2ヶ月目に思うこと。
なんというか、早いもので社会人になって2ヶ月経った。ここ最近はそう見ないが、リクルートスーツを着た学生が職場に見学に来ていたりするのを目の当たりにすると、つい1年前まで自分もああだったんだなぁと思う。
人間とは不思議なもので、学生時代の頃には自分が働いていることなんてまるで想像できなかった。でも、今は自分がどういう風に学生をしていたかがもう分からなくなってしまった。もっとなにか有意義なことをしていればよかった、なんて思うこともあるけれどあんな風にダラけることもそうできることでもないし、まぁいいかなと正当化してみる。
1日8時間労働は、本当に長い。そこに通勤時間も含めると、大体半日は労働に持っていかれる。
あぁ、いやだ働きたくない。
だが働き始めていいこともあった。それはメリハリがつくことだ。仕事の日と休みの日、オンとオフがはっきりとする。これは良い体験だった。職場では基本的に走り回って、動き回っている。休憩時間でもそう本を読むことはできない。だから休日に「読み溜め」する。これがなかなかストレス発散になる。普段仕事で使う頭の領域と、本を読んでいるときに使う頭の領域は全く違う。その全く違うところを使っているという感覚は、結構な気分転換になる。だから休日は基本的に図書館へ行って、本屋へ寄って帰るのがルーティンになっている。
時間というものは、案外自分次第で作れるものなのだとここ最近は思っている。
正直、私の理想としては研究者になってアカデミックな現場で知的労働をしたかった。今の仕事は全くその対極にはあるけれど、仕事は好きだ。業務の内容は慣れれば誰にでもできるが、やはり相手が人間だけにコミュニケーションの部分に難しさとやりにくさを感じずにはいられない。これはキャリアを重ねても思うことだろうな感じる。
当たり前のことだが、本当に色々な人がいる。
話が飛ぶが、いじめというのは人間にのみ見られる現象ではないらしい。ある条件の元でいじめが起きるらしい。魚を水槽で囲った途端にいじめが始まる。集団の中で一番弱い個体を見つけて、ターゲットにしていくのだ。そのいじめられている個体を別の水槽に移して隔離しても、また同じことが起こってしまう。同じ種類の魚でも、海を泳いでいるときはいじめは起きないそうだ。狭い水槽で囲った途端に、「いざこざ」が起こる。これは人間社会でも同じだろう。教室や会社など、「囲われる」環境にあると必ず上手くいかないことはある。
2ヶ月目にして思うことの一つは、やはりそうした難しさだ。いじめられているわけではないが、やはり他人は比べてくるし、仕事をしているフリをして怠ける人間もいる。こうした集団の中で生きていくこと、働くことの「鬱陶しさ」はそんなところにあるだろうなと思う。
新人ゆえに怒られることもある。色々思うところはあるけれど、実際に働いて指導を受けて思うことがいくつかある。
一つは、怒られているうちが華であること。そして、とにかく自分の足で動くことが成長する上で何よりも大切なことであることだ。
今のところ、仕事内容に関しては嫌なことはない。難しさはあるものの、まあ何とかやっていけそうだ。
だが私は別にひと昔ふた昔前の企業戦士だのモーレツ社員だのになる気はさらさらない(今風に言えばそんなの社畜じゃん)。
労働に生命まで賭ける気はない。世間的に見ればかなりきつい職種であるから、「ヤバイな」と思えばすっぱり辞めてやろうと決めている。生きづらさの根っこにあるのは、「この道しかない・ここしかない」と思い込むことなのではないかと感じる。別に仕事はここだけにしかないものでもないし、生命を賭けてまでするものでもない。日本にのみ居なければならない決まりもないし、殺されるわけでもない。
本当にキツくなったら、すっぱり辞めてその分溜まった貯金でアジアの国を廻ってみようとぼんやり考えている。
なんて書いてみたけれど、まだ2ヶ月目なんだなぁ。
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