祈りの儀式・4


 広場に面しているエリザの家は、扉を閉めるまで、巫女姫行進のざわめきの中にあった。

「やっぱり具合が悪かったんだろ? 無理をしていたんだな?」

 ラウルはエリザをベッドに横にすると、濡れタオルを持ってきて汚れを拭き取った。だが、せっかくの絹の衣装はもう着れないだろう。それに、ラウルの晴れ着も汚れた。

「……ごめんね。ラウル。巫女姫、見れなかったのね……」

「いや、少し見た。でも、美女ではなかった」

 ラウルは、エリザの衣装を少しだけ緩めた。そして、ぐるぐる巻きになったジュエルを、あきれながらもほどいてあげた。

「何か、あったのか?」

 ラウルは聞いたが、すぐに言い直した。

「……いや、別に言わなくてもいい」

 だが、エリザは泣きながら、ふっ……とため息をついた。

「……どろどろとした川が……」

「川?」

 もう渡り切ったはずの赤い大河。

 祈り所の闇を思い出すと、エリザはその対岸に引き戻される。

「そこはドロドロしていて、とても汚い所で。もがいても、もがいても……渡りきれないの。どうしても越えられないの」

 ラウルは、エリザの額に手を当てた。

「……熱があるんだ。だから……」

 エリザはうなされたように続けた。

「私は、いつもそこで溺れて。いつも汚れていくから……きれいにしなくちゃ」

「エリザはきれいだよ」

「私、こんな私を見られたくない。見たくない……」

 ぽろぽろと涙。

 ラウルは、そっとエリザの手を握った。

「……薬湯を入れてくる」

 ラウルは微笑み、手を離した。



 祈りの儀式の二日目は、最高神官の行進がある。

 そして、この日こそが壮大な祈りの儀式の本番となる。

 だが、エリザは体調不良を理由に、参加を見合わせた。微熱は収まらず、とてもジュエルを抱いて、祈り所までは行けなかった。

 もう一度、サリサの手紙を読み返してみた。


 怖がらないで……。

 ――怖い。


 ジュエルのことが怖いのではない。

 エリザは、この手紙を読んだ時、まるで少女時代の憧れのように、サリサに会えることを楽しみにしてしまったのだ。

 一番いい服を引っ張り出して、少しでもきれいに見せたかったのは、サリサに会えるからだった。そして、まるで自分が祈りの儀式の主人公になったような気分を、どこかで持ってしまった。

 手を取り合って、二人でひとつになって、恩恵を分け与えたあの日のように……。


「馬鹿みたい」

 

 なぜ、あの祈り所の闇を一瞬忘れてしまったのか、わからない。

 もう、傷つかないようにしないと、生きていけないのに。

「私って、本当に愚かだわ。どうして自分だけ特別だと思い込んでしまうのかしら?」

 何度も何度も言い聞かせていることを、エリザは再び言い聞かせた。

 ちゃんと納得していれば、ミキアの隣にいても、サリサの子供たちに囲まれても平気なはずだった。

 そして、新しい巫女姫と最高神官が、手をつなぎ、心を通いあわせても……。

 と、思った瞬間に、再び吐き気がした。

「だめ……。こんなきたない私を見られたくない……」

 エリザは、家の外のざわめきを聞きながら、ベッドの上でうつぶせになって泣いた。


 やがて、人の歓声が大きくなった。

 はっとして飛び起きた。

 おそらく、最高神官が家の前を通ったのだろう。

 エリザはあわてて窓から外を見た。

 が……。

 見えたのは、人垣だけだった。

 最高神官の行進を、エリザは見たことが無かった。

 巫女姫時代は待つだけで、その歓喜の外にいた。そして、今は……。

 とても、見る勇気がなかった。

 その手が、別の巫女姫と力を合わせるのかと思えば。


 結局、エリザはその夜もベッドの中でただ震え、闇の中で泣くだけだった。

 それは、あの辛い夜とまったく変わらない惨めな夜。

 外では、大満月の輝かしい光が、ムテの人々を照らしていた。

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