「喪失学 『ロス後』をどう生きるか?」坂口幸弘 光文社新書


人は生まれた瞬間から、「喪失」を経験する。初めの喪失体験とは、心地よい母胎からの喪失であり原始の母なる子宮からの喪失である。そこから、私たちの人としての歩みは始まっていくのだ。

喪失の定義とは、そのまま「失くす」ことである。本書で扱う喪失は、例えばメモを紛失したという軽微な喪失ではなく心身に重大な影響を与える喪失を指す。アメリカの社会心理学者ジョン・H・ハーヴェイは重大な喪失の定義として「人が生活の中で感情的に投資しているなにかを失うことである」と定義している。感情的投資という言葉がキーワードである。個人的に強い思い入れのある何かを失うことが、喪失なのである。

また精神分析学においては、親離れ、子離れ、愛着や依存、自己愛の対象を失う体験は対象喪失とも言われる。ここで失われるものは、意識的、無意識的に自分にとって大切なもの、慣れ親しんだものとして心にあるもの、自分の一部のように思っているものであるとされる。

喪失されるものは、大きく「人物」「所有物」「環境」「身体の一部」「目標や自己イメージ」の5つに分類される。



なぜ、今「喪失」について考えるのだろうか。人はさまざまなものを失いながら生きていかざるをえない。先述した5つの分類に合わせてみれば、子離れ、親離れ、あるいは親しい友人や恋人との別離から始まり、資産の喪失、引っ越しなどでの環境の喪失、病や怪我による身体の喪失、挫折などによる目標や自己イメージの喪失。このどれもが、誰の人生にも起こりうる出来事である。だが、喪失というものについて私たちはネガティヴなイメージをしか抱けていない。確かに喪失は、私たちの心身に深刻なダメージを与える。その一方で喪失体験は、人間的な成長を促す作用があることもわかっている。喪失体験が成長といった、良い方向への変化は「心的外傷後成長」と呼ばれる。こうした成長の一つの領域として「人間としての強さ」が挙げられる。喪失に向き合い、苦闘する中で自分の弱さを知る中で以前よりも強くなった自分を感じられるようにもなるのだ。こうした過程を通して人は強くなる。喪失のこうした効用についても知っておく必要があるだろう。



喪失体験は、その対象が大きければ大きいほどすぐに立ち直ることは当然ながら困難なことだ。肉親を亡くした人の約半数が死後1ヶ月後にうつ病と診断されたとの研究結果もある。

喪失について、興味深い文章が本書の中で引用されている。映画「ラビット・ホール」内のセリフである。交通事故で4歳の息子を失った夫婦の映画だ。その中で、妻が母親に「悲しみは消える?」と問いかける。それに対して、母親は以下のように答えるのだ。


「いいえ。私の場合は消えない。11年経ってもいまだに。でも変わっていく……。なんていうか、その重みに耐えられるようになるの。押しつぶされそうだったのが、這い出せるようになり、ポケットの中の小石みたいに変わる。ときには忘れもするけど、何かの拍子にポケットに手を入れると、そこにある。苦しいけど、いつもじゃない。……ずっと抱えていくしかないの。決して消えはしない。それでもかまわない」


これは喪失について、とてもよく表現されたものだと思う。失ったもの、失われたものについての想いは消えることはない。だが、それでも「かまわない」と思えること。これは一つのヒントになる。

喪失体験は、1人で乗り越えられるものではない。それはまた別の誰かと共に共有することによって、軽くなる。人生100年とはよくいう。その中で私たちはより多くのものを失うだろう。だが、一方で得るものもあるはずだ。喪失と引き換えに得るものである。それこそが、人間の強さであろう。

そのために、私たちは喪失についての考えをより多角的に持つべきではないか?

人生は喪失に満ちたものであるが、それは必ずしも不幸であることと同義ではない。

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