定期購読本を持つことの勧め

よく本を読むことを勧める人や、文章は見る。だが、定期購読本を勧めるものはあまりみない。私は本を読むこともそうだけれど、定期購読本を持つことも勧める。

週ごと、月ごとに毎回違った知識や情報を得られるのがミソだ。科学雑誌は月刊誌だと腰を据えた感じで読める。対して日々目まぐるしく情報がアップデートされていく政治経済系は週刊誌の方が追いやすい。テレビとは違った切り口で書いてあるのも良い点だ。

週刊誌や月刊誌、本屋のなにが面白いかといえばこういった定期的に入れ替わる雑誌が面白いのだ。

今回は私が実際に定期購読しているもの、していたものを紹介していきたい。



1.ナショナルジオグラフィック

ナショジオは本を普段読まない人にも是非お勧めの定期購読本。本書の魅力はなんといってもビジュアルの美しさだ。文章よりも、写真がメインといった作り。トピックは生物、自然環境から遺跡群、社会問題など多岐に渡る。そのどれもに一流の写真が添付されているのだ。私が最近読んで面白かったのは、2019年11月号の「女性たちの世紀」だ。21世紀はこれまで抑圧されてきた人々が、ようやく声を上げ始めた20世紀を経て、さらに社会の中で大きく活躍を始めた世紀である。さまざまな質問を通して、科学、文学、政治などの分野で先駆者として走り続けてきた女性と、彼女たちを取り巻く環境を考える。



2.ニューズウイーク日本版

これは週刊の政治経済を扱った雑誌だ。特徴は、ニューストピックが新聞でいう国際面に特化しているところだろう。もちろん国内のニューストピックも扱っているが、あくまで世界各国のニュースの中の一つという位置づけ。執筆者にも政治家や国務大臣がいたりと読み応えがある。イスラム国からマインドフルネスまでカヴァーする守備範囲の広さはさすがといったところ。最近はより紙面への豊かさを模索しているようで、週ごとに内容・執筆者を変えるミニコーナーが増えた。個人的にはそのせいで特集ページに割かれる記事が少し減ったように感じて、不満なのだけれど。

ニューズウイークはお堅いニュースばかり扱っていないのも魅力的。映画・音楽への評論、健康や心理学へのページも箸休め的にある。多彩なジャンルの知識が手頃に読めるのもいい。



3.日経サイエンス

自然科学分野の雑誌でお気に入りなのが「日経サイエンス」だ。自然科学の分野の論文はなんでも紹介している。日経サイエンスの魅力は海外の論文が多く訳されて紹介されているところだ。私は特に医学や心理学の論文を読むのが好きで、日本ではあまり関心を持たれていないトピックも多い。特にがん治療における免疫療法の論文なんか面白かった。

特集ページはしっかりと量のある論文が多数掲載されているのも良い。



4.その他購読していたもの

まず、政治経済系だと「週刊エコノミスト」だ。こちらも、「余計な」ミニコーナーが増えすぎた感はあるけれど学生時代はニューズウイークとセットで読んでいた。今でも興味のある特集のときは買っている。

また、政治系の月刊誌で一番「読める」のは「文藝春秋」だ。けれど、なぜか定期購読するまでには至っていない。執筆者の顔ぶれも重量級で選挙前の予想だとか、政治家の決意表明みたいなものが書いてあるときは必ず買う。他にも面白そうな内容の時は買っている。他に以前は「WiLL」という月刊誌を買っていた。思想的にはごりごりの保守系で、結構偏ったところもあったけれど対談集が面白く読んでいた。何年か前に編集長と出版社が揉めて「Hanada」という内容も思想もよく似た月刊誌に別れてしまってからもしばらく買っていたけれど、内容の変質がすごくてそれからは買っていない。一瞬だけ「週刊金曜日」も買ってみたけれど、これは一度読めばまあいいかな、で終わってしまった。

自然科学だと「ニュートン」も結構好きだ。図解が分かりやすく、大きく紙面を占めている反面、文章量が個人的には物足りない。

他に週刊誌といえば「文春」「新潮」あたりは長いこと買って読んでいた。他に「週刊ポスト」や「プレイボーイ」も読んでいたが、オッさん臭丸出しなのに嫌気して読んでいない。「文春」「新潮」も紙面自体は下衆なのだけれど、作家やコラムニストのミニコーナーが面白くて読んでいた。添えられているイラストもほどよい悪意があって、それがただの悪口や嫌味嫉妬とは分けられた執筆者の絶妙な知性とブレンドされて面白かった。だが、段々と読まなくなって今に至っている。



私たちは今まで、小学校の「朝読書」の例を引くまでもなく、「本を読め」と言われてきた。その「読め」が、次第に私たちの多くを本そのものから遠ざけた。今になってわかる。偉そうに「読め」といってきたかつての大人たちも、それほど本を読んできてはいなかっただろう。ただ、本にくっつけられた一方的な「知性」というものを無批判に受け入れ、押し付けていただけなのだ。

改めてこのことを考えると、私は本というものは「読まされる」ものではなく「読む」ものだと思うのだ。それは強制ではなく、自主的なものだ。そのきっかけを、教育の中で強制的に作っていくことは間違っている。本来は、家庭内で生活の中においてごく自然に作られているものが、それは喪われていることと表裏なのかもしれないが……。

読書は義務になった途端に、その魅力を喪う。

読書は義務ではない。本を読まなくても、人は死なない。死なないからこそ、人は「読まなければならぬ」本を脇へ追いやって忘れるのだ。

だから、私は誰かに「読め」とは言わない。

ただ「勧める」だけである。別に読んでもらおうとは思わない。読書とは、「出会い」の経験であると思う。それに強制はできないし、強制はそぐわない。

ただ、世の中にはこんなにも色んな本で満ち溢れていること、それが週替わりで出されていることを知ってほしいのである。そこに触れると、あなたの世界はもっと広くなる。私が伝えたいのは、そういう読書そのものではなく、その先で得られる微細な喜びについてである。

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