恋争い

恋争い・1


 夏が来た。


 日の出とともに、エリザは朝の祈りに入る。

 それが朝の日課だった。

 熱心な者は祈り所まで足を運ぶが、ジュエルを人中に連れて行きたくないエリザは、家で窓を開けて祈った。

 朝日が窓に掛かるまで陽に祈り、その後、霊山に向かって祈る。

「サリサ・メル様が健やかでありますことを……」


 ――あなたこそ……。


 霊山から流れ出す気は、いつもエリザを優しく包む。

 たとえ、全く会えないとしても。

 朝夕に祈るたび、エリザは最高神官を強く感じるのだった。

 今、この時間、別の場所ではあるが、同じようにお互いを思っているような気がして、エリザはいつも勇気づけられた。

 ところが。

 困ったことに、この甘美な時間には、よく邪魔が入る。

 ハイハイするようになったジュエルは、時々祈りのために跪くエリザの前やら後ろやらを這い回り、しかも、銀色の髪をひっぱたりした。

 おかげでエリザは時々涙を流しながら、痛たた……を挿んで祈ることもしばしばだった。

 ベッドに押し込んでも、手足をばたばた、這い回りたいのか時に泣き出す。

 当然、祈りは集中力の散漫な意味ないものになった。


 子供の成長は、母親にとってうれしいことである。

 だが、エリザにはあまり喜べない。時々、言いようもない不安に襲われるのだ。

 エリザの長い髪を伝って、ジュエルは時々立ち上がることさえできるようになった。これは、ムテとしては異常な成長の早さである。

 ジュエルが『老いたる人』ではないか? という疑いは、霊山にいたときから思っていた。それがますます加速している。

 この調子で成長してしまうと三十年もすれば老いの兆候が現れ、五十年もすれば皺だらけとなり、百年も生きられないだろう。

 学び舎に入っても、勉学を積む前に旅立つのではないだろうか?

 菓子を一の村に売りにくるリリィが「マリも成長が早かったわ」と言ってくれたが、エリザは素直に相談できなかった。

 どうも、あのカシュとの喧嘩以来、リリィとは少しだけぎこちない関係になってしまった。さらに、マリに家を飛び出されてから、ますますあの家族とは疎遠になっていた。

 ジュエルの成長に従って、エリザは何かを失ってゆくような不安を感じる。

 特に、何の気兼ねもなく話ができる人が、回りからどんどん減ってゆくような気がした。


 ……私、一人になってゆくみたい。

 いいえ、気のせいよ。


 さらに、エリザの不安に油を注いだのは、ある知らせである。

 数日前、兄の手紙が届き、エリザを落ち込ませた。

 ヴィラが無事、女児を出産したという。

 エリザは、うれしいという気持ちの前に、不安に苛まれた。

 いっしょに子育てできるはずの姉が、まだ身重だったことに、エリザは衝撃を受けていた。だが、出産が遅れているのだと言い聞かせた。

 それが、今、この時期に、無事、予定通り……とは、何かがおかしい。

「なぜ? 今頃の出産なの?」

 そう思いつつ、エリザにはわかっていた。

 おかしいのはジュエルのほうなのだ。


 ――ジュエルは、ムテの子供よりも倍早く生まれ、倍早く老いてゆく。


 その不安を相談できる者はいない。

 ララァにもラウルにも、相談できない。

 二人とも、ジュエルのおかしさを充分認識してつきあってくれている。だが、それは気がつかないふりに等しく、触れないようにしているのだ。

 エリザだって、ジュエルが変わっていて、ムテにとってあまり気持ちのいい存在でないことぐらい、よく知っている。

 一の村の人たちは、ララァたちのように気がつかないふりをするか、完全に存在に気がつかないか(おそらく最高神官の結界のせいと思われる)、腫れ物に触れぬよう模様眺めしているのだ。

 だから、エリザはジュエルを人前に連れて行かぬよう、目立たぬよう、気をつけている。エリザ自身も、ジュエルに向かってくる人々の気が恐かった。

 だが、ジュエルは手足を激しく動かすようになり、以前よりも目立つようになった。採石袋に入れて背負っても、手や足、頭を出すようになり、隠すことはできない。

 すでに、村には悪い噂を立てる輩も出始めている。

 エリザが村に受け入れられ、つきあいが広がれば広がるだけ、味方も増えれば敵も増える。比例してジュエルの存在が問題になってしまうのだ。

 さらに自ら我が子のおかしなところを『相談』と称して吹聴して歩くほど、愚かしいことはないだろう。


 ただ唯一、打ち明けられるとしたら……。


 エリザは、机の引き出しから手紙を出した。

 正式な封蝋ではないが、最高神官の小さな印が押してある。

『ジュエルのことで困ったことがあったら、何でも相談してください』

 あの日、別れ際に言った言葉が、そのまま手紙にも書かれていた。

 迷惑をかけてはいけないと思い、短めの手紙しか書かなかったエリザだった。だが、最高神官の返事は、必ずその倍の長さになった。だから、ついつい、エリザの返事も長くなってしまい、今では普通に文通のような状態になっている。


 ――これって、特別? 


 と思い悩んだこともあったが、兄の手紙に「シェールも最高神官と文通しているようだ」とあり、ガッカリ……いや、ほっとして、長い手紙が書けるようになった。

 エリザは、先日、ジュエルが老いたる人ではないか? と不安に思う……と、つい手紙に書いてしまった。

 それに対する最高神官の返事はまだ届かず、ドキドキする日々を送っていた。

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