自制と共感と、情動

少し前のことだけれど、ダニエル・ゴールマンの「EQ こころの知能指数」を読んだ。

人の知能について、学習で測れるIQではなく、社会性や協調性など非認知能力に比重を置いたEQ (こころの知能指数)に注目した書籍だ。



ゴールマンは、これからの時代は答えのない問題に私たちが直面していくという。その中で求められるのは、常に正解のある答え、あるいはあらかじめ設定された問題にあたるだけの能力では、生き抜いていけないと指摘する。その上でゴールマンは、「人間の能力の差は、自制、熱意、忍耐、意欲などを含めたこころの知能指数(EQ)による、と私は考えている」と書く。

また、「人間の本質を捉える上で、情動の力を視野に入れない見方は賢明とは言いがたい。人間を『ホモ・サピエンス』すなわち『理性を持った人』と呼ぶこと自体……あまり適切とはいえないだろう。なにかを決断したり行動を起こしたりする際に人間が理性と同じくらい感情に頼っていることは、誰でも経験から知っている」。



ゴールマンは、現代人にとって必要なのは共感と自制心であるという。この2つと密接に関係があるのはIQよりもEQ である。こころの知能指数とは、人の情動を測るものである。私たちは一見客観的に判断をしたと思っていても、実は情動的な影響を受けてその判断をしている場合が多い。ゴールマンによる定義とは、「こころの知能指数とは、自分自身を動機づけ、挫折してもしぶとく頑張れる能力のことだ。衝動をコントロールし、快楽を我慢できる能力のことだ。自分の気分をうまく整え、感情の乱れに思考力を疎外されない能力のことだり他人に共感でき、希望を維持できる能力のこと」である。

この箇所は、まさに共感と自制について書かれている。



ゴールマンが提唱するEQは、教育現場ではもちろんだが、意外なことに民主主義の醸成に寄与するという。私が最も面白く読んだのは第15章の「情動教育のかたち」だ。

情動教育は、様々な名称で呼ばれている。ここではゴールマンは「セルフ・サイエンス」と呼ぶ。セルフ・サイエンスの授業のテーマは感情である。自分自身の感情と、人間関係から生じる感情について注目するものである。実際にセルフ・サイエンスを実践している学校の校長は「学習は、子供たちの感情と切り離して進めることはできません。情動面の知性は、学習を進める上で算数や国語などの授業と同様に大切な要素」だと語る。こうした試みは、通常授業の一環として子供たちの社会的・情動的能力を向上させていく目標を持っていく。問題児に、補修的に情動教育を行っていくのではなく、全ての児童に必要な技術、知識として情動教育をしていこうとする点に特色がある。

こうした試みは、歴史的には1960年代の情緒教育運動に遡ることができる。これは、心理や動機に働きかける学習は概念的な教育内容を体験させることによってより深く習得されるというものだった。現在のセルフ・サイエンスはこれと違い、情動を利用するのではなく情動そのものを教育しようとするものである。

セルフ・サイエンスの教育内容は、基本的なEQの向上に力を入れている。第一に情動の自己認識。これは自分の心の中にある感情を認識し、言語化し、思考と感情と反応の関連を理解することである。これは、自らの選択が思考によるものか、感情によるものかを見分けることでもある。そして、選択の結果がどのようなものに繋がるのかを自覚することでもある。こうした一連のプロセスを麻薬や喫煙、妊娠などの決断する際に応用するのである。

情動の自己認識は自己肯定感を持ちながらも、客観的に自分自身を見つめることでもある。

第二に情動をコントロールする能力だ。これは感情の背後に隠れている感情を認識し、不安や怒りや悲しみに対処する方法を習得することだ。自分の決断、行動に責任を持ち最後までやり抜くこともセルフ・サイエンスは力を入れている。

第三に共感能力である。他人の感情を理解し、異なった立場に立ってものを見ること、そしてそうした感性を尊重することである。他人の判断と自己の判断を区別すること、はっきりと自己主張をすること他人と協力して問題を解決し妥協を成立させる技術を習得することが含まれる。これは社会生活一般において、最も必要となる能力である。

さて、このように子供たちを教育していくことは同時に教える側、教師自身をも再教育していくことにも繋がる。家庭がかつてのような機能を失いつつある中で、情動的・社会的能力の欠如を矯正する役割を学校が代役にならざるを得なくなっていく。だがこうした代役を一手に引き受けることは不可能である。社会性を子どもに教える機能を失った家庭に代わって、学校がその穴を埋めることは、そのまま学校の負担を増すことを意味する。教師は従来の職域を超えた仕事に取り組まなければならない。学校の置かれる社会的立場も微妙に変わっていくだろう。セルフ・サイエンスは、教師の守備範囲を広げる以上に学校への期待を高めていく。こうした試みは教育現場のみで達成できるものではない。教室の内外で感情がぶつかり合う場面を情動教育の機会として活用できる環境を作っていくこと、また家庭と学校が歩調を合わせていくことも大切である。

そして、こうした「人格の陶冶」は民主主義社会の基礎をなすものだ。自己認識、情動のコントロール、共感する能力は社会生活の基礎を作る。自己中心的な見方、衝動の抑制は社会的な利益をもたらす。共感は、親切や思いやりに繋がっていくものだからだ。固定概念を崩し、多様性に寛容になれる。その上でこうしたこころの能力を向上させるEQは、民主主義の基本技術であるといえる。セルフ・サイエンスは、人格、道徳、社会に参加する市民としての自覚をも育んでいくのだ。



私たちは、自分のことを「理性のある人」であると思っている。そして、理性を偏重する姿勢が思わぬ諍いを起こす。教育は、時として私たちのこころが本来持っている能力、また社会的に必要な能力について、理性を偏重するあまり顧みられてこなかった。

EQについて是非を下す前に、まず人という生き物を社会的視点からどのように捉えるかで教育をどのように行っていくべきかが変わる。

家庭がかつての機能を失いつつある今、学校はより広範囲な人間教育の実践を求められている。

一人一人の人格をどのようにデザインすることを望ましいとするのか、それはひいては社会全体のデザインを考えることにも繋がっていく。

人というのは、社会的な生物であるがゆえに。

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