斎藤環著「承認をめぐる病」

誰かに認めてもらいたい。

承認欲求は、私たち人間の持つ普遍的な欲求の一つでそれ自体は害悪ではないだろう。だが、現代の「承認欲求」にはどこか違和感を覚えないだろうか?身近なところであると、このような小説投稿サイトで、感想や星(ポイントでもいい)を得るために不正や自演をしてまで過剰に自作品を持ち上げる作者。または、SNSで「理想の自分」あるいは「イイね」を貰うために借金までしてブランド品で固めた生活を晒す……などなど、いささか病的ともいえる承認欲求が現代に溢れている。今回取り上げる斎藤環著の「承認をめぐる病」は現代人の抱える承認をテーマに精神医学的な面から考察したものである。特に斎藤は思春期の青少年を取り上げ、彼らが学校(スクールカースト)の中でいかなるキャラクターを作り、作ることに腐心し、承認を求めているのかを探る。

誰だって、人から好かれ認められたい。現代にあって、なぜそれが病的に見えるのか?

それを見ていきたい。



冒頭でも書いたが、承認欲求自体は悪ではない。あくまで普遍的な人間の欲求の一つである。現代において、それが病的なのは、斎藤曰く以下の理由による。


「最近の傾向として特異に思われるのは、『承認欲求』が全面化し、極端に言えば『衣食住よりも承認』という逆転が見られつつあることだ。しかもその承認が『キャラとしての承認』である点にもうひとつの問題がある」


ここで、本書の中におけるひとつ目のキーワードが出てくる。「キャラクター」がそれである。これは心理学でいうところのペルソナを、より分かりやすく現代的に言い直した語であると私は理解した。承認欲求自体は、有名なマズローの欲求段階説にもある高次の欲求であるが、現代は演じられたキャラクターとして承認されたい、という点にその特徴がある。「インターネット上で小説を投稿する作者としての自分」というのも立派なキャラクターとなり得るだろう。さらに斎藤はこの承認について詳しく続ける。



「『キャラとしての承認』を求めること。それは承認の根拠を全面的に他者とのコミュニケーションに依存することだ。かつての承認は、ある程度は客観的な評価軸の上で成立していた。能力や才能、成績や経済力、親の地位や家柄などだ。中略。

しかし現代の『承認』については、そうした客観的基準の価値ははるかに後退し、いわば間主観的な『コミュ力』に一元化されつつある」



ここで、本書内における二つ目のキーワード「コミュニケーション能力」が登場する。斎藤は、「キャラクター」と「コミュニケーション能力」を軸にこの問題を考察していく。ここで私なりにまとめるなら、キャラクターとコミュニケーション能力はどちらも高度に抽象的なものである。そして、どのようなキャラクターやコミュニケーション能力が「ウケる」、つまり「承認される」かはそれぞれの集団によって異なるということだ。それらが他者からの承認の「しるし」となる。

斎藤も以下のように書く。



「承認を他者に委ねることは、極端な流動性に身をまかせることだ。ある教室では強者足り得ても、次の教室ではどうなるかわからない。所属する集団が変わるたびに承認の基準はリセットされることになる」



このように私たちの「承認」は非常に不安定である。そのような承認の病理を、斎藤は3パターンに分類する。「承認への葛藤」「承認への過剰適応」「承認への無関心」である。これを斎藤は、アニメ「新世紀エヴァンゲリヲン」の登場人物、シンジ、アスカ、レイをそれぞれ当てはめる。



「あくまでも比喩として言うのだが、承認をめぐって葛藤し続け行動を抑制しがちなシンジはいわゆる『ひきこもり』であり、社交性が高く承認を勝ち取るための行動化にためらいのないアスカは『境界性人格障害』、承認されることに関心がなく命令のままに行動するレイは『アスペルガー症候群』に見えるのだ」



このような斎藤の分類は非常に面白い。このような「承認の病」を回避する方法を斎藤は以下のように指摘する。



「①他者からの承認とは別に、自分を承認するための基準を持つこと。


②他者からの承認以上に他者への承認を優先すること。


③「承認の大切さ」を受け容れつつも、ほどほどに付き合うこと」


正直、斎藤の示した処方箋にそれほど目新しいことはないと感じた。だが、②の「他者への承認を優先すること」にはなるほどと思わされた。斎藤は承認は自己愛の成立要件である、とも指摘している。



本来の自己ではない、キャラクターへの承認欲求。抽象的で流動的なキャラクター、コミュニケーション能力を評価軸とした承認。それが教室や、友人関係、あるいは全く面識のないネット上での関わりという極めて限定された集団の中で絶対的なものとして存在している。そこに、病理がある。こうした背景には、社会構造・意識の変化、テクノロジーの発展によるコミュニケーション方法の変化もあるだろう。そして、「病」そのものを作り出してきた精神医学の功罪ももちろんあるのだ。



承認欲求は現代においては、病理になり得る。このことに、キャラクターやコミュニケーション能力を評価軸として逆転した承認欲求を抱える私たちはいかに向き合えるか。

他者「からの」承認から、他者「への」承認。自らの在り方は他者に過剰に認めて欲しいと求めるが、他者の在り方には私たちは時として驚くほど非寛容的な場面がある。

こうした点もまた、ひとつの現代病であるかもしれない。

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