恋争い・6
翌朝、日が昇る前に、エリザは目覚めた。
ラウルは、もうすでに起き出して、膝をついて山を見ていた。それが、採石師の朝の祈りだと、エリザはすぐに気がついた。
まだ、顔を洗っていない。祈りの準備はできていない。それでも祈りをさぼるわけにもいかず、エリザは慌てて簡単に済ませ、ラウルの横に膝をついて座った。
陽が上った。
山に光が当たり、燦然と輝きだした。
祈り始めて、エリザはすぐに不思議な感覚に囚われた。
ここは、エリザが知っている中で、光にもっとも近い場所である。ということは、祈りの力も強く働く。
この祈りを自身の結界として活用する。優秀な採石師は、祈りの力も強い。故に、誰もが立ち入ることのできない山頂部まで、入山が許されているのだ。
ラウルを横目でちらりと見ながら、エリザは彼がどれほど優れた採石師であるかを見て取った。
――元巫女姫……と言ったところで、私の祈りは本当に弱いんだわ。
ラウルにもらった水晶のおかげで、かろうじて人並みを保っている程度なのだ。
ラウルが立ち上がったところで、エリザも祈りをやめた。
だが、その時――。
「ああああ!」
思わず言葉をあげてしまった。
山に大きな光の玉が浮かんでいた。
あたりから、光をどんどん集め、ますます大きく膨らんでゆく。
そして、あたりを白く輝かせたとたん。さあっと山を滑り落ちるように、飛んでいってしまった。
エリザは、それが何なのかよく知っていた。だが、生まれたてのそれを見るのははじめてだった。
霊山の自然の力。太陽の光。空気。
すべては、本来ばらばらの力しかなく、ムテの人々のために生み出されたものでもない。まさに、神の領域の力だ。
だが、祈り――という業で、その力を操る者がいる。
それこそ、ムテの最高神官である。彼は、この力をとりまとめ、ムテに恩恵として与える、まさに神のごとき存在なのだ。
よく知っているはずだったが、圧倒的な力を目の前にして、エリザは恐ろしくさえ感じた。
「すごい……と思う。本当に、あの方は、人にあらず……」
エリザのかわりに、ラウルが呟いていた。
軽い朝食を済ませたあと、エリザとラウルは、氷河の脇に移動した。
てっきり氷河に降りるのかと思っていたが、ラウルがそれを許さなかった。
「あそこには、深い亀裂があってね。落ちたら助からない。無謀なことをするべからず……が、採石の鉄則だ。こっちだ」
ラウルが向かった先に、小さな洞窟があった。
かつて、氷が流れていた穴である。だが、そこは既に人の手が入っているのは明らかで、掘り進んだ痕跡があった。
もう掘り尽くされ、捨てられた坑道だった。
「こんなところで、石が見つかるの?」
エリザは思わず呟いていた。
「価値ある石を見つけようとする採石師は、ここで採掘することはない。でも、ビーズにするほどの小さな紅玉なら、ここで充分に集められるさ」
洞窟に足を踏み入れたとたん、エリザの足下が緩んで崩れた。
「ひゃっ!」
思わず転んでしまった。
ラウルは、助け起こしながらも笑い出していた。
「でも、冒険にもあなたにはここで充分すぎるみたいだ」
「ひ、ひどい……」
その役立たずを無理矢理誘ったのは、ラウルのほうではないか? エリザはむくれた。
ところが、ラウルのほうの笑い声は、急に止まってしまった。彼は、じっとエリザの足下を見て、コツコツとつるはしで叩きだした。
「まさか……こんな近くで?」
ラウルは、しゃがみ込むと、ランタンをかざした。
「え? 何? 何なの?」
「紅玉だよ。とても小さいけれど……。まさに、足下だなぁ。信じられない」
ラウルの声は、感嘆というよりあきれていた。
「エリザの……おかげかもな」
そういいつつ、彼は、足下をもうひと叩きした。
思いのほか、簡単に紅玉が見つかった。
が、その採掘作業は大変だった。まず、エリザには石ころと紅玉の区別がつかなかった。
磨かれない原石は、光に当てるとかすかに赤く透き通って見える。だが、何度も光に当てては、違う、違う……を繰り返していると、目がおかしくなってきてしまう。
それに、ここの石はさすがに誰もが見向きもしないだけあって、小さく見つけにくかった。
「どうせビーズに加工するんだから、小さくてもいいんだ」
ラウルはそう言うが、ムテは大きくて力のある石を好む。そして、あまり加工を望まない。エリザがもらったような細工は、あまり、ムテではしている者がいない。
こんなに素晴しいのに、もったいない……とエリザは思う。
「小さい石でも力を引き出せるのでは? と思って、学び舎で細工を研究した。変わり者って言われたけれどね」
「変わり者? そうかしら? 力もあるし、きれいだし……私は、いいと思うんだけれど」
「リューマやウーレンでは、装飾品として扱われるだろ? だから、祈りにふさわしくないと考える神官が多いんだ。でも、それでもかまわない」
「どうして?」
「僕は、細工よりも採石のほうが好きなんだ。この足で高い山に上ってね、大きな力のある石を掘り出す。まさに冒険だ。それが、採石師の本来の仕事だ」
確かに、そのほうがラウルには似合いそうだった。
つるはしをふるいながら、汗を拭くラウルの姿を、エリザは手を休めて見つめた。そして、自分の首に掛かる首飾りに手をあてた。
これらの宝玉は、ひとつひとつは小さく力が弱い。だが、ラウルの手に掛かると、寄り集まって力を発するようになる。
ラウルは、大きな石を得る能力があるのに、小さな屑のような石さえも大事にする。
「ラウルって……優しいのね」
とたんにつるはしが空振りした。
「と、突然、馬鹿言うな!」
エリザはくすくすと笑った。
「馬鹿じゃなくて……。ほら、強い人って、弱い者のことを考えないことがあるじゃない? ラウルには、そういうところがないもの」
「それって……嫌みか?」
山登りの間、ラウルは確かにエリザを甘やかせることがなかった。慣れない仕事でも、エリザが音を上げない限り、とことんやらせた。
エリザにとっては、大変きわまりない二日間だったのだ。
「ううん、そうじゃなくってね。私のことだって、一生懸命考えてくれていると思う」
エリザが選り分けた石は、どうにか、細工できる量になっていた。確かにエリザにとって、大変な作業だった。
だが、ラウルのほうがもっと大変だっただろう。それに、他の採石師ならば見向きもしない仕事なのだ。
この山登りは、エリザのためだけにある。
「ねぇ、ラウル。今日で切り上げて、一の村に帰りたい……」
ラウルはエリザの言葉に動揺したようだった。
「え? 疲れてしまった? きつすぎたか?」
エリザはうつむいた。
「ううん、私……。ラウルのおかげで、すっきりしたような気がする。でもね……私、この宝玉を見ていたら、早くジュエルの顔を見たくなってしまったの」
ジュエルを見るたびに、不安に陥り、時に消えてしまいたくもなった。ジュエルを殺して自分も死にたい、とさえ思ったことがある。
至らない子供だと、憎く思ったりもした。どうしても愛情がひっくり返ってしまう。その度に、エリザは泣いた。
山は、色々大変すぎて、ジュエルのことを忘れさせてくれた。気が狂いそうなくらいの不安や悩みに没頭する時間はなかった。
だが、エリザの現実はジュエルとある。ジュエルを抜きにして、エリザはありえなかった。
山の空気に触れて、今、再び、ジュエルへの愛が清められたような気がした。
ラウルはしばらくエリザの顔を見ていたが、やがて小さく言った。
「そうか」
「うん」
「……大丈夫なら……そうするか。今から降りれば、夕方までに帰れる」
ラウルは、荷物をまとめ始めた。
エリザは、ラウルにジュエルの悩みを打ち明けたことがない。
だが、彼なりに、どうしたらエリザのためになれるのか、必死に考えてくれたのだと思う。
エリザには、今回の山登りにラウルが誘ったわけが、何となくわかったのだ。
そして、目的は遂げられたと思う。
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