遺書 ヴァージョン Ⅰ

なにもいう気が喪せたからって、不機嫌に口を結んだままにしている。


最初の頃は違った。

間違いを、間違いと堂々と言えない大人たち。そんな彼らの舌先に転がる理想的な美しい言葉たち。

腐りかけの肉を貪るような、あの恍惚とした顔の並びは半分髑髏だった。そのことに、彼らは気がついていない。気がついていながらも、自らが髑髏になっていくことをやめられない。そのやめられないことにすら、抵抗を感じなくなっていく。

まだ若鶏だった私は、それを間違っているといやらしいと言った。やがて嫌われていく運命を感じながらも、そうせずにはいられない。いられないような、強迫的ななにかが私の中にいたのだろう。

鉄の檻。自意識を社会が作った鋳型に嵌め込んで、飼い馴らされようと自ら喉笛を差し出すあの浅ましさ。

それはやがて卑屈な沈黙となって、結晶化する。私の生に結晶化して、決して離れることのない、剥がれることのない運命となっていくのだ。私には、それが耐えられないことのように始めは思えたのだ。



なにもいう気が喪せたからって、不機嫌に口を結んだままにしている。

露骨な共感が欲しいわけではない。ただ、当たり前のことを当たり前であると言えるだけの気概が欲しいだけだ。そして、それに僅かばかり頷いてくれる誰かを何人か探しているだけなのだ。

腐りかけの肉が落ちる。そこからはみ出た骨は、どれも鼈甲色をしていた。縄文人の骨がそうであるように、どれもこれも、みな古い。古臭い。忘れ去られて、唾棄されていくべき骨をみんな後生大事に抱え込んでいる。

やがて、私は口を開かなくなるだろう。なにもいう気がないからといって、口を結んだまま、隣に誰かが座ろうと、肩を叩こうと変わらないまま。変われないまま。

そうやって、なにか一番大切なものを擦り減らしてゆく。やがて、その擦り減らしていくことにすら抵抗を憶えなくなってゆく。それから、擦り減らしていくこの事実さえ忘れてなかったことにしてしまうのだ。



だから、いっそのこと、まだこの摩耗のただ中にいることが明晰なうちに死んでしまった方がいいのだろう。

さて、と。

そこで私は項(ページ)を繰るのだ。

なにもいう気が喪せたからって、不機嫌に口を結んだままにしている。私の生に結晶化して、決して離れることのない、剥がれることのない運命について、静かに考えるのだ。

やはり、死んだ方がいいのだろうか。胸に手を当てても、掌をかざしてみても、生命の拍動なんて感じない。

私は狂ってない。半分髑髏の大人たち。やがて私もその大人になる。もう、なっている。溶け込めないまま、ホルマリンの中を漂うバラバラ殺人事件の被害者のように在るだけだ。

違和が私の中にあって、それを許せないまま許されないままでいる。だから、人は死にたいと「私」を殺そうとするのだろう。

切り立ての肉の間に、玉砂利を詰め込むようなそういう痛みがこの擦り減りの中にある。

ただ真っ直ぐに生きていこうとするために。

そこで、安易に死のうとする。なんだか、馬鹿みたいに。実際、馬鹿であるから。



なにもいう気が喪せたからって、不機嫌に口を結んだままにしている。それはやがて卑屈な沈黙となって、結晶化する。私の生に結晶化して、決して離れることのない、剥がれることのない運命となっていくのだ。私には、それが耐えられないことのように始めは思えたのだ。

やはり、死のう死のう。

でもやっぱり、死ねない。拳銃がないから、薬がないから、飛び降りるための橋梁がないから、死に向かうための暴走した自我がまだないから……。


半分髑髏の大人。わたし。腐った肉。

結晶化した生。そんな、綺麗なもんじゃない。

ただ、生き切る。

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