儀式の最終日となった。

 この日は、今までの荘厳な雰囲気とは違う砕けた行事となる。

 祈り所の中に一般人も招き入れ、最高神官と巫女姫が、並んで人々にパンを授けるのである。

 直接声を掛けられることはないが、間近で尊い人に会える。それは長蛇の列になるのだった。朝から夕まで掛かってしまうのだ。

 そして、その後、最高神官と巫女姫は、仲良く輿を並べて霊山へ帰ってゆく。


 エリザは、自分の臆病さにため息をつきながらも、その日も家に籠っていた。

 だが、お粥の朝ご飯を食べている時に、いきなりラウルがやってきた。

 匙を持ったまま出ると。

「エリザ! 今日は祈り所に行こう。そして、最高神官の恩恵を受けてこよう!」

 ラウルは強引なところがある。

「……でも、私。まだ、体調がよくなくて……」

「だから、最高神官の恩恵を受ければ、よくなるって!」

 最高神官は癒しを行わない。

 エリザは臆していた。

「いえ……行かない」

「いや、行くんだ! 今から並ばないと、人数制限で打ち切られてしまう」

 ラウルは無理矢理エリザを引っ張り出した。

「嫌! 嫌だってば!」

 エリザが腕を払うと、ラウルは立ち止まった。

「あ、そうだった。ジュエルも連れていかないと」


 ラウルはエリザを連れ出した。

 完全に腕を組み、逃げられない状態である。エリザは仕方がなく、ラウルと並んで祈り所の道に向かった。

 ラウルも普段着なら、エリザも普段着だった。顔は少しむくんだままで、髪さえまだ梳かしていない。

 人々がぎっしりで、エリザは震えた。

 他人の目が、突き刺さるように感じる。初日、いきなり儀式にでないことにしてしまったため、逆に目立ってしまったのだ。

 今や、ジュエルを人前にさらすのは、以前にも増して怖いことのように思える。

「……ラウル。私、やっぱりダメ……」

 だが、こういう時のラウルは強引で、折れることがない。

「大丈夫。僕がついているから」

 エリザはジュエルを抱きしめたまま、ラウルに引っ張られて列に並んだ。


 ――会いたくない。


 エリザは、巫女姫と並ぶ最高神官の姿を見たくなかった。

 ジュエルのためを思えば……と思うのだが、それも怖かった。

 結局、エリザは弱虫だった。

「エリザは強いよ。弱くなんかない。だから、ちゃんと最高神官に会えるはずだ」

 気持ちを読んだのか、ラウルが耳元で囁いた。

 ラウルは残酷だと思う。

 列はだんだんと前に進み、ついに祈り所の石段にさしかかった。

 屋根や壁が開かれた祈り所は、今や明るい空間だった。エリザの位置からも、パンを受け取る人たちの様子が見えた。だが、エリザは縮こまり、顔を低くしたままだった。

 以前、エリザもあの位置にいた。そして、サリサと共に、大勢の人にパンを分け与え、祝福を与えたのだ。

 だが、その思い出も、今や苦いものとなり、エリザを苦しめる。


 ――私……だめ。


 間違いなく最高神官の目がエリザに向いた時、思わず逃げ出しかけていた。

 だが、がっちりとラウルが押さえ込んでいた。

「エリザ。ここで逃げたら、ずっと逃げ続けることになる。だから乗り越えよう。僕がついているから」

 それは、奇しくも最高神官の言葉と同じ。エリザは、震えながらもラウルの真剣な目を見つめていた。

 そんな中……。

「はい、ここまでです」

 クールが、エリザの前で手を振り下ろした。

「え? 何が?」

 ラウルが眉をしかめた。

「だから、最高神官と巫女姫のパン配りですよ。並んでいる全員に配っていたら、いつ終わる事やら。そんなご負担をお二人にかけられませんから」

「馬鹿な! まだ時間はある」

 ラウルは怒鳴った。

 クールが、明らかに意地悪しているのがわかる。

 彼はいまだに家のことを根に持ち、エリザとラウルを目の敵にしているのだ。

「ええ、でも、この辺で打ち止めしておかないと。なんでも、巫女姫様はご懐妊って話ですしね。無理をさせられません。ほら、以前のように巫女姫ひとりが山に戻ってしまい、最高神官が遅くまでご奉仕する……なんて事態は避けたいわけでして」

 それは、明らかにエリザがマリを救った時のことを言っている。

 大切な儀式に異例な事態を引き起こしたことは、主催している一の村にとっても避けたかったことなのだ。

 その時も取り仕切っていたクールは、エリザに恥をかかされたと思っていたのだろう。彼は、いやらしい笑いを浮かべた。

「ねえ、エリザ様もそう思うでしょう?」

 そこには、「いいえ」などと言わせない気迫すらあった。


 エリザは蒼白な顔をしたまま、呆然としていた。

 心臓も止まってしまいそうな出来事から、脱却できそう……。

 安堵感と、その正反対の喪失感。

 両方が同時に沸き上がってきて、エリザを真っ白にしていた。

 ところが。


「ちょ、ちょっと待ってください! クール・ベヌ様! 私たち、朝からここで待っているのに、祝福を受けられないのですか?」

 声は、一の村では見かけない顔の女性だった。

 その声につられるようにして、回りがざわめいた。

「ああ、そうですよ! 私もこの日のために、村を代表してやってきたんだ! どうにかお願いしますよ!」

 男の声も響いた。

 その声に勇気をもらったのか、別の人々も口々に言い出した。

「私も、やっと今回来れることになって……」

「やっと貯めた路銀で……」

「あなたたち! 最高神官の前で無礼だとは思わないのですか!」

 クールの声が、冷たく響いた。


 エリザは、ふと、自分の後ろを振り向いてみた。

 自分のことばかり気になっていて、他にどれだけ人がいるのか、気がつかなかった。

 人の波は、石段の一番上にいるエリザから始まって、ずっと向こうまで続いていた。最後尾の人は、顔もよくわからないほど小さかった。

 前を見ても、最高神官とエリザの間には、たくさんの人がいる。

 確かに、この人々すべてにパンを施していたら、時間が……いや、パンも足りないだろう。

 だが、この後ろに並んでいる人たちは、遠くからこの日のために時間と都合をつけて、なれない馬車で揺られてきた人がほとんどだ。近隣の人々のように、朝一番では並ばべないような……。

 エリザの中に、なぜか不思議な力が湧いてきた。ジュエルを一度、ぎゅっと抱きしめると、エリザはすくっとクールを見つめた。

「クール様、私、最後尾に回ります。ですから、せめてパンが無くなるまで、この人たちに祝福を……」

「エリザ!」

 ラウルが驚いて声をあげた。

 だが、エリザにもう迷いはなかった。

「ごめんなさい。ラウル。せっかく朝早くに連れてきてくれたのに。でも、私は一の村の癒しの巫女。年に一回、会おうと思えば最高神官に会えるわ。でも、この人たちは、一生に一度のチャンスかも知れないのよ?」

 ラウルは無言だった。何度か唇が揺れたが、言葉は出てこなかった。

「クール様、いいですわね?」

「……そんな、また、勝手なことが……」

 エリザは、難色を示すクールを睨みつけた。

「このパンの費用はどこからでていますの? 無駄にするのですか?」

 自分の寄付金で……だなんて、胸を張るつもりはなかった。だが、知らないうちに口から言葉が飛び出していて、エリザは自分でも驚いていた。

「いや、まあ、そりゃそうですがね……」

 クールは、苦々しく答えた。だが、その間にも、エリザは石段を降り、最後尾へと歩き出していた。

 ジュエルへの恐怖よりもエリザへの感謝が勝ったのだろう。何人かの人が、エリザの手を握ったり、腕を叩いたり、言葉をかけたりして、感謝を示してくれた。

 その様子を見て、クールはブツブツ言いながらも、わかりましたよ……とつぶやき、その場を去っていった。

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